欽二の「重荷」を受け取って、なぜか宇八の方もすっきりして、これまで書いた分を捨て、『オフェルトリウム』を一から書き直し、男声2人、女声2人の四重唱として改めて書き始めた。最初の3行を男声2人で、次の3行を女声2人で歌い、残り4行は2行ずつ、バスとソプラノ、テノールとアルトでそれぞれ分担するという形で作曲した。
出来上がったものをルーカス神父に見せたのは10月の半ばだった。神父はざっと見ただけで目を輝かせて、
「とてもすばらしいです。シンプルで、深みがあって。『深い淵から』の歌詞に寄り添うようなチェロ。“et semini ejus”(その子孫に)のところからのフーガを金管とティンパニーが控えめに彩るところが伝統にも合致していていいですね。……来週の水曜日に東京に行くんですが、ご一緒しませんか?」
「それはいいチャンスだ。行きましょう。いいな?」
傍らの栄子に念を押す。彼女も神父のお誘いとあらばへそくりをはたいてでも準備する。その時、時木茉莉の姿が目に入った。身体の具合が良くなったのか、久しぶりに教会にやって来たようである。会釈する彼女に、宇八はふと思いついて、
「今度、晩飯でも食べませんか? 百合さんや仲林君も一緒に」と声を掛けた。
「そうですね。……では、わたしか、姉の方から仲林さんにご都合を伺って」
すんなりと返事が返ってくる。仲林がスポンサーなのもわかっているらしい。
結局、それは次の週の金曜日ということになった。つまり水曜日の朝に神父と一緒に上京し、一泊して戻って来て、次の日の夕方にはご会食という、彼にしては忙しい日程だ。
新幹線の中で宇八と神父はほとんど話をしなかった。神父はドイツ語の分厚い本を読んでいたし、窓際に座った宇八は子どものように風景をずっと見ていた。
6年ぶりの東京は大して変わりばえしないように思えた。かつては債権者から逃れるため、今は作曲家としてカトリックの神父とともに、東京に現われた宇八はしきりに大あくびをしていた。
青山の貸会議室のようなところで、『聖書を読む会』のメンバーに神父から紹介された。神父の前でもあるので、さすがの宇八もあまり変わったことを言わないように注意しながら、全体の構想を説明した。『イントロイトゥス』とできたばかりの『オフェルトリウム』を隅にあったアップライト・ピアノを神父に弾いてもらいながら、試奏した。途中からピアノの周りに集まってもらって声楽の部分を歌ってもらった。神父は調律が狂っているのが気になっているようだった。
どうもこいつらは何を考えているのか、よくわからんな。お行儀の良さそうな5、6人の男女を見ながら、彼は思った。
会合が終わると、歓迎会ということで表参道のレストランに連れて行かれた。神父も一緒なので、白ワインを一杯ずつという(彼には)物足りない食事だった。ルーカス神父は聞き役に徹しているらしく、会のメンバーに話を促す。いちばんよくしゃべったのが40くらいに見える植村美沙子だった。「テレビの仕事」という言葉が何度も出てきた。他人の反応を気にしているらしく、視線を絶えず動かしているが、そのくせ人の言うことは表面的にしか捕らえていないと彼には感じられた。他には中央官庁の役人で30そこそこの安田博子と更に若そうな椎名俊夫がいた。安田が「霞が関でこき使われています」と自己紹介して、どこの省庁なのか言わないのがもったいぶっているようで、かえって生意気だと思った。
有名人に取材をし、打ち合わせをし、生番組でのハプニングをどう収拾するかといった苦労話に見せかけた自慢話を植村がすればするほど、宇八は、テレビって奴は肝心要の自分を見えなくさせるものだなと思った。霞が関の2人の話は、要は自分たちのような優秀な頭脳を酷使して、国民のために日夜働いているのに全く理解してもらえないと愚痴っているだけだった。誰々さん(有名なタレントの名前なんだろうが、そんなものは宇八は知らない)って実はこうなのよ、へえわからないものですね。そうなのよねえ、わたしたちって報われてないのよねえ。三人で狎れあった噂話と内輪話ばかりだった。
ああそうか、こいつらが何を考えているのかがわからないんじゃなくて、こいつら何も考えていないんだ、知識を詰め込んで吐き出すしか能がないんだと、グラスの半分ほど空けたところで、宇八ははっきりと理解した。そうするとこの食事がますますつまらなくなった。
ところが、植村たちが目線とわずかな言葉で交わしていた内容は、会話にすればこうだった。ルーカス神父が連れて来た遠来の客だと思って、折角こっちからいろんな話題を振ってやっているのに、この風采の上がらない中年男はいっかな反応がない。大方、いきなり東京の真ん中に連れて来られて萎縮してしまっているのだろう。ちょっと作曲ができるといっても、これじゃあ、わたしたちも協力のしがいがない。だから田舎者はいやなんだ。……
神父の夜は早い。羽部も一緒にホテルに引き上げて、さっさと寝た。次の朝、帰る際も口を開くと「神父さんはあんな連中も受け容れて、心が広いですなあ」などと憎まれ口を叩いてしまいそうなので、終始ほとんど口を開かなかった。ルーカス神父は、相手がしゃべらなければ何時間でも無言でいられるのだった。沈黙は神父という職業にとって必須の徳目である。