Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

役所の不幸

2008-06-28 14:17:30 | つぶやき
 役所ほど好き勝手なことを言う集団はない。採算がとれずに何年も赤字を抱えている会社に、縮小する旨を漂わせると、「採算はともかくとして人員を減らすな」みたいなことを言う。まあ人員を減らさずに、採算がとれるようなシステムにしろというように捉えられるが、それにも限度があるし、こと人員ということだけを維持しろといえばそれも可能だろう。しかし、そうではない視点では、不採算を上回る障害が派生したりする。それを解消するために、また不採算が見えてきたりする。ようはよほどの低賃金にしないかぎり、会社は維持できなくなる。人件費がそのほとんどの支出のような会社に、人員を維持しろという言い方は、身勝手な言い分だとわたしには思う。それでいて、税金で成り立っている人たちは、自らのことは棚に上げてしまう。もちろんそんな身勝手なことを言う人たちも、自らの力ではそんな矛盾を一掃するようなことはできないことを知っているから、身勝手と解っていながらの要望なのかもしれない。

 役所にしかない不思議なシステムというものがあるのだろう。しかし、そんなシステムは、発注とか委託、そして公開という部分であからさまにされてきた。それが故に、役所そのものが変化できないシステムを持っているのに、外見だけは変化したような姿に変えてきた。そうした変化は、むしろ役所そのもののさらなるシステムの悪化を招いているとわたしは思う。外見を気にするのなら、もともとの役所のシステムを変えなくてはならないはずだが、それができないのが公というものだ。説明できないから外見だけは変えた。ようは安易な逃げ口上を掲げたわけだが、責任回避のできる役所らしい流れでもある。住民も含め、役所とはどういうものなのか、もっとスマートなものにできないのか、など自治システムの変化がないと、このままでは合併を繰り返し、強いては無駄な役所を肥大化させるだけではないだろうか。

 身勝手な言い分を気にしなくてはならないほど、会社を取り巻く情況は不安定である。仕事量を維持するには、そんな身勝手でも聞いていかないと仕事が減少するという考えも多い。なによりも現在の報酬を半分にして生きて生ける人がどれほどいるのかということにもなるだろうし、それでも身勝手な言い分を聞かなくてはならないのかということにもなる。会社の経営悪化にともなって不採算部門や不採算店の閉鎖を考えるのは当たり前で、公共交通を担っている会社ですら、不採算路線の切捨てが持ち上がる。そのいっぽうで「住民の足がなくなる」という身勝手な言葉が飛び交う。これも身勝手な言葉で、実際の利用者が言うのならまだしも、こうした事例では「またも」みたいに行政のトップがそんな言葉を口にする。利用してもいない人たちがそんな身勝手を口にするのは、いかにも行政らしい。行政とは公なれど、個人になれば身勝手ということなのだろう。
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