Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

語りの代わりに

2008-06-12 12:30:03 | 民俗学
廃村をゆく人⑫より

 廃村については、HEYANEKOさんに引き込まれるようにこれまで「廃村をゆく人」で12回にわたって触れてきた。近ごろ発行された『日本民俗学』253号において、藤原洋氏が「挙家離村と家継承の問題」を取り上げている。キーワードに「廃村」が見え、最近廃村に触れたことから少なからず興味を抱いた。「本稿は、離村者の系図作りに注目することで、挙家離村した現代家族が抱える家の継承の問題を取り上げるとともに、系図作りによって新たに構築される現代人の家意識について明らかにするものである」と始まる論文は、1先行研究の検討と本研究の論点、2廃村と家のゆくえ、3系図作りと家の継承という三つの項目が立てられている。大変興味深い始まりなのであるが、まとめとして「従来の家族研究の定説とは異なり、家族移動後も依然として家が継承され、家の意識が家族生活を規定することを明らかにした」「本研究では、作られた系図の分析から、今まで不明だった現代の家の具体像を明らかにした」などとさもこの研究によって学術的に明らかにされたものがそこにあると述べられてはいるが、わたしにはそうなのか解らない。わたしのなかの民俗は、まったく学に達していないことが露呈される。しかしである、こうした言葉の背景に、これを研究している人たちにとって家族が乖離しているようにも感じてしまう。ようは離村しようがしまいが、家は継承しないみたいな印象が前提にあるようにも思えるのである。とすれば、研究者にとって自らの家とか家族とは何なのだろう、という疑問がわく。まるで人事のように家や家族を捉えている。研究者とはそうでなければいけない、という人もいるのだろうが、果たしてそうだろうか。とくに人々の生活を研究題材にしている分野にあっては、同じ暮らしをしている自らもそのテーマの比較材料になると思うのだが・・・。

 わたしが違和感を持つのは、あまりに乖離した世界のように捉えている家や家族というどちらかというと身近なものだからだ。今や研究者も実体験を持たない時代になっている。いや、だからこそ実体験として比較できる現代的なテーマを持ち出す研究者も多い。ようは共感できないテーマは遠慮せざるを得なくなるわけだ。そういう意味では、この学問、どんどん変化していくのだろう。素人感覚でそう思う。

 さてそれはともかくとして、藤原氏の指摘の中で教えられるものもある。系図を書き残すというその理由である。今回取り上げられた新潟県の阿賀町実川のK家のH氏は、ムラがなくなるなかで、内なる家族に解っていることをできるかぎり細かく系図として伝えようとしている。家柄の誇示ではなく、子孫に向けた世代的継承を子孫に託すという意図がそこにあるという。この背景は、家そのものが消え去ろうとしている現代だからこその行動のように思う。確かに子孫への継承なのだろうが、そうしたものに頼らないと、とても歴史は語られないという現実ではないだろうか。かつてなら孫に語った昔話や伝説。しかし今ではそれを聞いてくれる孫は身近にはいない。いや、身近どころかまったくいない家も珍しくはない。語りのない時代だからこそ、歴史を残す、形として残す方法として系図がひとつの方法としてあるように思う。昔語りを記録する人もいれば、詳細な日記を記録する人もいる。いつか誰かがひも解く日を夢見ているとしか思えないような記録が、意外とたくさん綴られているように思う。

 今回の廃村実川は、発電所という働く場がなくなることで離村が始まる。安定収入の場であった発電所が無人化することでその場をなくす。すると、まず骨董屋が現れるという。そして日雇いで働いていた人々の離村。9ヘクタールあった水田は杉が植えられ山林に返された。はじめは植林した杉の世話のためにムラ通いをする。しかし杉が生長するとともにムラ通いは減り、系図を記録した区長だったH氏が最期に残った。という具合に離村後のムラが語られている。
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