コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

フタリシズカ (二人静・ににんしずか) のこと

2017-06-05 | Weblog

(画像はWikipediaより拝借)

雑草の二人静は悲しけれ一つ咲くより花咲かぬより

晶子の歌である。今は昔、いと若かりし頃、初めてこの歌に接した時、咄嗟に意味が解らなかった。
恥ずかしながら一人静も二人静も知らなかったのである。その後、静御前を知り、静を主題とした謡曲「二人静」にも辿り着いた。

さて、この歌の意味であるが、そのまま読めば、二人静の花は哀しい、一つ咲いていたり、花がなかったりするよりも、ということである。ふつうならば一つにしろ二つにしろ花があった方がよいように思うだろう。だのに晶子は二人静は哀しいと詠む。
それはやはり静御前と義経との物語が背景にあるからである。恋とはそういうものである。命がけの恋や悲恋を経験した者には心に迫る歌である。(意味深長かな)
しかし、初句の「雑草の」であるが、少し気にかかる。ふと思い出したが、かつて昭和天皇は「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。」と仰ったそうである。(当時の入江侍従長さんの追想録だったかしら)それはともかく、もっとよい表現はなかったのだろうか。雑草だからこそ哀れを誘うのかも知れないが。

4月7日に「ヒトリシズカ」について記した。その時に「フタリシズカ」にも触れようと思ったのだが、割愛した。
山道でヒトリシズカを示した方はその時「フタリシズカもあるんですよ」と言ったのだが、近くには咲いていなかったので見ず終いであった。いつか見てみたたいものだと思っているが、なかなかその機会に恵まれずにいる。

  

(忘れざり花にも二人静あり 中村汀女)

実は先日、「NPOあのの」の代表世話人さんから、尾張の老舗菓舗「両口屋是清」の銘菓「二人静」(尾張地方ではこのお花を「ニニンシズカ」と呼び、お菓子は「ににんしずか」と読ませるそうである)を頂いた。口の中で上品な甘さがふわっと広がる和三盆のお干菓子である。
この季節、フタリシズカは茶花にも用いられるようである。久々にお抹茶を点て独服した。風炉などお蔵入りが久しいので、ポットのお湯でさらさらと。(w)
この代表世話人さんはとても風雅な方で、私の公開講座などの時にも会場に季節の植物を配したり、素敵な演出をして下さる。つまるところ、気遣いが出来るというか感性の豊かさだと思う。

 



という訳で、今回はフタリシズカ(二人静・ににんしずか)に因んでのお話でした。
梅雨入りも間近に、皆様お健やかにと念じて今宵はこれにて。

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