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雨上がりの寒い冬に朝、曇り 一時 雨、北西の風やや強く強風注意報発令中、最高気温15℃(+1)、洗濯指数70残念!厚手のものは乾きにくい、との予報。
心配していた雨も止み、たっぷりの日差しに気温も上がり比較的過ごしやすかった北摂。
今日は茨木の阿為神社で蹴鞠の会を見学するため、往きはバスで、帰りは歩いて、ほぼ1万歩。
抗がん剤の2日後なので体調はよろしくないのですが、毎年恒例になっているので頑張って行ってきました。
皆さんの活発な動きを見ているととっつあんも元気いっぱいいただけ、歩いて帰ることができました。
と言うことで今日の1枚の写真は、毎年恒例の、茨木市安威の中臣(藤原)鎌足ゆかりの阿為神社の「蹴鞠の会」の一場面です。
茨木市安威の中臣(藤原)鎌足ゆかりの阿為神社(あいじんじゃ)で、11月23日の「新嘗祭」の儀にあわせて奉納「蹴鞠の会」が開催されます。
「蹴鞠」は今からおよそ1400年ほど前に中国から伝わったもので、中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足が蹴鞠を通じて親密になり、歴史上有名な「大化の改新」(645年)につながったことは広く知られているところです。
阿為神社の「蹴鞠の会」は、藤原鎌足ゆかりの地、ゆかりの神社と言われる、安威の里と中臣氏の氏神を祀る阿為神社にふさわしい行事として、また平成17年に新社殿の落慶法要の行事として「蹴鞠の会」が開催され、その後「新嘗祭」の後の定例祭事、行事として奉納されています。
「蹴鞠」については、明治36年の創立以来100年の歴史を持ち、蹴鞠の継承と保存につとめ、上賀茂神社、下鴨神社、平安神宮や談山神社などで蹴鞠の会をされている京都の「蹴鞠保存会」の皆さんによって執り行われました。
蹴鞠は8名(または6名)が1グループとなり、鹿の皮の鞠を足で蹴って地に落とさず、手を用いず独特の装束をつけて、鞠庭で蹴り続けて楽しむもので、勝ち負けはありません。
また、時間の区切りに厳格な取り決めもありません。一座のリーダーがメンバーが楽しく時を過ごし、ちょっと休みたくなった頃に止めるわけです。普通は10~15分で終わります。
始め・終わり・途中の動作に作法と言うべきものが多くあり、見ている人々に見苦しく感じられない作法が定められているそうです。
老若男女・上手下手・貴賎を問わず、互いにメンバーの相手に蹴りやすい鞠を蹴り渡して共に楽しむ雅なスポーツでありリクレーションでもあります。
宮中行事を思わせる、烏帽子(えぼし)、鞠水干(まりすいかん)、鞠袴(まりばかま)姿で古式ゆかしく雅な様子を説明付で再現し楽しませていただきました。
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明日11月24日(乙卯 きのとう 仏滅)
●「オペラの日」
歌劇の愛好家達が提唱しました。
1894(明治27)年、旧東京音楽学校(現在の東京芸術大学)奏楽堂で日本で初めてオペラが上演されました。
演目はグノー作曲の「ファウスト」第1幕で、オーストリア大使館職員が出演したと言います。
また、指揮者はドイツ海軍軍楽隊長で「君が代」を編曲したフランツ・エッケルトでした。
●「東京天文台設置記念日」
1921(大正10)年、東京都麻布区板倉(現在の港区麻布台)に東京天文台が設置されました。
1878(明治11)年に東京帝国大学構内に作られた理学部観象台を母体とし、旧内務省・海軍省の天文関係業務を統合して設立されました。1924(大正13)年に、都会の明るさのために観測が困難になったことから、郊外の三鷹市に移転しました。1988(昭和63)年に、東京大学附属東京天文台から文部省(現在の文部科学省)附属の天文台に移管されました。
●「鰹節の日」
「い(1)い(1)ふ(2)し(4)」の語呂合せから、鰹節をもっと知ってもらおうと、鰹節のメーカー・ヤマキ株式会社が、PRのために制定しました。
鰹節の切り削り実演販売や、だしの取り方教室などを企画しているそうです。
●「慶元寺十夜法要会」
「お十夜」「十夜法要」「十夜講」「十夜念仏」などともいい、正しくは、「十日十夜(じゅうや)法要」といいます。
もともとは陰暦の10月5日の夜から15日の朝まで、十日十夜にわたる法会(ほうえ)です。
浄土宗で最も大切な経典の一つ無量寿経(むりょうじゅきょう)の巻下に、 「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と説かれていることによって、その教えを実践したもので、十日十夜にわたり不断念仏を称えて別時(べつじ)の念仏を修し、阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要です。
慶元寺は江戸時代の武家・喜多見氏の菩提寺です。喜多見氏は元は江戸氏といい、今の皇居のあたりに住んでいたそうです。室町時代の半ばに太田道灌に追われて木田見の地に移り、後に喜多見氏と改名したそうです。
文治二年(1186)三月、江戸太郎重長が今の皇居紅葉山辺に開基した江戸氏の氏寺で、当時は岩戸山大沢院東福寺と号し、天台宗でした。
慶元寺 東京都世田谷区喜多見 TEL03-3416-1221 「にほんブログ村」ランキング参加中です。
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当たり前と言えばそうなんですが、日本古来のことやものが忘れ去られていくのは寂しいです。
私の父は明治の人でしたから、元旦には庭に出て、四方拝をしていました。
柏手の音が、今も耳に残っています。
こんばんは!
昔からの行事、伝統は守りたいですね。
知ってる人というか、やっぱり教えて、引き継いでいかなければならないでしょう。
お正月もまず厳粛に厳かにまず迎えたいものです。