Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

悩み、それとも迷い

2005-10-22 01:31:40 | ひとから学ぶ
 今年会社へ入った女の子が、コンピューターの前でピタッと止まったまま動かないでいる。何を悩んでいるのか、そんな問いかけをするまでもなく、わたしの顔を見たら、何か質問したいような顔をする。しかし、なかなか質問の言葉が出てこない。何をどう聞けば良いかがわからないでいる。悩んでいるのか、考えているのか、はたまた迷っているのか、そのへんはわからない。でも、目が合うと、いつもニコニコしながら、迷いの表情をする。現場に出る車の中で彼女に、こう質問した。「あまり悩みはないかな。そんなことはないか、甘いものに目がないから、食べたい、そうは思うけれど、太るのが気になる、それは悩みかな」。彼女はいつも甘いものが好きなことを、自ら話していた。でも、夜にはひかえなくてはいけないと思って我慢することあるともいった。そんな会話を思い出しながら、彼女にこんな質問をしたのである。彼女は運転しながら「そうですね」という。「それって悩み、それとも迷い、どちらかなー」なんてわけのわからないことを言ったら、ますます話ははずんだ。悩み、それとも迷い、・・・考えているのか、どれもよく似てはいるが、果たして彼女はどういう状況なのか、コンピューターを前に、指も動かず、画面に見入って止まっている姿を思いながら、そんなことを話した。
 悩みと迷いは違うのか。あるブログにこんなことが書いてあったことを思い出した。
「迷いの根本は臆病である。結果を出す事への逃げなわけだから考えがまとまらない。必要なのは覚悟であり精神論。悩みの根本は向上心。自己の限界への挑戦であるからあとは行動。大事な事は努力。この違いは大きい。100メートルを10秒で走ってどうなるのかを考えている奴と、100メートルを10秒で走るためにトレーニングを積んでいる両者には「やる気」に違いがある。だから迷う者は成長が鈍く、悩む者は成長が早いと考える。つまり「悩み」は人生においてその人個人の成長のためにはなくてはならないものであると考える。」
 うーん、なかなか難解である。悩みは向上心か・・・。希望や望みといったものが悩みで、迷いは単純なものということになるだろうか。そう解けば、確かに、悩み多いことは人の成長をもたらす、ということになり、納得できるような気もする。いろいろ検索してみても、ほとんど悩みと迷いは混同して使われている。都合よく「悩み」と使ったり、「迷い」と使ったりしている。広辞苑から拾ってみよう。
 悩み―①なやむこと。くるしみ。思いわずらい。②やまい。病気。わずらい。
 迷い―①まようこと。まどい。②まぎれること。まぎれ。③乱れること。乱れ。④成仏の妨げとなる死者の妄執。悟り得ぬこと。・・・
 考えていて、その過程で苦しみがあれば患いとなる、そんな解釈が悩みといえるだろう。そして、選択肢から選ぶことができない、あるいは決断できないといった、考えがをそれほど伴わないものが迷いになる。そう考えれば、テストで選択肢があるマークシート方式なら、考えなくとも選択はできる。ようはそれほど勉強しなくても選択くらいはできるということで、より勉強してない人ほど迷いは多くなる。地道な努力なくして迷いは晴れない、ということになるだろう。ところが悩みは、どれほど努力しても晴れない。このへんが明確な違いだろうか。
 さて、彼女の解説では、悩みは深さがあり、迷いは浅い、という。違いが明確ではないが、印象としての捉え方である。こんなことを考えてみたこともなかったが、彼女の迷い、悩み、それとも何なの、という顔を見ていて思いついた疑問であった。きのうも停止した姿を見て、「悩んでるの、迷ってるの」と思わず聞いてしまった。
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