コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

ひとの心

2019-02-01 | life
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。

UPが少し遅れてしまったが、今年も誕生日のお花が届いた。母が身罷った時にも、その方から白くて清楚なお花を頂いていたので、今年の誕生日は固くご辞退のつもりだったが、すっかり失念していた。いつもより控えめなお花だが、春の野に光を浴びるようで癒される。この方はカウンセリング・マインドの持ち主である。つまり、共感的理解「もし、自分が相手だったら」と考える。私の心境を察して下さって余りある。贈り主に心の中で何度もお礼申している。母が好んだ水仙の花の横に置いた。

賀状を頂いていた方や、失礼させて頂いた方などに寒中見舞いを出した。すると、ある方から「喪中お見舞い」にと、私の好物が届いた。お悔みのメールも頂き、歌が一首添えられていた。 
   水仙の仄かに香る仏壇に二人の母の冥福祈る  である。この方も同様に昨年お母様を亡くされている。
彼女は「短歌や俳句などは知らないのですが・・・」と謙遜されるが、時々歌や句を添えて下さる。歌人や俳人然とした人よりも、彼女のように気負わず自然に詠める人が私は好きだ。この方は若狭地方・風光明媚な三方五湖の近くにお住まいである。お目に掛かることは多くはないが、いつも笑顔で、お話しぶりもとてもやさしく、お会いするとホッとするような、「和顔施」の方である。私は、
  み仏となりましし母 お浄土の苑に聞くかな水仙の香を などと詠んだものの、イマイチなのでまだ返歌も出来ずにいる。
人生、辛さや哀しみの時にこそ他人(ひと)の心、情けが身に沁みるものである。
 閑話休題 
<ご質問のお返事に代えて>
ある方からメールで「米沢先生は最近よく、清沢満之先生についてお話しされますが、清沢先生とはどのような方でしょうか?」とのご質問を頂きましたので、ちょっと記させて頂きます。
私は、若い頃「歎異抄」を読み、親鸞聖人の教えに導かれました。その後、暁烏敏(あけがらす・はや)というお坊様を知りました。(書籍を通してですが)その暁烏師の師が清沢先生でした。勿論、お二方のお名前はよく存じてはいました。
長くなりますので簡単に申しますと、清沢先生は、近代的な意味において、親鸞を再発見された方と言われています。しかし私は、清沢先生は親鸞よりも親鸞らしい方(パラドクスでゴメンナサイ)だと思っています。私の辿ってきた仏道行脚の行き着いたところです。

以前にも記していますが、ご縁とは不思議なもので、先年、私の畏友から「絶対他力道」、続いて「清沢満之文集抄録」をご恵贈に与りました。画像は、彼がその「抄録」に書いた「あとがき」の一部です。彼とは、時にはお酒を酌み交わす間柄でもありますが、彼は谷大時代に晩年の暁烏師の講演を聞いたことがある言います。私はずっとそのことを羨ましく思っています。


清沢先生の「他力の救済」の一文です。いずれの文も私には難しいですが、読書百遍何とやら、で読み続けています。

下の画像は「絶対他力道」の目次面です。この本も決して易しくはないですが、清沢先生の「お文」を理解するのにはとても役に立ちます。執筆者は、曽我量深師、暁烏敏師、そして金子大栄師など錚々たる方々です。こちらも「読書」は未だ30遍にも及びませんが・・・。


曽我量深師は清沢先生のことを「先生の御恩は祖聖親鸞に匹敵」、「真宗再興の上人たる蓮如を遥かに上回って超え」とも言われます。私はこの文面に接して、我が意を得たりと、しみじみと味わった次第でした。
本書は清沢先生50回忌の時の記念講演録的なものなので、先生讃仰(さんぎょう)でもありますが、貴重な一冊であり、正に読書は邂逅(かいこう)だと再認識致しております。
十分なるお返事には至りませぬが、これからまた、折々にお話しさせて頂きたいと思います。立春は間近となりましたが、本当の春はもう少し先かと存じます。どうぞ皆様、お身体一入お健やかにと念じております。どうもありがとうございました。

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