Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

サカイウツギ

2008-06-03 12:49:21 | 民俗学


 「画像資料と民俗誌」(『人文科学と画像資料研究 第1集』國學院大學日本文化研究所/H16.3.20)のなかで倉石忠彦氏は次のように述べている。


 ここにサカイウツギがあります。サカイウツギというのは耕地の境のところに空木という木を植えるんです。この奥にありますのがサカイウツギですね。その前の方には境標が置かれているんです。この写真だけで変化がわかるんです。かつては境標がなかった。空木だけだった。ところが、時代の変化の中でこういう境標が立会いの上で設置される様になった、ということになるわけです。しかしこのままですと、この木が何のことかわからなくなって、切られてしまうという可能性があります。いつ位まで、こうした習慣があったかということになりますと、平成3(1991)年に撮ったという記録によって少なくともこの時点までは存在していたという歴史資料にもなり得るということになるわけです。変化や地域性を知る為に、出来るだけ詳細なデータが必要になってくるということですね。どこにでもあったものが、どこにでもある、ということにならなくなってくるということです。単独の事象ではなく、背景と共に写された事象がどういうものであるかというのは、実はもう既に生活絵引きが作られています。須藤功さんの写真に小川直之先生が詳細な解説をつけております。これは記録資料として、生活の中に存在するモノとコトとを認識しようしたものだと思います。ただ、既に触れております様に、画像資料としての民俗写真というのはそれだけに留まらないのではないだろうかと思います。


 少し長い文を引用させていただいた。なるほどと思わされるのは、本来は違うものが存在していたのに、それに変わる共通認識としてのものが新たに設置されることにより、従来あったものが忘れられていく、あるいは撤去されていく、そうしたなかで従来の認識物が何を意図していたものか解らなくなってしまうということである。ウツギの木が畑などの境界に植えられたということは、現在でもウェブ上にいくつも紹介されている。しかし現物が境標として存在している例は少なくなっただろう。「サカイウツギ」で検索するとヒットするのは数件。その中に前述の倉石氏のものと、旧堀金村(現安曇野市)の事例が登場する。堀金の事例には写真が掲載されている。ほ場整備によって多くの区画が変更されるにいたって、こうした木の多くは姿を消してしまった。もちろんウツギの木ばかりが目印であったわけではなく、石を埋設していたり、ほかの木が植えられていた事例も多い。倉石氏の言うように、画像資料はそうした歴史を的確に教えてくれるものである。後半で須藤功氏の写真に小川直之氏が詳細な解説をつけていることが触れられている。須藤氏といえば『日本生活図引き』を手がけている。写真に写しこまれたモノを解説することで、写真1枚1枚が民俗誌となっている。写真とはなかなか面白いものなのである。

 さて、先日山に入ると、ウツギの花が見事に咲いていた。「ウツギ咲く」は昨年のものであるが、今年も思わずその花にカメラを向けた。里に咲いているとほかの花々が賑やかで目が留まらないのに、山の中では印象が違うのである。

 [撮影 2008.6.1]
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