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小説で時事ネタがいけない理由

2005-08-04 20:20:04 | 小説、創作文芸関連
 ちょっと「ライトノベル作法研究所」さんで掲示板にレスしようとしたら思いついたので、ちょっとコラムにしてみたいと思います。

 基本的に小説では――特に、新人賞などに送る作品の場合――「時事ネタ系はタブーである」という話を、誰でも耳にしたことがあると思いますし、また、このことについては、僕も同意見です。
 これは一体、どういう事なのでしょうか?

 新人賞に送る作品は全て、ある程度の執筆期間や審査期間があって、それをくぐりぬけた作品が初めて、世に送り出されることになります。
 ところが時事ネタというものは生ものであり、ちょっと時間を置くと、すぐに人は冷めてしまいます。執筆期間や審査期間の間には、既に忘れられた存在となっている事でしょう。そうなった場合、いくら興味のある(あった)話題であったとしても、「この元ネタ何?」という事になってしまいます。

 さらに言うと「時事ネタ」というのは極めて料理の難しい素材で、まず、時事ネタをやる際には「その事件についての思想的立ち位置を明確に」しておかなければなりません。
 たとえば現在、杉並区で歴史教科書採択問題に関して、賛成派、反対派両方の市民団体がデモを行うという事態になり、直接対決も起こっています。
 この事件を扱おうと思ったら、まず「賛成派か反対派か」の立ち位置を明確にしておかなければなりません。「どっちでもない中立の立場で」などと言うのは「日和見主義」と非難されかねないのです。
 そして立ち位置を間違えると、世間から凄まじいまでの非難をされることになります。つまり、「おまえの考えは全面的に間違っている!」として、以降、その作品のみならず作者までも、社会的信用を失ってしまうということになりかねないのです。

 こういった問題を解決することは、まず不可能です。だから、時事ネタを行うのはタブーであるということになっています。
 ただ、たとえば薬害エイズなどのような、「わかりやすくて、そして極めて大きな問題」であるなら、いっそのこと徹底的に取材し尽くして、それから「ノンフィクション」として書くならば、作品の出来に応じた正当な評価が得られるものと思いますが……ちょっとそれは、一介の作家志望者には酷ですね。

 ―ROCK DA HOUSE[Club Mix] / FIRST WAVE VS DJ KRID.Pを聴きながら―