Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

川で遊ぶ

2005-10-19 08:10:33 | 民俗学
 信濃毎日新聞の特集記事「天竜川と生きる」にヤナ漁が掲載された。現在天竜川でヤナ漁が行われているのは、紹介された上伊那郡中川村の天の中川橋近くで行われているものだけである。10年ほど前、中川村三共で天竜川漁協の組合員で、ヤナ漁をされている方に話を聞いたことがあった。本人も漁協の組合員であるが、昔のことを思い出しながら、かつては誰でも天竜川で魚を採ることができたといい、今では漁協の鑑札がないと採れなくなってしまい寂しいというようなことを話された。とくに特殊な漁法については、長野県漁業規則なるものがあって、規制が多く、誰でもできるものではない。新聞記事でかつての経験談を話されている40代の男性は、わたしの高校の時の同級生である。彼が言うには、「小学校二年生ころから、地域『川は危ないから遊びに行ってはいけない』といわれるようになってしまった」という。そして、「川に行くと学校で怒られた。そう教えられたから、同世代は今も川には来ない」という。こういう規則のようなものは、今も変わらずあちこちにあるが、わたしの小学校のころのことを思い出すと、そんな規則があったかどうか思い出せない。中川村のすぐ近くであったが、よく天竜川に行って遊んだことを思い出す。以前にも少し触れたが、わたしの家は支流の与田切川の氾濫原にあった。だから、伊那谷を襲った昭和36年の梅雨前線豪雨災害では、床下浸水をした。その後も子どものころには、雨が降ると堤防が決壊する心配がしばらくはあった。現在では河床が下がって、そういう心配はなくなったが、かつての暮らしは川とのかかわりがずいぶん深かった。もちろん、新聞で同級生も触れているが、氾濫後には河原に流木が流れてきていて、それを拾って来てたき物としたものである。その与田切川には、毎日のように遊びに行ったものである。そして、天竜川の合流点までの間は庭のようなものであった。合流点のことを「吐き出し」といったもので、吐き出しの天竜川には島があって、その島によく登ったものであった。その島と対岸の中川村南向との間は、川が比較的緩やかになっていて、深い淵があって、夏にはそこへ泳ぎに行ったものである。天竜川で泳ぐのは禁止だったのかもしれないが、明確には覚えていない。
 新聞の記事を読む限りでは、かつての子どもたちが寄り集まる姿が、本来の川の姿であったように記述しているが、それほど深い意味があったわけではなく、遊びといえば、とくに男の子には「川」か「山」が対象の空間であったように思う。それは、稲作の時期には田んぼは遊びの場としては利用できなかったし、今のように荒地というものが少なかったわけで、自ずと川とか山という空間が空いている空間だったといえる。天竜川右岸の片桐田島の大正14年生まれの男性は、天の中川橋の向こう(左岸)に小さな店があって、子どもたちの遊び場だったという。小さな小屋にヨシズを立てかけて歳をとった爺さんが投網を編んでいたもので、その人をみんなアミリキサと呼んでいたという。子どもたちはそこへ集まっては網を編むのを見ていたが、左岸側の大草や葛島(かつらじま)の子どもたちも来たという。集まって見ているだけで、何も買わないものだから爺さんに何回も追い払われたという。川が地域の境界にあるということもあって、よその子どもたちと共有する場所でもあった。三共の大正8年生まれの男性は、右岸の片桐と左岸側で水あびの場所を争って喧嘩をしたという。泳ぐ場所は自然と別のところで分かれていたが、泳いでいるうちに近くに寄っていき喧嘩になったという。天竜川という空間をはさんだ両岸の子どもたちが争うということはよくあって、そうした時に石を投げたり悪口を言い合ったりしたという。
 このように、川は①遊びの場、②境界域にあることが多く、ほかの地域の人とのかかわりを持つ場であった。そして、川の中だけが対象域ではなく、川を渡ることで、冒険心を広げていったようである。互いの地域から川を渡り、段丘を登り、よその土地のスイカなどを盗んで食べるというようないたずらもしたという。さて、わたしはどうだったかといえば、与田切川も天竜川も対岸は絶壁になっていて、対岸を越えてその先まで足を伸ばすということはなかった。もちろんそんな環境だったから、対岸からよその子どもたちがやってくるということもなかった。それでも、対岸の絶壁の中でも少し緩く、でこぼこがある場所を狙って、その崖を登ったこともあった。高さにして30mくらいはあっただろうか。そういえば崖を登りきるあたりの地層に、土器が埋もれていて掘り出したことを思い出す。中学、そして高校となるにしたがい川への興味はなくなり、また忙しくなって遊びに行くということはなくなったが、近年、兄の息子が、よく川へ行って虫を採ったりしている姿を見て、いかに自分の住む空間を、子どもたちが上手に利用できるかは、子どもたちの創造性にゆだねられるものであって、けして、現代の子どもたちが規則で川を身近に感じなくなったとは思えないのである。
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