すべてがデータになる前に(12)
時間っていうのは、ふだんはよくわかってるものだけど、いざ何だろって考えるとわかんなくなるって言った人がいたそうだ。よく考えたんだなってことはよくわかる。何かが時間を超越した概念だって言っても、そういうことって思い浮かべられるのかな。概念ってもの自体が、時間の中に埋め込まれてるって思うけどね。論理展開を時間的継起と無関係に考えるって簡単じゃないだろ?
時間は川が流れるみたいに流れない。時間が川だとしたら、水はなんだ? 変わっていく物質、意識、概念……そんな水に川のことがわかるのか? どこからどこへ流れるんだ? 上流は過去で下流は未来か? それが見えるのか? 過去は消えてしまったし、未来は未生だ。あるのは現在という0次元の点。それは時間の否定だろ? それが動いていく、湖のボートみたいにって言うんだったら、あんたはどこから見てるんだ?……
まあ、いい。ぼくはコンピュータのことを考えている。コンピュータは人間になれるかっていう、古典的なことになるかな。でも、誰もわかっちゃない。ふつうのPCには時計が入っている。でも、それは絶対必要なものでもない。ログを取ったり、決められた時刻にコマンドを出したりするのに必要なだけで、はずしても動作に問題はない。コンピュータにとって時間は外からくっつけられたものなんだ。腕時計をつけた人が時間をわかっていて、はずすとわからなくなる、そのまま寝ちゃうと永遠に起きられなくなる、それがコンピュータだ。
真っ暗闇に閉じ込められて、時計がなくても人間ならそんなことはない。かえって時間を強く意識するよね? 眠る前にもう二度と目覚められないかもしれないという怖れをもったことのない人はいないだろ? あれは時間が戯れに人の心を鷲摑みにしているんだ。
時計は時間を測るものなのか? 物の長さを物差しで測るように。20cm。じゃあ、時計は? 7:18っていう0次元しか示していないじゃないか。0:18から7時間経ったっていうのは計算しないとわからない。見えていない。遅刻しないようにとかで、時計を進ませている人がいる。体重を気にして体重計を狂わせたりするのと同じなんだろうか。
時計は一定速度で動くものであれば何でもいいんだ。時間は時計の外にある。いつも決まった時間に散歩する哲学者が街の人の時計代わりになったって話が好きだ。時間について思索をめぐらせる哲学者が時計になるなんて。
時間はものじゃない。だから、時間がないとか、あるとか言うと意味にずれが出る。ものでいちばん近いのは、鏡だ。鏡の正確な絵を描いてください。もちろん鏡だけしか描いてはいけません。……
ああ、コンピュータの話だったね。人間が教え込んだことを忠実に実行する奴隷。教え込まれたことを繋ぎ合わせて臨機応変してくれる執事。でも、人間が腕時計をつけてあげるしかないのにコンピュータは時間をわかってくれるだろうか? 「ああ、いい香りの花だね」「そうですね。私もデルフィニュームは好きです」そんな会話ができれば十分なのだけれど。
まーちゃんがひらひらしてる。ぼくは君とコンピュータで人間のことを学んだ。他の連中はジャンクなデータしか送ってこない。君は何でもわかっている。言葉なんかに頼ってものを考える薄っぺらさをぼくは知った。言葉なしで考えることはどうしてもできないんだけど、その奥にあるものはわかるようになった。太陽って言葉で、まぶしくて目をそむけるようなものかな。今日はすっかり晴れている。ぼくは嫌いだけど、君はいい気持ちみたいだね。
見習いナースが傍に座って何か世話を焼こうとしている。そんなにピリピリを巻きつけてまーちゃんが疲れるって思わないのかい? 自分がよだれを拭いてあげて記録に書くことができたと思っているのかい? ジャンクなデータ。何かを学ぼうとしてここにいるんじゃないのかい?
まーちゃんがひらひらすると、時間が動き出す。でも、まーちゃん、今日の明け方、あの女が死んだんだよ。時計をはずしたまま寝ちゃったんだろうか?
上下反転すると鏡像と手がぴったりと合わせられないから。
では、なぜ左右は逆転するのか?
逆転しないと鏡の中の自分に握手され、そのまま引きずり込まれるから。
ちなみに僕は眠る時、起きられなくなるのが怖くなることはなくて、むしろこのまま起きられなくなればいいなあ、なんて考えることの方が多いですね~。