……何だか昨日の記事に対して寄せられた意見での反論で、このコラムを通じて言いたい事の結論を言ってしまったので、本来これ以上を書くべきではないのかも知れないですが。
まあいいや。とりあえず書きたいことを進めていこう。
これまでにもこのブログでは何度も「愚かしい質問」に対して、「本来は出来るだけ質問しないのが正しい」という事を言ってきました。
簡単に纏めると、技術的、心理的なもので迷うならば兎も角として、調べれば簡単にわかる事や、自分の作品の設定やネタに関する事まで他人に聞くものではないと言う事です。
これまでこのブログで書いていた結論は「『自分で調べ、自分で考えること』を丸投げにするのは良くない」と言う事でしたが、しかし、これには字面だけの意味ではなく、極めて重大な意味があるのです。
文字化せずとも解りそうなものですが、自分の『個性』を他人に丸投げする事で、本当に創作できるのか? と言う事です。
僕が最も言いたいのがこの『個性』です。
村上龍とかあの辺りの論説になりそうでちょっとアレなのですが、創作で人に『面白い』と言わせるには、やはり個性が必要です。
しかしこの『個性』というのは、それぞれにありそうで、以外にも殆どの人に存在しないものなんですが……。まあ、それはさて置いて。
創作するからには、他の人に無い個性が、やはり必要です。
それが本来、その人が創作するための理由であり、また、その人の作品に滲み出る「独特の味」ということになります。
しかし、安直に自分の設定(のネタ)やセンスなどについて質問しようとするのは、言い換えるならば『僕には個性が無いのですが、どうしたら個性が出るのでしょうか?』と訊いているようなもので、本来は答えようが無いものなのです。或いは『甘ったれるな!』と怒鳴りつけるか。
個性の作り方など、本来人に教えられるものでは無いのですし、人から教えを請うものでもありません。しかし、これが許されてしまうとやはり『創作における冒涜』とまではいかなくても、一歩手前くらいにまでなっているのではないか、という風には感じます。
本来ならばこの時点で注意する事をしておかなくてはならないのですが、それが多少厳しくとも、本当に創作したいと考える人ならば、意識改革の一助になるでしょう。僕がこの問題に触れるとき、多少言葉を厳しくするのは、そう言った理由からです。
しかし一方で、その事についてあまり考えていない回答者の方もいらっしゃいますが、これもやはり、上記と同じ理由で、あまり歓迎できる傾向では無いと考えています。
創作活動自体を無自覚に冒涜する人間に(周囲が)してしまうか、或いはその手前で(誰かが悪者になって)気付かせるか。
どちらがその人の為になるかは、言わずもがなでしょう。
―Papa's Got A Brand New Pigbag / THUNDERPUSSを聴きながら―
まあいいや。とりあえず書きたいことを進めていこう。
これまでにもこのブログでは何度も「愚かしい質問」に対して、「本来は出来るだけ質問しないのが正しい」という事を言ってきました。
簡単に纏めると、技術的、心理的なもので迷うならば兎も角として、調べれば簡単にわかる事や、自分の作品の設定やネタに関する事まで他人に聞くものではないと言う事です。
これまでこのブログで書いていた結論は「『自分で調べ、自分で考えること』を丸投げにするのは良くない」と言う事でしたが、しかし、これには字面だけの意味ではなく、極めて重大な意味があるのです。
文字化せずとも解りそうなものですが、自分の『個性』を他人に丸投げする事で、本当に創作できるのか? と言う事です。
僕が最も言いたいのがこの『個性』です。
村上龍とかあの辺りの論説になりそうでちょっとアレなのですが、創作で人に『面白い』と言わせるには、やはり個性が必要です。
しかしこの『個性』というのは、それぞれにありそうで、以外にも殆どの人に存在しないものなんですが……。まあ、それはさて置いて。
創作するからには、他の人に無い個性が、やはり必要です。
それが本来、その人が創作するための理由であり、また、その人の作品に滲み出る「独特の味」ということになります。
しかし、安直に自分の設定(のネタ)やセンスなどについて質問しようとするのは、言い換えるならば『僕には個性が無いのですが、どうしたら個性が出るのでしょうか?』と訊いているようなもので、本来は答えようが無いものなのです。或いは『甘ったれるな!』と怒鳴りつけるか。
個性の作り方など、本来人に教えられるものでは無いのですし、人から教えを請うものでもありません。しかし、これが許されてしまうとやはり『創作における冒涜』とまではいかなくても、一歩手前くらいにまでなっているのではないか、という風には感じます。
本来ならばこの時点で注意する事をしておかなくてはならないのですが、それが多少厳しくとも、本当に創作したいと考える人ならば、意識改革の一助になるでしょう。僕がこの問題に触れるとき、多少言葉を厳しくするのは、そう言った理由からです。
しかし一方で、その事についてあまり考えていない回答者の方もいらっしゃいますが、これもやはり、上記と同じ理由で、あまり歓迎できる傾向では無いと考えています。
創作活動自体を無自覚に冒涜する人間に(周囲が)してしまうか、或いはその手前で(誰かが悪者になって)気付かせるか。
どちらがその人の為になるかは、言わずもがなでしょう。
―Papa's Got A Brand New Pigbag / THUNDERPUSSを聴きながら―
レスポンス。そして、今回の記事を読んではっきりとわかりました。貴方は私のように、あえて敵になりたいのですね? 悪者になっている自分が好きな人種なのですね?
> この点からして、既に認識が違います。
> 本来創作活動は、他人を傷つけ、自分を傷つけるものです。
> 自分ではそう思わないかも知れないですが、どのようにしたところで、自分が書いた作品で傷ついてしまう人というのは、『必ず』出てきます。
この時点で、貴方は自分が怠け者だということを露呈しました。
『他人を傷付けない様に勉強するのが面倒だから、だれかれ構わず傷付けてしまえば良い』と、結論を出したのです。
そして、本格/新本格ミステリーに殺人はつき物とのことですが、毎度のことながらうわべだけの知識で物を引用しないで下さい。
ミステリーは殺人を主としたものではなく、殺人を取り巻く人々の心情、動きを表現するジャンルです。メインは人の『心』です。
必ず誰かしらを傷付けることがわかっているのに、貴方は開き直って傷付けることを選んだ。
大抵のまともな神経をしている作家ならば、『なるべく傷付けない様に』日々精進を重ねる。
公の場で晒す心構えとは、だれかれ構わず傷付け、結果、自分が傷付く覚悟を決めることではありません。
人を傷付けることが前提で物を書く貴方は、やはり辻斬りです。
私と貴方は徹底的に道を外してしまったので、貴方を説得することも不可能でしょうし、当然のことながら貴方の理論を受け入れるつもりもありません。
ただ、私はまだ貴方を理解していないので、もう少しだけこの茶番に付き合っていただきたいと願います。
今日の記事に対するレスです。
『個性』貴方の大好きな、抽象的なステータスです。目で具体的に見えないものですから、優劣を自己申告制だと感じているようです。
貴方の今までの記事を読んでいると不思議で仕方が無いのですが、今まで他人と議論を交わしながら創作活動をなさったことが無いのでしょうか?
プロットから完成まで、誰の目にも触れさせず、全て自分の中で自問自答を繰り返し、完成させてきたのでしょうか? 失礼かどうかはわかりませんが、とりあえず私にはそういったイメージがわきます。
貴方の他人に対しての刺々しさ。
そして、『相談』という行為に対しての嫌悪。
私がそう感じた大きな理由は上記の二つです。
> しかし、安直に自分の設定(のネタ)やセンスなどについて質問しようとするのは、言い換えるならば『僕には個性が無いのですが、どうしたら個性が出るのでしょうか?』と訊いているようなもので、本来は答えようが無いものなのです。
これは貴方の邪推です。
ただ単純に、
『こんなの思い付いたけどどう?』
『アー、良いんじゃない?』
『ここを直したらもっと良くなるんじゃない?』
こんな風に話を展開させたかった質問者に対して、貴方は『どうやって個性を出したいのか聞いているんだな』と勝手に邪推し、相手を批判しているのです。
ここでもやはり思います。貴方はやむを得ずではなく、今の僕のように、故意的に他人を傷付けているのだと。
個性が他人に教えられるものではない、まして、他人が教えられるものではない。まったくもってその通り、貴方の意見で唯一共感できました。
しかし、ここで新たな疑問。貴方は、教えられるはずの無い個性を、自分なら教えられると感じていませんか?
これはまったくの私個人の邪推ですが、貴方の文脈からは、そう読み取れます。
そして個性について。
人に相談したり、改稿したりで失ってしまうような個性なら、それは個性ではありません。
どうも貴方の定義する個性は、僕の定義する個性よりも少し手軽に手に入る物のようです。その代わり、手放してしまうことも容易いようですが。
> 創作活動自体を無自覚に冒涜する人間に(周囲が)してしまうか、或いはその手前で(誰かが悪者になって)気付かせるか。
どちらがその人の為になるかは、言わずもがなでしょう。
これを明記してしまった貴方には、あえてこうして苦言を強いられている私の気持ちが、それこそ痛いように解ると思います。
そして、やはり貴方は怠け者です。
悪者になるのは簡単です。言いたいことを言うだけです。
気付かせるだけなら、悪者になる必要は無い。それなのに、あなたは他人を思いやるのが面倒なので、『悪人になっている自分はかわいそうだ』と言い、他人を傷付けるのです。
最後に。
私には、『貴方を』思いやる意思は全くありません。
それでは、レスポンスをお待ちしています。
Triple-I様は、創作は他人を幸せにするモノにあらず、他人を、そしてあまつさえ自身を傷つけるモノだとお考えなのですね? では、どうしてあなたは創作活動をなさるのでしょうか?
刺々しい言い方になってしまっていたらごめんなさい。でも、本当に分からないです。
創作が「他人を傷つけるモノでもあり、幸せにするモノでもある」のでしたら、秋葉様のおっしゃる通り、なるべく他人を傷つけないよう、そしてなるべく多くの人を幸せにできるよう努めるのが、物書きたらんとする、ということでございましょう。
しかし、もし創作が純粋に「他人を傷つけるモノ」でしかないならば、私は明日にでも小説を書くのをやめようと思います。
非常に混乱してしまいましたので、是非、Triple-I様のお考えをお聞かせ願いたいです。何か、このカキコについてお気に障ることがありましたらすみません。
それでは、失礼します。
正直言うと、あなたの言う事について、これ以上レスを返す事は無いと思っています。
というのも、あなたの反論は恣意的な(悪意を持った)解釈の元で成り立っており、こちらの意見を汲んだものだとは、到底思えないからです。
この文をどう思おうが、あなたの勝手です。
> dropsさん
他人を傷つけない創作活動というのは、出来ないものではないですが、極めて厳しいものであると考えています。
誰かさんの言うような『だったら誰彼構わず傷つけてしまえ』という事は考えていませんが、そう言うことを考え出したら、そもそも創作というものの存在価値すら失ってしまいます。
「傷つけないように書く」「傷つけるように書く」という考えの時点で、既に自分で両手足に枷をつけてしまっているのです。
創作(面白いものを書く)というのは、本来創作者の自由な意思や思想などの発露です。と同時に、その自分の創作物で、誰かが傷ついてしまったり、または誰かが癒されたり、という事は、絶対に逃れられないものなのです。
例えばの話、思想や主義とは無縁なファンタジー小説であったとしても、登場人物の誰と誰を結びつけたと言う事で、それに対して非難する人が居るということです。しかし、だからと言って恋愛色を廃したら、それでは作品自体に変化や勢いが無くなっていってしまう事になるでしょう。そんなことで、本当に面白い小説など書けるわけはありません。
「傷つける」「傷つけない」以前の問題に「作者が最も『面白い』と思ったものを書く」。
その事を絶対に忘れないようにしてください。