夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

今日聴いた音楽~Schumann:Kreisleriana,Fantasiestucke

2005-05-08 | music

 シューマンはロマン派中のロマン派だと思います。文学や哲学との深い関連による標題性、完成よりも感性wのひらめき、詩人の恋などの自己陶酔的な傾向、そして何より才能あふれる妻。それでいながら悲劇的な最期となったことなどなど、まことにロマンティックな人です。オペラやシンフォニーやピアノソナタよりも、室内楽やピアノの小曲、歌曲に真価を発揮していると思います。シンフォニーやピアノ・コンチェルトを聴くと、オーケストレーションははっきり言ってブラームスより劣り、ショパンよりはましといった程度ですが、その才気煥発さには敬服します。
 学生時代のゼミで、ロシア思想の泰斗の教授が「最近はラフマニノフがよく感じるようになった」とおっしゃったのに、クラシックを聴き始めの小生意気な学生が「ラフマニノフなんて二流じゃないですか」と言ったのに対し、「三流だよ」と悠然とお答えになったのを憶えています。その伝で言えば、シューマンは二流の音楽家といったところで、minor poetと呼ぶのにこんなにふさわしい人もいないと思っています。minor poet――日本の詩人で言えば中原中也がこの称号にふさわしいでしょう。ゆや、ゆよーん。何もバッハやモーツァルトのような一流だけが音楽ではないのであって、二流の音楽であればこその味わいがあるというものです。念のために申し上げておきますが、二流というのは天才の中での話ですから、シューマン・クラスの才能が今いるのか、私は寡聞にして存じません。
 さて、今回のアラウのCDで初めて幻想小曲集の「夢のもつれ」を聴きました。わはは……。いやあ、確かにこれは「指のもつれ」と音大生を嘆かせるのもわかります。アラウもだいじょうぶ?って訊きたくなるよう感じだし。こんな曲だと知ってたら、このブログの名前も違ってたかも。でも、遅い部分は好きですね。よくわからなくてw。
 クライスレリアーナはドイツのロマン派文学のこれまた代表のE.T.A.ホフマン(この人も一筋縄ではいかない人です)に関係があるそうで、続けて聴いているといかにもFantasieふうの気分がいっぱい味わえます。様々なイメージと連想が立ち上がり、広がっていく……これがシューマンにしかない世界、幻想的であっても曲の中できちんと収まっているショパンやドビュッシーとは根本的に違う世界なのです。しかし、その中の下行音型には後年の悲劇の予兆がうずくまっているようにも感じられます。


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