Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ツボ採り

2005-10-31 08:18:21 | 民俗学
 先週は、妻の実家の裏にあるため池管理の日であったが、今日はさらに奥にあるもう一つのため池のツボ採りの日であった。こちらは、先週のため池の上にあるため池で、関係者は4人である。下のため池ではツボ(タニシ)が小さくてツボ採りと言えなくなったことを先週も触れたが、こちらは、ツボが採れるため、ツボ採りという。本当はツボ採りが目的ではなく、1年に一度ため池を干すことによって、ため池の様子を確認する、いわゆる管理目的なのである。最近ではこのようにため池管理のために1年に一度干すという作業を行なわないところがほとんどである。そうした管理を行なわなくなった理由には、さまざまな理由がある。かつては用水をとる斜樋といわれる施設が木でできていて、痛むことが多かった。そうした施設もコンクリートで整備され、同時に泥栓といわれた底樋も整備されて取水施設が傷まなくなった。加えて堤体の法面も波除の護岸が整備されたりして、ため池そのものに対しての管理する意味合いがなくなったともいえる。そうしたことによって、ため池を干して様子を伺う必要がなくなったわけである。
 また、ため池には泥が溜まるが、かつてはこうした泥を取って耕土として利用した。ため池の泥は栄養分があって、乾かせば貴重な耕土となった。
 ごたぶんにもれず今日の作業をツボ採りというように、かつてのような管理目的にはほど遠い作業である。それでも泥栓を抜いて水を出すことで、泥栓の詰まりを防いだり、ここのため池はパイプラインで取水していることもあって、その取水口のスクリーンを掃除したりしている。ところが、今年は泥がずいぶん溜まっていた。普段は10月上旬に行なうツボ採りが、半月ほど遅れたということもあって、例年と比較するには条件が異なるが、ツボも少なかった。寒くなっていることで、ツボが土の中に潜っていたとも考えられるが、いずれにしても泥が多かったことは確かで、ここ数年とは雰囲気が違った。モロコやメダカも採って4軒で分けたが、泥が多かったこともあってか、窒息して死んでしまう魚が多かった。こうした魚は、泥栓の下流側を堰きとめてすくうのであるが、そこへはさまざまな水生昆虫が流れ出てくる。最も多いのがヤゴの類で、種類は多い。また、写真にもあるようなゲンゴロウがけっこう流れてくる。
 さて、今年は主目的のツボが各戸バケツ一杯までなかった。泥のせいもあるかもしれないが、来年の様子次第である。毎年見ているが、微妙な変化があったりして、ため池の環境を維持していくことはなかなか難しい。もともと人為的に造られたものではあるが、そこから自然の様子や変化がよくわかるというのもおもしろい話である。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****