Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

一銭店

2005-10-02 19:21:26 | ひとから学ぶ
 今日、名古屋市天白区の塩釜坂を歩いていて、けっこう小さな店や喫茶店なんかがあって、少し懐かしさを覚えた。別に塩釜坂が懐かしかったのではなく、タバコやさんの看板とともに、店の中で少しばかりのお菓子や日用品を置いている光景が懐かしかったのである。店の大きさといえば、せいぜい6畳程度だろうか。ほとんどお客はいないだろうし、店番もしていないだろうと、ちょっとのぞくと、タバコの販売口の裏に、おじさんが座っていた。こういう店は、昔は田舎にもたくさんあった。親戚にもそういう店があって、主はタバコだったが、わたしが子どものころには、一時お菓子なんかも置いてあった。いつの間にかタバコは自動販売機に変わり、店は閉じられたが、そうした店は、水田地帯にもところどころにあったものである。
 地方の町でもそんな店はけっこうあって、そんな店にお菓子なんかを買いに行ったことを覚えている。今では、町にもそうした小さな店はなくなった。松本市で以前聞いた話であるが、マチにもそんな店がたくさんあって、一銭店と呼ばれていた。なぜそう言われたかというと、子どもたちが休みになると、一銭か二銭ほど銭をもらって、お菓子を買いに行くことがあって、そうした身近な店をそう呼んだという。身近にある都合のよい店だったわけで、ある一銭店の女性は店番をしながら一日を、そして一年を暮らした。昼を食べていても、夕食をたべていても、お客さんがくれば対応し、店を閉めていても、お客さんが戸を叩き、店を開けるということもあったという。今でいえばコンビにみたいなものなのだろうが、こうした店には近くから子どもたちがよく来るので、顔なじみになったという。どこにどんな子どもがいるとか、しつけの違いなんかもよく見えたりした。
 そんな雰囲気の店は、現代ではコンビニ全盛で、田舎からはほとんど消えた。そんなかつての一銭店のような店を塩釜坂で見たのである。周りを見渡したが、ほとんど人の姿はなかった。家はたくさんあるのに、裏通りともなると、人影はない。そんな店の近くに小さな喫茶店もあったが、やはりお客さんの姿はなかった。田舎から、ことごとく小さな個人の店がなくなっていくような時代である。おそらく、都会でもそうした流れはあるのだろう。そうした流れから零れ落ちたように、まだまだ店があるが、いずれ消えていくのだろう。
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