大変ご無沙汰してしまいました。
その間にもいろいろなことがありましたが、前々回に父の入院のことを書いたので、その後のことを書きたいと思います。
ごく軽い脳梗塞で、病院に入院していた父ですが、その後さらに二回の脳梗塞を起こして、片目は全く見えなくなり、もう片方もぼんやりとしかみえない状態になり、さらに、三回目の脳梗塞で、ほぼ寝たきりの状態になりました。
食物を口から摂取することもできなくなりました。
そして、以前から懸念されていた、膀胱の検査を7月のはじめにやっと受けることができたのですが、その結果が、末期の膀胱がん、そこから浸潤した前立腺の癌と言う最悪の結果になりました。
妹を相談して、緩和ケア病棟を申し込むのと同時に、セカンドオピニオンに相談したり、民間療法のクリニックを訪ねてみたりしたのですが、父の全身状態があまりにもよくないということで、どの治療も効果が期待できないという結果になり、あとは緩和ケアの治療をしていくだけということになりました。
三箇所ほどあたっていたうちの一箇所の入院許可が下りたので、明日父は転院します。
ボンの家からそう遠くないところにある閑静な緩和ケア病棟です。
そこで残りあまり多くは無い余生を父はすごすことになります。
これからは、痛みや苦しみをできるだけ軽減して、ゆったり過ごすことが目的です。
でも、父は、どこがどのくらい痛いのか、これからどういうことをしたいのかということも、自分から言うことができません。
言い残したいことも伝えられません。
それがとても気の毒です。
でも、今までの国立病院ではしてもらえなかった手厚い看護をきっとうけることができると思うので、ボンも父のもとにできるだけ行くようにして、最期のときをゆったりと過ごしてもらいたいと思います。
父が会いたいと思っている人に会えるように、ボンや妹で思いつく人については父にたずねて、お見舞いに来てくれるように頼みました。
昨日は私たちの母(父からすると離婚した元妻)がお見舞いに行ってくれました。
今日は、父の弟が滋賀県から二回目のお見舞いに来てくれました。
父は、アニメプロダクション時代の同僚に最期に会いたいという気持ちはないようです。
これも確認しました。
そのころのことというのは、父にとってある意味特別のことなんだと思います。
特別だからこそ、今の状況では合いたくないんじゃないかとボンは思います。
そのうち、父のアニメプロダクション時代のこともすこしづつ書いていこうと思います。
最近、やはり、ボンの小さい頃の父とのことをよく思い出します。
11歳くらまでしか一緒にくらしていなかったのですが、そこまででもいろんな思い出があります。
先日も妹と二人で父の枕元で、昔のことを話ました。
思春期には父とは暮らしていなかったのですが、ボンは今、軍曹に対して思春期の反抗期みたいな気持ちがあります。
父はさびしい人生ではありませんでした。
ボランティアで障害を持つ方と関わり、いろいろなお手伝いをさせてもらい、地域の方たちともそれなりにかかわって、普段は部屋にいることが多かったものの、ひきこもるようなこともなく、それだから、今最期を迎えようとするこのときも沢山の人から気にかけてもらって、見守ってもらっています。
父は幸せなんだと思います。
これからの日々、父が平和でおだやかであることを望みます。
私も、できるだけ心を乱さないで、穏やかに父と過ごして生きたいと思います。
その間にもいろいろなことがありましたが、前々回に父の入院のことを書いたので、その後のことを書きたいと思います。
ごく軽い脳梗塞で、病院に入院していた父ですが、その後さらに二回の脳梗塞を起こして、片目は全く見えなくなり、もう片方もぼんやりとしかみえない状態になり、さらに、三回目の脳梗塞で、ほぼ寝たきりの状態になりました。
食物を口から摂取することもできなくなりました。
そして、以前から懸念されていた、膀胱の検査を7月のはじめにやっと受けることができたのですが、その結果が、末期の膀胱がん、そこから浸潤した前立腺の癌と言う最悪の結果になりました。
妹を相談して、緩和ケア病棟を申し込むのと同時に、セカンドオピニオンに相談したり、民間療法のクリニックを訪ねてみたりしたのですが、父の全身状態があまりにもよくないということで、どの治療も効果が期待できないという結果になり、あとは緩和ケアの治療をしていくだけということになりました。
三箇所ほどあたっていたうちの一箇所の入院許可が下りたので、明日父は転院します。
ボンの家からそう遠くないところにある閑静な緩和ケア病棟です。
そこで残りあまり多くは無い余生を父はすごすことになります。
これからは、痛みや苦しみをできるだけ軽減して、ゆったり過ごすことが目的です。
でも、父は、どこがどのくらい痛いのか、これからどういうことをしたいのかということも、自分から言うことができません。
言い残したいことも伝えられません。
それがとても気の毒です。
でも、今までの国立病院ではしてもらえなかった手厚い看護をきっとうけることができると思うので、ボンも父のもとにできるだけ行くようにして、最期のときをゆったりと過ごしてもらいたいと思います。
父が会いたいと思っている人に会えるように、ボンや妹で思いつく人については父にたずねて、お見舞いに来てくれるように頼みました。
昨日は私たちの母(父からすると離婚した元妻)がお見舞いに行ってくれました。
今日は、父の弟が滋賀県から二回目のお見舞いに来てくれました。
父は、アニメプロダクション時代の同僚に最期に会いたいという気持ちはないようです。
これも確認しました。
そのころのことというのは、父にとってある意味特別のことなんだと思います。
特別だからこそ、今の状況では合いたくないんじゃないかとボンは思います。
そのうち、父のアニメプロダクション時代のこともすこしづつ書いていこうと思います。
最近、やはり、ボンの小さい頃の父とのことをよく思い出します。
11歳くらまでしか一緒にくらしていなかったのですが、そこまででもいろんな思い出があります。
先日も妹と二人で父の枕元で、昔のことを話ました。
思春期には父とは暮らしていなかったのですが、ボンは今、軍曹に対して思春期の反抗期みたいな気持ちがあります。
父はさびしい人生ではありませんでした。
ボランティアで障害を持つ方と関わり、いろいろなお手伝いをさせてもらい、地域の方たちともそれなりにかかわって、普段は部屋にいることが多かったものの、ひきこもるようなこともなく、それだから、今最期を迎えようとするこのときも沢山の人から気にかけてもらって、見守ってもらっています。
父は幸せなんだと思います。
これからの日々、父が平和でおだやかであることを望みます。
私も、できるだけ心を乱さないで、穏やかに父と過ごして生きたいと思います。
お父様はこの暑さでは体が辛いでしょう。
さっぱりしたものなどを口にできるといいんですけど。
夫の最後の水は病院の水道水でなくて、持参した市販のですが、山の水にしました。
悔いなく最後の親子の時間を過ごしてください。
私は夫の気持ちを尊重して、誰も呼ばずに二人で蜜月を過ごしました。
子どもたちも遠慮していました。
ハネムーンベビーができて、産前もギリギリまで働いていたので、二人でゆっくり過ごす時間がそれまでなかったのです。
下の子もまだ小学生でしたからね。
親子の場合はもっと広がりのある、穏やかな日々になることでしょう。
悔いなく過ごせますように。
奇跡も祈っています。
転院して、わずか二日でしたけど、転院先の病院のドクターにも看護師さんにももう言い尽くせないくらいよくしていただいて、とても満足しています。
ぽんさんもご主人を亡くされて、立派に送ってあげたんですよね。
お一人でされたこと、本当に尊敬します。
父を送ることに関しては、私としっかりものの妹とでやるので、あまり不安もなくスムーズに進んでいます。
父の最期に関しては、本当に満足のいくものでした。
ボンズと旦那と、妹の旦那は間に合わなかったんですけど、それ以外はみんなで看取ってあげることができました。
一人暮らしをしていた父だから、下手をしたら孤独死の可能性だってあったとおもうのです。
それが、みんなに声をかけられたり、手を握ってもらって、穏やかに眠ることができたのですがら、大往生と言えると思います。
奇跡を祈ってくれてどうもありがとう。
最期の時間に関してはいろいろと奇跡が起きてくれていたと思っています。
ほんとにありがとうね!
葬儀などは済んだ頃でしょうか。
疲れが出るころだと思います。なるべくゆっくり休んでくださいね。
落ち着いた頃にお父様の想い出話など会ってお話したいです。
返事はお気になさらずに。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
ボンさんもすずらんちゃんも、しばらくは色々な想いが交錯すると思いますが、心のままに過ごして下さい。泣きたい時はおもいっきり泣いて下さい。
猛暑の折、体調を崩されませんよう。
心からご冥福をお祈り致します。
父が亡くなってから、一週間経ってしまいました。
早かったような、ついこの間だったような・・・・。
気持ちの整理ができたら、父とのお別れの日のことをちゃんと書こうと思っています。
お嬢は、お別れの日のことをHPに書いています。
もしよかったら、私のブックマークにあるので、見に行ってやってください。
なんだか、逝ってしまった父はほんとうの父ではなくて、今でも父のアパートを訪ねたら、笑顔で迎えてくれるんじゃないか?という気がしてなりません。
先日、父の電話番号に電話してしまいました。
そんなことをしているうちは、まだ気持ちの整理ができていないのかもしれませんね。