Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

安らぎのとき

2005-10-13 08:15:26 | つぶやき
 一日の中でもっとも安らぎを覚えるのは、もちろん眠りのときである。しかし、眠りというのは、突然襲ってきたりして、必ずしも心地よい眠りの前を過ごすことはできないことも多い。常に一日の課題を持ち、今日はその課題をこなせたのかどうかを省みる。そうした時間を眠りの前に過ごせると、たとえ一日が思うようにいかなかったとしても、「明日はなんとかしよう」と気持ちの切り替えもできる。どんなにいやなことがあってもである。そして、家中が動き出すことで、朝を覚え、新しい日が始まる。その始まりが、通常と違がったりすると、眠りが浅かったりする。たとえば朝が早かったり、行事があったりと、気を使うような日が次の朝に待っていると、眠りが浅かったり、何度も目を覚ましたりする。わたしだけではないだろう、誰でもそうなのだろうが、布団の中は安らぐ。だから寝起きが悪かったりする。しかし、時を刻まれるほどに、時計を何度も見てしまうような朝は、やはり、時間の制約がある場合で、休日の朝ほど布団の中の気持ちよさを感じるときはない。
 そうした眠りの世界にあって、常に月曜の朝は、ここでいうように、通常の朝とは異なる。それは、単身で赴任地に出かける朝だからである。眠りについても、何度か目が覚める。わたしは比較的眠りが深い方で、朝までの途中で目が覚めることはめったにない。ところが、月曜の朝にかけては違う。何度か目が覚めたり、あるいは時計が気になったりする。心地よい時間を過ごせるはずの眠りの世界だか、週に一度、こんな眠りの世界に陥ることに、損な気分になる。たとえば、自宅にいて、よく朝早かったり行事があって目が覚めたりするのとはまた違う。そして、明らかに損をしていると思うところは、自らの正直なところである。こんなことをいつまで続けるのだろうとも思う。それなら日曜日に赴任地に出かけたらどうかということにもなるが、それでは日曜の夜を損したような気分になる。公平な人事などといってもなかなか皆が同じようにもいかない。ましてや、仕事がなくなれば仕事のあるところへ行くしかない。家の近所でも、会社が統合されて遠隔地しか職場がなくなってしまい、やはり単身赴任をしている人もけっこういる。昔なら、会社を辞めて違う働き口へ移るということになるのだろうが、会社しか収入の源がないとなれば、そして、なかなか働き口がない世の中となれば、それを望むことは冒険にも近い。いずれにしても、そうした損な安らぎの時間を、なんとかしたいとも思うがどうにもならない。そうした境遇にある人しかわからないことである。
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