今月、3日に無事父の四十九日の法要を済ませました。
父の母(祖母)の法要もやっていただいた近くのお寺で、妹が法要のことなどをちょっと聞こうと思って電話をしたところ、住職さんから、どうして亡くなってすぐに知らせてこなかったんだ、と叱られてしまったそうです。
でも、そこのお寺のことを思い出したのは、父のお別れ会が清んでしばらくしてからだったんですよね。
たぶん、一周忌などはまたお世話になると思います。
ボンズもきちんと参列できました。
そして納骨ですが、普通ならお墓に入れるのでしょうけど、祖母や祖父の遺骨は大阪にある一心寺に納骨をしたので、父の遺骨もそこに納骨しようともう亡くなる少し前から妹とは話し合っていました。
一心寺は、納骨されたお骨を砕いて、それで10年に一体、仏様を建立して開眼、供養してくれるのです。
父にとって子供は私と妹、娘二人だし、自分の親の墓もありません。
今後、私たちが父の墓を建てても、私たちが亡くなれば、誰も供養してくれない。
一心寺なら、仏様になった形で、今後永遠に供養してもらえるし、私たちもお寺にお参りして、仏様を拝むことで、父の墓参りになる。
こういう供養のしかたは抵抗がある方もいると思いますが、私たちはそうすることに決めました。
一心寺には、私と妹、お嬢の三人で行きました。
土曜日の朝に出発して、その日の午後に叔父夫婦とお寺で待ち合わせて、供養、納骨を済ませました。
今回は、納骨のほかにも、大阪で美味しいものを食べて、どこかちょっと見てまわりたい・・・と事前に妹と話していたので、夕方に宿に着いて、少し休んでからは、夕食は、焼肉を食べようと、鶴橋の焼肉屋街に出かけました。。
妹が知っているお店に入って、三人で思う存分焼肉を堪能しましたよ!
普段小食のお嬢もよく食べて、びっくりしたのが、初体験のユッケがものすごく気に入った様子で、一人前を一人でペロッと平らげたことです。
三人、お腹一杯で満足でした焼肉もすごく美味しかったです。
お店は、鶴橋駅近くにある『吉田』
肉がジューシーで美味しかった!!父も一緒に食べてたかな~?
そして、二日目は奈良方面に出かけ、手前にある門真駅というところにある三井アウトレットモールを見て歩きました。
まあ、ウインドウショッピングのつもりだったんですが、お嬢を連れていたので、妹と二人で、こういうの着てみればとか前日にポシェットが壊れたので、それも買って・・・とついついお嬢に色々と買ってしまって、散財しました・・・・・。
お昼ごはんは、焼きそば、たこ焼き、モダン焼きを三人で分けて食べました。
一泊だったけど、満喫した~~~~!!
じいちゃんこういう機会をくれてどうもありがとう!!!
しかし、この旅行のために福祉センターに一泊で預けていたボンズが、なんと最後の最後で脱走して、近くguに入り込み、非常ボタンを押してしまったのでした。
店長さんがとても理解のある方で、なんとボンズを福祉センターまで送ってきてくれたのです(私の携帯に店長さんから電話が入りました。ボンズには電話番号などを書いたバッジをつけています)
あとでボンズと謝りに行くと、本当にやさしく対応してくださって、ボンズが勝手に履いてしまった売り物の室内履きのお金だけ払ってあとはお咎めはなしでした。
それどころか、今後もなにかあれば対応しますから、とまでおっしゃってくれて、もう泣きそうでした。
つくづくボンズは地域の人たちに支えられて生活しているんだな・・・と感謝しました。
そんなこともありましたが、父の知人たちに死亡の通知も郵送したし、四十九日、納骨も済ませ、父のことはひと段落しました。
父もホッとしてるかな。
ボンズが逃げたときは、どこかから見ていてハラハラしていたかもしれません。
・・・・・ほんとにもう父はいないんだなあ・・・・・どこにも。
父の母(祖母)の法要もやっていただいた近くのお寺で、妹が法要のことなどをちょっと聞こうと思って電話をしたところ、住職さんから、どうして亡くなってすぐに知らせてこなかったんだ、と叱られてしまったそうです。
でも、そこのお寺のことを思い出したのは、父のお別れ会が清んでしばらくしてからだったんですよね。
たぶん、一周忌などはまたお世話になると思います。
ボンズもきちんと参列できました。
そして納骨ですが、普通ならお墓に入れるのでしょうけど、祖母や祖父の遺骨は大阪にある一心寺に納骨をしたので、父の遺骨もそこに納骨しようともう亡くなる少し前から妹とは話し合っていました。
一心寺は、納骨されたお骨を砕いて、それで10年に一体、仏様を建立して開眼、供養してくれるのです。
父にとって子供は私と妹、娘二人だし、自分の親の墓もありません。
今後、私たちが父の墓を建てても、私たちが亡くなれば、誰も供養してくれない。
一心寺なら、仏様になった形で、今後永遠に供養してもらえるし、私たちもお寺にお参りして、仏様を拝むことで、父の墓参りになる。
こういう供養のしかたは抵抗がある方もいると思いますが、私たちはそうすることに決めました。
一心寺には、私と妹、お嬢の三人で行きました。
土曜日の朝に出発して、その日の午後に叔父夫婦とお寺で待ち合わせて、供養、納骨を済ませました。
今回は、納骨のほかにも、大阪で美味しいものを食べて、どこかちょっと見てまわりたい・・・と事前に妹と話していたので、夕方に宿に着いて、少し休んでからは、夕食は、焼肉を食べようと、鶴橋の焼肉屋街に出かけました。。
妹が知っているお店に入って、三人で思う存分焼肉を堪能しましたよ!
普段小食のお嬢もよく食べて、びっくりしたのが、初体験のユッケがものすごく気に入った様子で、一人前を一人でペロッと平らげたことです。
三人、お腹一杯で満足でした焼肉もすごく美味しかったです。
お店は、鶴橋駅近くにある『吉田』
肉がジューシーで美味しかった!!父も一緒に食べてたかな~?
そして、二日目は奈良方面に出かけ、手前にある門真駅というところにある三井アウトレットモールを見て歩きました。
まあ、ウインドウショッピングのつもりだったんですが、お嬢を連れていたので、妹と二人で、こういうの着てみればとか前日にポシェットが壊れたので、それも買って・・・とついついお嬢に色々と買ってしまって、散財しました・・・・・。
お昼ごはんは、焼きそば、たこ焼き、モダン焼きを三人で分けて食べました。
一泊だったけど、満喫した~~~~!!
じいちゃんこういう機会をくれてどうもありがとう!!!
しかし、この旅行のために福祉センターに一泊で預けていたボンズが、なんと最後の最後で脱走して、近くguに入り込み、非常ボタンを押してしまったのでした。
店長さんがとても理解のある方で、なんとボンズを福祉センターまで送ってきてくれたのです(私の携帯に店長さんから電話が入りました。ボンズには電話番号などを書いたバッジをつけています)
あとでボンズと謝りに行くと、本当にやさしく対応してくださって、ボンズが勝手に履いてしまった売り物の室内履きのお金だけ払ってあとはお咎めはなしでした。
それどころか、今後もなにかあれば対応しますから、とまでおっしゃってくれて、もう泣きそうでした。
つくづくボンズは地域の人たちに支えられて生活しているんだな・・・と感謝しました。
そんなこともありましたが、父の知人たちに死亡の通知も郵送したし、四十九日、納骨も済ませ、父のことはひと段落しました。
父もホッとしてるかな。
ボンズが逃げたときは、どこかから見ていてハラハラしていたかもしれません。
・・・・・ほんとにもう父はいないんだなあ・・・・・どこにも。
故人を偲ぶときはこれからもたくさんありますからね。
今はお墓のかたちにこだわらず、お寺で永遠供養っていう方法は浸透してきていると思います。
お墓だって土地代やら何やら高いですからね。先まで考えて、遺族が一番いいと思う供養の方法でいいと思いますよ。
大阪でいろいろ楽しんだようですね。
でもボンズくんの脱走があったのは大変でしたね。それでも対応してくださった方が良い方で本当に良かったですね!こっちまで嬉しくなる話しでした。怪我などなく何よりです。
夫の遺骨は私の母方の祖父と祖母の眠るお墓の隣に墓石を立てました。
夫の親が生きてますから、夫の生前の希望通り川か海に散骨というのはまだできません。
私が死んだら夫の遺骨と一緒に海にまいてもらおうと思ってます。
そんなことがあって、夫だけのお墓を求めませんでした。
でも、両親の前では安心させるために、お墓は守っていくからね、と言ってます。
兄に男の子がいますが、ずいぶん前に兄夫婦が離婚して苗字もお嫁さんの方に変えてしまったので、
実家の苗字を継いでる孫はいないんです。
年寄りにとって、節目節目で残った家族が偲んでくれるのは若い人からは想像もつかないくらい
切望するものらしいです。
自分が確かに生きた証がものではなく気持ちとして欲しいのだと思います。
老いるって切ないですね。
実は我が家も、姑が離婚して舅とのお付き合いはしていませんので、お墓がありません。
姑の時は、本人の生前からの強い要望にて、姑の両親が納骨されていたお寺に納骨しました。
これで、仲の良かった1番末の義弟も気軽にお参りに行けるでしょう。
そうしたら、亡くなった姑も喜ぶと思います。
遠い所で私達はなかなかお参りに行けませんが、末の義弟は仕事柄、長距離の運転に慣れていますから時々お参りに行っている様です。
姑の件があってから、「私達夫婦はどうしましょう」と話し合う機会が出て来ました。
こちらでお墓を立てたり納骨をしたりしても、1人息子がお参りに帰って来る事は無いでしょうし。
難しいですね。
いくら節目って言っても気持ちの整理ってなかなかつかないし、ひと段落してホッとした後の方がなんか心に穴があく感じですよね。
私は、父は幼少に亡くなって母は向こうの親族から縁を切られたのでお墓はどこにあるか知らないし、
身内の葬式や納骨などの経験もあまりないので、いざとなったら大変かもしれませんね。。
あとうちは長男で同居なのでいま姑がやっているお寺さんとのお付き合いや、
会ったことのない姑の方の親族のお墓参りなども行っているので、
そういうのって姑が亡くなったりしたらどうなるのかなぁ・・なんて漠然と思ったりはします。
本当にこういう問題は難しいです。。
とにかく妹さんや娘さんと出かけられたのはいい機会でしたね
お父さんも喜んでいると思います
土地が高く、不足している時代にお墓を持つのは大変なことだし、それを守っていくことも今の時代は簡単なことではないと思います。
それぞれがそれぞれの形で、故人をいつまでも忘れないでいることができればそれでいいと私は思います。
宗教関係者はいろんなことを言いますけどね。
ボンズ、命に別状がなかったというだけで、ありがたいことです。
どうもありがとうございます。
えりかさん
私の母は、自分の墓をずっと守って欲しいとかそういうったことは言ったことはありませんが、心のどこかではできるだけの間は墓を守り、偲んで欲しいと思っているのでしょうね。
旦那の両親はもう思い切りそういうことは思っているみたいです。
でも、うちの姓も、ボンズの代で終わるはずなので、それ以降はどうしようもありません。
だれか生きている人がいる間だけはなんとか墓参りくらいはしていってくれるといいと思います。
Guppyさん
お墓が遠いと、そうそう墓参りにもいけないですよね。旦那の父方の墓が、ものすごい山奥にあって、旦那の両親も殆ど墓参りはしていません。私も一度行ったきりです。
それでもたぶん、両親は自分たちの墓は毎年参ってほしいと思うのでしょうね・・・。
お墓まで行かなくとも、自分のいる場所で個人をいつも偲ぶことができれば、それでいいのだと私は思います。
なぎさん
四十九日、あっという間でした。
きっと一周忌もすぐに来るのでしょうね。
節目節目は供養していきたいですが、納骨した大阪の寺にはそうそう行くことができません。
自分なりの供養のしかたを考えてはいても、先に亡くなるであろう人たちにはそれを伝えてしまうと、さびしい想いをさせてしまうことになるかもしれません。
なぎさんも、お姑さん、実のお母様が元気なうちは、お二人の気の済むような返事をしてあげていても、あとからは、自分とご主人の考えでやっていかれるのがいいかと思います。
大阪で羽を伸ばしたのはいい思い出になりました。
来年の4月に合同供養があるので、そのときにも行くかもしれません。
しかし思い出はぼんさんの心の中にあると思います
お返事が遅くなって申し訳ありません。
やはり自分を産出した人との死別はつらいものですね。
今でも時々涙が出ます。
でも思い出としてずっと大切にしていきます。
どうもありがとうございます。