暖かい初夏の雨の朝、曇り のち 雨、最高気温26℃(-6)、洗濯指数40夕方までにはなんとか乾きそう、傘指数100かならず傘をお持ちください、との予報。
朝からしとしとと雨が降り続き、気温が上がらず、室内では肌寒さを感じるほどの涼しさとなった北摂。
今日は雨なので医者からも言われてるように、外出は控え、久しぶりに「チャーシュー」作って、久しぶりと言うのは、最近手ごろな肉が手に入らなかったので、久しぶりに入手したことでもあります。
そしてPCに向かって、ブログネタつくりに精を出そうと思うのですが、なかなか進まない状態、あとは例によってだらだらゴロゴロの怠惰な生活、ああ情けないですね。
今日の1枚の写真は、とっつあんちの団地の庭に咲いている、白い輪のように目立つおしべをつけた「ヘラオオバコ(箆大葉子)」です。
「ヘラオオバコ (箆大葉子、Plantago lanceolata)」は、オオバコ科オオバコ属の植物でで、ヨーロッパ原産の雑草、日本では帰化植物です。
細長いへら状の葉を水平から斜め上に放射状に伸ばし、その上へ茎を幾本もひょろひょろと30から50センチくらいに伸ばして花の穂をつけます。
穂には小さな花が密生しており、下から上へと次々に咲き上がっていき、穂の周りに細い糸に支えられてつき、白い輪のように目立つのはおしべです。
オオバコより大きく高いが、オオバコのような踏みつけ耐性はないです。
江戸時代末期に侵入したものとされ、その後広く日本全土に分布を広げ、畑地、道端、果樹園、河川敷、牧草地、荒地などに耐乾性があるため広く生育します。
名前の由来はオオバコ(大葉子)の仲間で、葉っぱの形が葉は細長くて毛深く、粘土遊びに使うときの「箆(へら)」に似ているのでついたようです。
もともとオオバコ(大葉子)の名の由来は、「オオバ」は「大葉」で道端に咲いている野草の中では、大きく思ったのかこういう名がついたが、最後の「コ」の由来が面白く、童謡で歌われている「ドジョッコだぁの」、「フナッコだぁの」の最後の「コ」と同じで、何処か愛嬌を込めてつけられたみたい…。
花言葉は、「繊細な美」「惑わさないで」「素直な心」です。
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明日5月29日(丙寅 ひのえとら 仏滅)
●「こんにゃくの日」
こんにゃくの種芋の植えつけが5月に行われることから「こん(5)にゃ(2)く(9)」の語呂合わせで全国こんにゃく協同組合連合会が1989(平成元)年に制定しました。
本格的な夏を迎える前に、こんにゃくの効用や機能性を再確認して健康に過ごして欲しいという願いも込められています。
こんにゃくは、主成分の食物繊維などがコレステロールの低下に役立つといわれています。
●「国連平和維持要員の国際デー」
2002年の国連総会で採択。国際デーの1つです。
国連平和維持活動(PKO)にかかわった全ての人の献身と勇気を称え、PKOで命を失った人々を追悼する日です。
●「呉服の日」
全国呉服小売組合総連合会が「5」「2」「9」を「ゴ」「フ」「ク」と読む語呂合せから制定。
各呉服店などで「もッと和服を着ましょう」とPRを行ないます。
ちなみに「きものの日」は11月15日です。
●「エベレスト登頂記念日」
1953(昭和28)年の今日、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイが、世界で初めて世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)の登頂に成功したことを記念して設けられた日です。
8848メートルの世界最高峰に立ったのは、午前11時30分のことです。
ネパール人のシェルパ=テンジンとともに、世界の最高点を極めました。
ちなみに、ヒラリーの本業は養蜂家だったそうです。
しかし、1999年の5月、イギリスの登山家ジョージ・マロニー氏の遺体がエベレストの8290メートル地点で75年ぶりに発見されました。
マロニー氏は、1924年にエベレスト初登頂を目指し消息を絶っていたのですが、遭難が登頂成功後であれば初登頂の記録は書きかえられることになります。
●「幸福の日」
世界の人々が幸せに平穏に暮らせることを祈って「幸福の日」を制定したのは、インターネットなどでグリーティングカード、慶弔関連ギフトなどを販売している株式会社ヒューモニーの長谷川博之氏です。
「幸せになりたい」「幸せにしたい」メッセージの公募などを行います。
●毎月29日は、「肉の日」です。
●「白櫻忌,晶子忌」
歌人・詩人の与謝野晶子(よさのあきこ)の1942(昭和17)年の忌日です。
歿後に出された最後の歌集『白櫻集』に因み、「白櫻忌」とも呼ばれます。
与謝野晶子は、大阪府堺市の中心にあった和菓子商の家に生まれ、店の帳簿つけや店番をする傍ら古典文学に親しみ、弟とともに短歌結社に入会しました。
明治33(1900)年文学美術雑誌「明星」に作品を発表し、与謝野鉄幹と出会い翌年上京、結婚。
その年に刊行した処女歌集『みだれ髪』で多くの注目を集め、「明星」の代表歌人となり、その後も多くの詩歌集を刊行、「君死にたまふこと勿れ」や「山の動く日」などの詩も発表。
100号まで続いた「明星」廃刊後、夫とともにヨーロッパ旅行に出かけ、日本女性の未熟さを感じ、帰国後は女性として人間としての権利に焦点をあてた評論集を刊行、文化学院の創設にも深く関わるなどの教育活動にも力を注ぎました。
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