コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

お涅槃に因んで 西行法師

2019-02-20 | life
前号のつづきです。講話の中で西行法師の歌にも触れました。
以前にも書いていますが、如月は、お涅槃の月。まず頭に浮かぶのが西行法師です。
そして、思い出すのは「北上河原♪」ではなく(w)、この歌です。
  ねがはくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ
 如月・2月と言っても当時は旧暦なので、現在の太陽暦ですと3月の中旬頃かと。
釈尊のお涅槃はその日、望月は満月の意味なので、ちょうど2月15日になります。
拙訳しますと「私の願いは2月15日の満月、つまりお涅槃の頃に、桜の花の下で死のう」という歌です。ちょうど桜が花盛りを迎える時期です。実際はお釈迦様に遅れること1日でしたが、時空を超えて、敬慕して止まない釈尊の後を追われたのです。建久元年(1190)2月16日と伝えられています。南大阪は河南町にある、弘川寺という、桜や紅葉の美しいお寺で73歳の生涯を閉じました。
ご存じ百人一首のこの歌も西行さんの代表的な歌ですね。
  嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
読み手が「なげけとてー」と発するや、絵札の「かこち顔なる」を、さっと取りましたね。今は昔、私の娘も百人一首の北陸大会などに出場していた頃が懐かしく想われます。
「月が私に、嘆けと言って物思いに耽らせるのだろうか。いや、そうではなくて月のせいにして 流れる出る私の涙なのです」。まあ、そのようなところかしら。
そうなんです。この涙は失恋の涙なのです。西行法師は出家前は北面の武士で、鳥羽上皇の御所を守っていました。その頃、17才年上の中宮(璋子)に思いを寄せていました。彼女は恋多き女性だったとも。でも、叶わぬ恋、それが出家の一因とも言われています。出家後も中宮の夢を見たことから作られた歌だそうです。西行さんは文武両道に勝れ、なかなかのイケメンだったと言われています。
ところで、yo-サンの出家のきっかけは?って。もう昔のことなので・・・。もし、失恋がきっかけでしたら、何度も出家していないといけなくなりますが。
・・・つい、脱線してこのような恋の話も。ご参会の皆さま、お顔キラキラ、まさに光顔巍巍( こうげんぎぎ)でした。仏法の話よりいいって。それでは、つづきは次回に。
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2 コメント

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良いお話を (kei)
2019-02-20 17:21:50
「涅槃雪亡き母偲ぶ忌明けかな」
「亡き母の四十九日や雪の果」
寂しさは何年経っても変わりませんが、法要を重ねるごとに少しづつ心が癒され、
よみがえる思い出とともに気持ちが慰められるような気がします…。

婦人会で西行法師の歌を引かれてなさったyo-サンのご法話に、皆さん良いお顔をなさってらしたのですね。
「良いお話やったなあ」と皆さん口々にでしたでしょうね。
こういう時、亡き義母は大きくうなづきながら「ほんまやなあ、ほんまやなあ」と相槌を打っていました。
皆さんと心を近付け合い、大きく包み込むように…。これは義母の魅力の一つでした。

「光顔巍巍」をこのように使えばいいのですね(笑)
お話に心打たれたゆえということでしょう~。

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kei さま。どうも・どうも・・・ (yo-サン)
2019-02-21 21:08:28
ありがとうございました。いつも温かなメセージにとてもうれしく存じております。
>寂しさは何年経っても変わりませんが、法要を重ねるごとに少しづつ心が癒され、・・・
身にしみて拝読いたしました。同じお念仏に通じるお方からならばこそ一入です。

また、亡きお義母様の「ほんまやなあ、ほんまやなあ」のお声が耳に響いてまいります。
私ごとき、とても法話とは申せませぬが、講話にしろ講演にしろ、つい、相槌を打って下さる
方のお顔を見させて頂きお話してしまいます。「ほんまやなあ、ほんまやなあ」や相槌を
打つことは、カウンセリングでも何よりの共感的理解なのですねぇ。
有難いお話は専門のお坊様にお任せして、私の願いと言いますか、根底にありますことは、
今一度、お釈迦様や、親鸞聖人に返りたいということなんです。すみません。これぞ、まことに
釈迦に説法でした。ほんとうに、どうも有難うございました。
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