PowerGun ブログ別館

日記、小説と書評、音楽、その他管理人の趣味によって成り立つブログ。

ちょっと雑文

2005-09-30 18:24:27 | Weblog(日記や雑記)
 最近、暇を見つけてはCGIとPerlの勉強をしていました。

 これははっきりと言うと、小説総合サイトでよく存在する「小説投稿系掲示板」について、機能面で様々な不満を持っていたからです。

 例えば。
 基本的に僕は、小説投稿の掲示板で、一週間をおかずに連続で投稿する人を、荒らしとしか思っていません(長編の分割投稿を除く)。まともに小説を書こうと思ったら、どんな短いものであれ、プロット(企画)>執筆>推敲>公開までの過程で、一週間をかけないなんて事は、無いと思っています。

 また、現在の小説投稿系の掲示板では、小説の長さを、枚数と言う形でチェックする事はありません。そのため例えば「ある所定の枚数で収める努力」というのが、どうしても軽く見られてしまいます。

 まだまだ欲求はあります。例えば「小説投稿掲示板なんだから、あらすじの書き込み(表示)機能が欲しい」とか「ジャンル表示/選択機能」とか「三題噺対応機能」とか「点数隠し機能」「ランキング表示機能」とかとか……。

 だったらそう言ったものを造ればいいじゃん! という風に考えて、CGIとPerlの勉強をしているわけです。
 丁度、スーパーダッシュ新人賞に応募するための小説に一区切りついたところなんで、この勉強が結構な(推敲前の)クールダウンになるんじゃないか、という事を考えていて、それではじめたんですが……。

 上手くいけば、11月までにはテスト版を公開できそうです。

 今のところは、表示部分について完成させたところです、これから、ファイルの操作関連について、手をつけようと思っています。
 しかしここからが一番難しいんだなあ……正直。
 今までのは結構簡単だったんですが、問題はこれから。ファイル削除とかいろいろ考えないと。

 しかしまあ、新人賞に応募する小説のほうが第一ですし、また、年末の「富士見ヤングミステリー」に投稿するための小説も、そろそろ手をつけるつもりなので、ちょっと遅れる事もあると思いますが……。
 時々は開発状況をアナウンスできたらいいなあ……とか思っています。

 ―X-MAN STORY / JACKY 'Oを聴きながら―

感想を書く側の資質(上)

2005-09-29 19:08:24 | 小説、創作文芸関連
 小説を――否、あらゆる創作物は、それを造って公表すると、大抵の場合『感想』或いは『批評』がつきます。
 こればっかりはどんな状態でも(プロだろうがアマだろうが)異論を挟むことは出来ないと思います。うちのサイトでも、本館(PowerGun)で公表されている小説に対して、少ないながらも(本当に少ないんだよ……泣)感想や批評はついていますから。

 本館の『創作概論』のところでも書いてはいますが、感想や批評はどんなものであれ、その作家の技術力や構成能力などの向上に役立ちます。
 これは、作者だけではなく、読者にも言えることです。
 真剣に書いた感想や批評というのは、感想を書く側にとっても、文章力や構成力の向上に役立ちます。


 ところが最近では、その事をあまり重視していないような感想や批評を、所々で見ることができるようになりました。ただ自分の作品に感想をつけてもらいたいばっかりに、さしさわりのない堤燈感想を書く人や、ただ自分の意見を押し付けたいだけの人、無自覚な誹謗中傷……小説サイトを十件巡れば、7~8件くらいは、そんな感想ばっかりのサイトに出会う事が出来ます。

 そんな感想を書く人間に、まともな文章を書くことが出来るわけが無いと、個人的には思っています。
 感想を書くのにも構成能力が必要ですし、何より、その作品の真贋を見抜く能力が必要です。また、酷評する際には気遣いが必要ですし、良い作品にはきちんと良いと言える素直さも必要になります。
 そして、そういった能力は、一般社会でも十分に役立つものであると、個人的には思います。

 しかし、堤燈感想や中身の無い酷評には、どう考えてもそういったことを考えて書いているとは思えないものが多いです。
 つまり、まともな心構えの出来ていないまま、自分の作品に感想をつけてもらいたいがばかりの堤燈感想や、或いはストレス解消を目的としたような、全く中身の無い感想を書く人が、やたらと多くなりつつあります。

 こう言った感想は、正直止めて欲しいとすら思います。
(この項続く)
 ―BANG BANG BANG / JOE BANANAを聴きながら―

ちょっと毎日でいい記事があったので紹介。

2005-09-28 21:50:23 | スポーツ・格闘技
 今日はもうブログを更新するつもりは無かったんですが、たまたまいい記事を見つけたので紹介しますね。

 ラリー見聞録:モータースポーツと死、そしてローブの決断(MSNニュース)

 マルコ・マルティン選手のコ・ドライバーである、ミカエル・パーク選手の事故死についての話です。
 この記事を簡単に要約しますと、大体以下のような感じです。

 ○ 近年では安全性が高くなったので、レースでレーサーが死ぬことはまれになってきた。
 ○ しかし、レースで人が死ぬことは、ある意味当然である。だからこそモータースポーツなのだ。酷な言い方をすれば、レーサーは全員、死ぬことを折込済みで考えている。
 ○ それが恐ろしいならば、レーサーになんかなるもんじゃない。だからこそ「命の重さ」が重要視されるのだ。

 という感じの論点を踏まえた上で、今回のセバスチャン・ローブの“自発的降格”事件についても、以下のような論を提示しているのです。

 ○ ローブの気持ちも理解できないではないが、しかし本当にプロならば、このレースで勝ってチャンピオンを決めるべきだった。当て馬のような形になったソルベルグの気持ちを考えているのか。
 ○ 但し、現実の問題として、シトロエンとプジョーの関係(シトロエンとプジョーは同じグループに属している)から、このレースが宣伝効果をもたらすとは思えない。だから、ローブの行動もある意味、理に適っているといえなくはないか。

 個人的には誰が悪いと言う事では無いと思いまが、あちこちで見た報道では、前述の死亡事故発生の直後、ローブがソルベルグと話をした上で、このことを決めたように思います。つまり、ソルベルグはローブの「自発的降格」について、ある程度了承していたものと考えています。
 ただ、ここで問題になるのは、ローブの取った行動です。ローブはここで撤退という立場を取らずに、自発的に「TC区間での早着ペナルティ」を受けています。
 本当にローブが「死者の出たレースでチャンピオンを決めたくない」と思ったのならば、チームからのペナルティを受ける覚悟で、棄権するという道もあったはずだと思います。そちらのほうが潔いし、何よりローブに対する評価も、そのほうが断然良かったはずです。
 無論、ローブほどの立場のドライバーになれば、ある程度チームからも要望はあるはずだと思います。しかし、その事を考えても僕は、ローブの取った行動を評価できないです。
 チームと自分の感情で、折り合いをつけようとするのが、ちょっと気に食わないのです。個人的にはここで棄権するか、或いは非常にトップを守り、優勝を決めてしまうのが良かったと思うのですが――いかがでしょうか。
 チームのことを考えるなら、優勝するべきだった。
 自分の感情を大事にするなら、ここで棄権するべきだった。
 僕は、そう言う風に考えています。

あれより悪いものがあるのか……。

2005-09-28 19:02:07 | Weblog(日記や雑記)
 正直これにはびっくりしましたね。

 アジア・欧州経済情報:9月16日ドイツ 中国車「陸風」、安全性に疑問も(Google キャッシュ)
 買ってはいけない、中国車:あなたの知らない方が良かった世界

 ここまでくると中国車って、ダイソー辺りの100円ショップで買えそうな気がしますね。ていうか、そこでしか売れないでしょう。
 前にヒュンダイ・ソナタのことを皮肉ったとき紹介した記事で、「韓国車はサンドイッチと同じ値段」だとか「韓国車に乗るより歩くほうがマシ」とか言われているのですが、これは流石に日本でも、ダイソー程度でしか売る事は出来ないでしょう。
 ブレーキ性能は最悪、走行安定性も駄目、挙句は燃費8.6キロ……。

 これでSUVってのが信じられないです。
 中国側は「本国では問題ない」とか言っているらしいですが、しかしこんな車、本国でも売れてんのかいな。……もしかしたら中国は人口抑制の為に、この車を売る事を奨励しているのかも(汗)。

 まあしかし、日本車だって最初は欧米からカス呼ばわりされていたんだし、事実そうだったんだから、こう言った安全性能のことは、別にどうでもいいんですよ。日本車はそれをバネにして、今じゃ世界的にも最高のレベルにまで達した車になったんですからね。
 しかし問題はそのあと。
 こんな車を売ろうとして、いざ製品の悪さ指摘されたら居直って、「中国じゃ安全性能をクリアしている」とか言ったって、誰も聞いてはくれないですからね。

 とりあえずは日本で、この車が売られない事を願おう。

 ―LOST IN TIME / MIKE DENGERを聴きながら―

どこに「こだわる」か

2005-09-27 20:26:15 | 小説、創作文芸関連
 まあ、このブログで何度も話題に挙げていますし、また、創作関連サイトではかなり有名なサイトなんで、知っている方も多いと思いますが。

ライトノベル作法研究所』さんで、今日付けでUPされた「テクニックの弊害を克服するには?」という記事が、極めていい記事でした。
 この記事の話については、うちのサイト(本館)でも何度か書いたものなんですが、簡単に要約すると、以下のような感じです。

 ・テクニックは重要であるが、そればかり重視するとオリジナリティが壊れる。
 ・しかし、オリジナリティばかりに目が向いても駄目。テクニックが無いものは駄作でしかない。
 ・オリジナリティとは勘違いされやすいもの。自分ではオリジナリティがあるつもりでも、他人から見れば既存の焼き写しにしか過ぎないことが多々ある。
 ・そのパラドックスを破る一つの方法に「こだわり」がある。

 確かにその通りだと思いましたね。

 しかし、ちょっと気になったのが一つだけありました。
 それは最後の項目――パラドックスを破るのに「こだわり」がある、という点です。
 個人的に思うのですが、上記の記事ではこの「こだわり」に関して「専門的知識の活用」という意味合いで書かれているような感じです。しかし、こういった「専門的知識」は、使い方を間違うと駄目駄目な作品を送り出す元になってしまいます。
 小説を読む人にとって、専門的知識などどうでもいい事です。確かに専門的知識によってリアリティを出す効果もありますが、このさじ加減を間違うと「うざい小説」を送り出す元になってしまいます。

 専門的知識に頼らずとも、十分なオリジナリティを出す事はできます。

 例えば「文体へのこだわり」というものもありますし、「心理描写へのこだわり」もあります。「キャラクターの感情のこだわり」というものもありますし「設定へのこだわり」というものも存在します。

 どれもこれも全て「こだわり」の話ですが、個人的にはこう言った場所でこそ「こだわる」べきだと思います。専門的知識は誰でも勉強すればすぐに身につきますし、そもそも「専門的知識」に「こだわって」いては、まともに作品を書けなくなると思います。

 この点も結構難しいのですが、少なくとも専門的知識に関しては、個人的にはあまり「こだわる」べきではないと思うのですが――どうでしょうか。

 ―ROCK IT / RADIORAMAを聴きながら―

迷惑メールって……。

2005-09-26 19:56:50 | Weblog(日記や雑記)
 スパムメールが最近、やたらと多く届くようになりました。
 何だか解らないけれど、特にエロ系の奴が多いです。恐らくは有料アダルトサイトやら、有料出会い系サイトの類だと思いますが……。

 まあ、サイトを興すときや日記をブログにしたときに、本メールアドレスで登録しましたし、こう言ったものが来るのは、ある意味仕方の無い事として諦めています。

 しかし、こう言ったスパムメールを送って、実際に読んでくれる人ってどのくらい居るんでしょうか?
 殆どの人は、読まないと思います。だって僕がそうだからね。よくある系統のタイトルについては受信拒否していますし、なにより、うちのサイトではメールフォームを使っているので、ネットで知り合った方々からのメールはそこから届きますから、身に覚えのないメールマガジンは即削除という方針を貫いています。

 あれの宣伝効果って、殆どゼロだと思うんですが……みなさん、どうお考えですか?

 ―Goodbye Japan / Newfield-Moroni-Sinclaireを聴きながら―

思いっきり間違っている。

2005-09-25 20:45:02 | Weblog(日記や雑記)
 韓国のヒュンダイという自動車会社が、日本進出の第一弾として、ソナタという車をデビューさせました(リンク先はYahoo! Autos)。
 最近あちこちで、韓流スターの元祖であるペ・ヨンジュン氏を起用したCMが流れるようになり、ちょっと気になったので(韓国車って他にどんなのがあるのか、という興味から)調べてみたのですが……。
 まあ、この事についての論評を言う前に、ちょっと下の車の事を見てきて欲しいと思います(リンク先はいずれも、Yahoo! Autos)。

 トヨタマークX
 日産フーガ
 ホンダアコード

 因みに上記の車は、いずれもソナタと同クラスの排気量&価格帯の車なんですが……。

 ヒュンダイって、マーケティングという言葉の意味が解ってるんでしょうか?

 ペ・ヨンジュン氏の主要ファン層は、日本では基本的には40代以降のおばさんたちです。日本では最も車に興味の無い世代です。しかし、そのペ氏をCMのメインキャラに据える……何だかおかしくないですか?
 そもそもこう言ったタイプのミドルセダンは、どっちかと言えば渋いおじさん向けです。純粋に車の全般性能&外見と内部のデザインで車を買う、一番シビアな世代です。
 単純にスポーツマシンにしたり、価格設定を安くしたりすれば売れる世代ではありません。極めてシビアな目つきで見る世代に対して、あのCMは明らかに間違っています。

 さらに言うなら性能も、上に挙げた車種には遠く及びません。前に「ヒュンダイの車は日本車の半値じゃないと見向きもされない」と酷評された事がありますが、まさしくその通りです。
 イギリスBBC放送ではヒュンダイ自身がこんな風に酷評され……。

 正直あらゆる意味で、ハンドルを握りたくない車ですね。

 そこで一言。
 いくら安い車が欲しくても、ヒュンダイだけはやめとけ。

 ―NIGHT FLIGHT TO VENUS / KING & QWEENを聴きながら―

「訊くべきではない」質問

2005-09-24 21:45:31 | 小説、創作文芸関連
 このブログを起こしてから既に数ヶ月、時々は、こう言うことを言わないといけないんだなあ……という風に感じています。

 さて、タイトルどおりの話です。

 つまり、このブログでも一度触れ、本館のほうでもコラムとして取り上げ、また、あちこちで事あるごとに言っている事ではあります。
 Web上の創作文芸サイトではよくあるのですが、例えば「小説を書くためには何をすればいいんですか?」とか「今度○○のような作品を書きたいんですが教えてください」系の質問は絶対にするな、という事を、事ある毎に言ってきました。
 はっきり言って、こう言った質問をするくらいなら、小説なんか最初から書くべきではないと思っています。
 小説とは基本的に、自分で面白いと思うものを書きます。ところが上に挙げたような質問というのは、その大前提を捨て去っているのです。

 前にライトノベル作法研究所で、上記と同じ趣旨の発言を問題定義として書いたところ、何も理解できていないような連中からは非難ごうごうだったのですが、しかし、大半の方々からは好意的に受け取ってもらいました。
 ただ、好意的に受け取ってくれた人からも「言い過ぎだ」という声がありましたが、僕としては言い過ぎだったとは思っていません。というのも、この意見に関しては、例として質問を取り上げたり、「貴様に小説を書く資格など無い」くらいのことを言って、敢えて挑発的にやらないと、絶対に「受け取ってもらいたい人に」受け取ってもらえないからです。
「俺はこの意見には当てはまらない」と思う連中は、大概僕の想定した「受け取ってもらいたい」層に含まれています。そんな人たちに、柔らかく言って伝わるでしょうか。
 伝わるべくもないです。なぜなら、こう言ったネット上では、名指しで批判されないと、そのことに気付かないケースが多いからです。
 無論ここで「なにくそ」と思って反駁するなら、ある程度望みはあります(まあ、反駁されたって再反論することは出来るんだけどね)。しかし、反駁になっていない反論のような形で、変な詭弁のような事を言われると、こちらとしても反論する気概すら失せます。

 では、ここで、小説創作相談などで、絶対に人に訊くべきではない――或いは書き込むべきではない質問を、大別して書いておきます。

・なんでもかんでも『教えてください』
・自分のセンスに関わることを、他人に助言を求める。
・十人十色の回答が出る意見について、他人に意見を求める。

 共通するのは全て「自分で調べること、自分で答えを求めること」を「他人に求めようとする」という事です。

 何度でも言いますが、小説を書くことは(というより、物語を創作する事は)自分の考え出したものの面白さ、自分のセンス、自分の思想を、不特定多数の人にぶつけることです。
 それが多くの人に受け入れられると言う事が、つまり「世の中の人間にとって面白い」と言う事であり、受け入れられなければ「面白くない」という事になります。
 しかし、この前提すら理解できていないと、上に例として挙げたような質問をすることになります。
 だから僕は、「質問する前に、少しは自分で考えろ」という事を、事ある毎に言っているのです。

 ―NEEDIN' U II / DAVID MORALES presents FACE feat. JULIET ROBERTSを聴きながら―

K-1WGP TV観戦の感想

2005-09-23 23:22:34 | スポーツ・格闘技
 ぶっちゃけ何であんな、見る価値の薄い試合をメインに持ってくるのか(TVの話)。

 正直、カラエフとかゲーンノラシンとかを見たかった。やっぱある程度以上の重量級になると、テクニックも糞も無いし、途中でスタミナ切れちゃうし……。

 この試合で一番凄かったのは、やっぱりシュルト。グラウベ・フェイトーザを完封するテクニックは、ただ身体がでかいだけじゃないって事を印象付けさせてくれる。
 韓国人と芸能人(笑)は駄目だ。やっぱり結局は身体がでかいだけだし。シュルトほどのテクニックも感じられないしね。

 どうでもいいが、韓国人は絶対、一回戦で武蔵とやりたがると思うに3ペソくらい。

 ―S.O.S. (Love To Rescue) / Dee D. Jacksonを聴きながら―

推敲と校正の違い

2005-09-22 20:18:26 | 小説、創作文芸関連
 現在、本館のノベルページのほうでUPしている「魔導伝綺(仮題)」ですが、数日前に本格的に、SD新人賞に応募するための推敲の作業に入りました。

 結構個人的に「ここの表現何とかしたいなあ」とか「こいつのキャラ、良く出てないな」なんて言うことが結構ありますが、あまり苦戦せずに終わりそうです。ただ、後半部分は殆ど書き下ろしたようなものなんで(当初はアクションシーンは殆ど無かった)、後半でかなり、いろいろと変更しないといけないかな。
 ことによったらアクションシーンを幾つか見直す必要もあるかもしれない。

 それはさて置きとして。

 皆さんは「推敲」と「校正」の違い、わかりますか?
 どうも創作HOW TO系のサイトでは、うちも含めて「推敲」の事しかやっていないケースが多いのですが、前に某所の創作掲示板で「推敲と校正」と、明らかに分けて言っていた人が居たので、ちょっと気になって調べてみました。

すいこう ―かう 0 【推▼敲】

(名)スル
〔唐代の詩人賈島(かとう)が、「僧は推す月下の門」の「推(おす)」を「敲(たたく)」にしようかと迷って、韓愈の助言で「敲」にきめたという故事から〕詩文を作るとき、最適の字句や表現を求めて考え練り上げること。
「―を重ねる」「原稿を―する」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

校正【こうせい】

(1)印刷で,仮刷りと原稿とを照らし合わせて,文字の誤りを正し,体裁を整えること。
(2)計測機器に表示される値と,それに対応する既知の値(国際標準など)との関係を,特定の条件下で確認する一連の操作。
〔(2)は「較正」とも書く〕

三省堂提供「デイリー 新語辞典」より

 いずれもGoo! 辞書よりの引用ですが、これを見る限りでは、『アマチュアが新人賞などに応募する原稿』という観点からすれば、校正という言葉は完全に無視でいいと思います。
 というのも、校正作業云々って、これを見る限りではプロのやる事、広義にはネット上で小説を公開する際にやることのような気がします。
 つまり、校正という作業は「誤字脱字のチェック」のみで、推敲というのはそれを含めた「表現、描写、ストーリーのチェック」という風に取れるのです。

 言葉の意味合いからして全く違いますね。

 ―BOOM BOOM TOKYO / LUNAを聴きながら―