This Is The Way I Am

ただし。が、気まぐれに、日常にて考えていることを綴ってみます。

ありがとう、ゼミのみんな。

2006年03月20日 23時28分27秒 | Weblog
ゼミで、追い出しコンパを兼ねた合宿に出かけた。


久しぶりに後輩達と会い、
久しぶりに同期と会い、
久しぶりに先生と会い、
そして、別れた。


正直な話、すごく仲が良い、と言えるほどに、
後輩達との絆は、深めることが出来なかった。
接点が無かった、と言えば、それまでだし、
自分達で、その接点を作ろうとしたけれど、
結果的に、設けることが出来なかった。


皆に、追い出される中、それだけが、悔やまれた。


同期と、夜通し語ったり、くだらないテンションで盛り上がったり、
「今」という瞬間を、ひたすらに生きることも、もう無いのだ。


合宿初日(19日)に、フランス料理を、気取って食し、
飲み会ではゲームに語らいに、卒業式に、盛り上がった。
後輩達は、感動するくらいに、追い出しコンパを盛り上げてくれた。
そして疲れたまま、夜明けまで、同期と語り合い、話し込んだ。

そのまま20日になっても、同期と、眠いままにお茶をし、
ランチを食べて、それでも、また語った。


そういった、「無茶」を出来る日は、もう残りわずかなのだ。
次の日を気遣わずにオール出来る日なんて、もう、そうそう来ない。
それが現実だ。


「またねー」って、いつものように、別れる。
その「また」がいつ来るのか。
今までのように、気が向いたら会えるわけではない。
毎週月曜日に、ゼミの教室で、会えるわけでもない。

ただただ、生活は変化を遂げていき、
皆、それぞれに、新しい環境へと突入していく。
「名残惜しい」という感情が、嬉しい。
旅立ち、別れる時の、寂しさも、悲しさも、
すべては、今の居場所が心地よいから、生まれるのである。


かつて、アメリカで生活していた頃、
両親の口から、「日本に帰国する」と聞いた時、
僕は現地の生活に何も未練なく、嬉しさに飛び上がって喜んだ。
寂しさも、悲しさも、なく、
ただただ開放感に幸せを感じた。
生きる希望を見出した、と言っても過言ではない。

当時は生きている、その状況、環境が、あまりに辛かった。
旅立ちし、別れる時に、寂しさも、悲しさも感じなかった。




春の陽射が暖かい。
ただただ、眠気に襲われながらも、
「ゼミ」という居場所で、自分らしくいれたことに、感謝していた。

皆で手を振って、別れた。



もうすぐ卒業式だ。