東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

キリスト教

2023-08-11 23:43:18 | 日記
 黒船が来て日本は開国したらしいけど、江戸時代の藩も嘘臭いし、明治維新の話は嘘の気がするけどなあ。
 
 千葉県にあった佐倉藩の藩主だった堀田正睦は黒船が来た後に阿部正弘から老中首座を譲られたらしい。堀田正睦はアメリカ総領事のハリスと交渉して、日米修好通商条約の調印のために孝明天皇の勅許を得ようとしたみたいだけど、無理だったらしい。井伊直弼が幕府の政治の権力を握り、堀田正睦は幕府の政治から追い出されて家督を譲って隠居したらしい。
 
 安政5年(1858年)に日米修好通商条約が結ばれたみたいだけど、滋賀県にあった彦根藩の藩主だった井伊直弼は大老に就き、天皇の勅許無しで日米修好通商条約に調印し、その後に反対派を粛清したらしい。安政の大獄というらしい。井伊直弼は桜田門外の変で暗殺されたらしい。
 
 日米修好通商条約が結ばれた後、ジェームス・カーティス・ヘボンというアメリカ合衆国長老派教会というところのキリスト教の宣教師で医者の人が日本に来たらしい。高橋是清と林董と益田孝という人はヘボン塾で学んだらしい。本当か知らない。益田孝という人は三井物産の初代社長で、日本経済新聞の前身の中外物価新報の創刊者らしい。
 
 ジェームス・カーティス・ヘボンという人のヘボンはヘップバーンと同じらしいけど、ヘボンという人は日本に来て横浜に住んでいたらしい。ヘボンは日本で最初の和英辞典の和英語林集成を編纂して出版し、ヘボン式ローマ字というローマ字表記を考案したようだ。ヘボンは明治時代の聖書の翻訳にも関わってるらしい。ヘボンという人は明治学院の創立者らしい。
 
 明治35年(1902年)に日英同盟が結ばれたようだけど、林董は日英同盟の調印の時の日本の代表だったようだ。林董は駐英公使だったようだけど、明治36年(1903年)にフリーメイソンに入会し、次の年には日本人初のロッジ・マスターになったようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。林董は第一次西園寺内閣で外務大臣、第二次西園寺内閣では逓信大臣を務め、外務大臣も一時兼任したようだ。林董は千葉県にあった佐倉藩の出身ということになってるらしい。
 
 林董は蘭学者で医者の佐藤泰然という人の息子で、蘭学者で医者の林洞海という人の養子になったようだ。佐藤泰然は順天堂の開祖らしい。佐倉藩の藩主だった堀田正睦は蘭学を奨励し、順天堂を開かせたようだけど、順天堂が順天堂大学になったんでしょうか?。
 
 後藤新平は第二次桂内閣と第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣では内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣でも内務大臣に就いたようだ。本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、後藤新平はフリーメイソンらしい。後藤新平の次の逓信大臣が林董で、その次の逓信大臣も後藤新平らしい。
 
 逓信省は交通や通信や電気など幅広く管轄してたみたいだ。逓信省は太平洋戦争の後の昭和24年(1949年)に廃止になり、郵政省と電気通信省が新設されたらしい。第三次吉田内閣の時に省庁が再編されたらしいけど、小沢佐重喜という人が最後の逓信大臣で、初代郵政大臣と初代電気通信大臣を務めたようだ。小沢佐重喜は奥州市の水沢の出身らしいけど、小沢佐重喜の息子が小沢一郎だそうだ。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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