Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

郵便事業の落日

2005-10-09 01:07:08 | 農村環境
 最近ポストの中身をみていて、届けられるものが必ずしも郵便ではないことが多い。今日の郵便物を見れば、半分はメール便の類である。とくに学術ものは、経費を少なくしたいがために、早くからメール便に変更してきた会もある。そんななか、飯田市の公共機関の手紙に、物流サービスがかかわっていた。以前にもそんな便を見たことがあったが、これは民間会社が発送代行するという仕組みのやつである。なぜ代行するなんていうシステムができあがったか知らないが、もしかして、印刷物を折って封筒に入れて郵便局へ出す作業をしているのだろうか。と思ったが、佐川急便の料金表には、梱包は差出人が行なってくださいとあった。セキュリティー問題もあるが、梱包もやったらけっこう商売になるのではないか。200g以下で110円というが、これは郵便料金込みなのだろうか。メール便にしてもそうだが、こうした流れを見るにつけ、郵政は民営化されることで、どうなるだろうと心配になる。おそらく、郵便事業も民間に駆逐されて、もしかしたら、自民党でも民主党でもない、それ以外の小さな政党が唱えているように、地域の郵便局は壊滅的に消えるかもしれない。郵便局がかかわっていた部分なら、仕事になりそうかもしれない。今までも何度も言ってきたが、民営化が悪いわけではないが、かつてのように地域に金が落ちるとは限らない。かつてタバコがこれほど冷たく見られる以前は、「タバコは地元で買ってください」と行政が唱えていた。地域に金が落ちるからだった。そう考えると、ただ安いからといって大型店を支援したり、外部資本に傾いていくのがよいことだろうか。たとえばローカル線の利用者が少ないが、あたりまえといえばあたりまえである。公共機関を使わずに車を使うのだから。ノーマイカーデーなんていうのも、環境に配慮する部分もあるだろうが、公共機関を利用することで、そうした機関を継続させていこうという意図もある。身近にあるものを大切にする、そういう気持ちを例えば自然などの環境だけではなく、さまざまな部分で捉えてみてほしい。金銭感覚で物事を排除していったら、本当に地方は終わりなのだから。そう考えれば、飯田市の公共機関が郵便は利用したものの、民間代行サービスに頼るのはいかがなものだろう。もっといえばそんなことを代行サービスに頼むな、と思う。
 高くても地域を使う。そういう気持ちがかなり薄らいでいる。数年前、PTAの役員をしていたとき、懇親会があると、なるべく地域(学区内)の店を利用していた。しかし、若い役員さんの中には、○○で買った方が安いし品揃いも多い、というようなことを言う人もいた。いずれ世代が変わればそうなるのだろう、とその時思ったが、果たしてそういうことを継続して伝えていかなくて良いものだろうかと思った。いや、伝えてもその世代の人たちだけになれば、わたしの願いとは裏腹に、何もかも変化してしまうだろ。若い人たちが自らそれでいいと判断することだから、それはそれでよいのだろうが、なぜこういうことになってしまうか、そう反省すると、やはり、わたしたちの親の世代の伝承放棄がその原因ではないだろうか。
 さて、郵便の先はないだろうと、わたしは結論付ける。厳しくまたつらいが、一つ地域の顔を失うことになる。
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