Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ガソリン高騰

2008-06-04 12:24:42 | つぶやき
 ガソリンが高騰し、止まらずに値上げが続く。例のガソリン税でもめていた3月、自民党の首脳が「環境に対しても高い方がよい」みたいなことを言って批判されていたが、それは嘘ではない。ある県の出先機関の駐輪場での話。「このごろ混雑するねー、停めるところがないよ」。ガソリン高騰で車での通勤を切り替えている人が多いという。ふつうに考えれば車以外で通えるならそうすればよいものを、都合がよいからということで車になる。したがってガソリンが高ければ、環境負荷は下がることになる。とはいえ、関連の産業は大打撃をうける。どんなにガソリンが高くても車を手放すにはまだ早い。だからメーカーにしても修理業にしても減益は仕方ないもののある程度計算できそう。ましてや国外に市場を展開するメーカーにいたってはまだまだ逃げ道はある。ということで消耗品を扱っている業者(とくにガソリンスタンドかな)には、車を使わないとなれば影響は大きい。

 このように複雑な商品が出回るとともに、そうした商品が氾濫し、加えて人々がそうした道具に頼るようになるから、世の中の産業はさまざまに関連していく。「風が吹けば桶屋か儲かる」ということわざは現代にこそ適合した言葉ではないだろうか。だからこそ、大きな変革ができない。何かを削れば、そこに関連した人々の生活を奪うことにもなりかねない。いや、そういうことはいくらでも繰り返されているのだろうが、意図的なものではなく、その関連がなかなか解っていないのかもしれない。知らず知らず何かに影響する現代。それがとくに大きな産業ともなっている自動車関連は、果てしないほど数珠繋ぎの世界なんだろう。盛んに批判される道路建設も、車が走らなくなればこれほど滑稽な空間はなくなる。

 さて、自らは最近は車を利用しない。土日といってもほとんど自家暮らし。そしてふだんは電車利用。長野暮らしをしていたときに比べれば車の利用度は極度に減った。先日ちょうどマイカーの距離計が16万キロを超えた。この1年5千キロ程度しか走っていない。この程度の乗り方だと16万キロを数えるには32年もかかる。16万キロ走った間のガソリン代の平均が、たとえば130円としよう。1リッター50円の差があるとして、約76万円の差が出る。金額だけで判断すれば大きな金額であるが、1年にすると経過10年なら7万6千円、20年としても3万8千円。まだまだ我慢のできる範囲と思うか、それとも思わないか、人それぞれといったところだろうが、事業者に対しては厳しいに決まっている。当然のことだろうが、事業者に対して税制上の優遇をするべきではないだろうか。もちろんマイカー利用者の負担増は仕方ないと思うがどうだろう。それでも交通機関のある都会と地方もある程度税制上の差をつけてもらわなければやっていけない。わたしに関しては1年間に5千キロ程度だとしたら、その必要性も問わなくてはならないときにきている。それでも毎回タクシーよりは安そう・・・。
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