エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

庭の小さな自然に救われた一年

2007-12-10 | 日々の生活
 

 日だまりの冬モミジが美しい庭に佇み、ひととき、過ぎ去りし1年をふり返えっている。四度の入退院を繰り返したこの1年だったが、その都度健康の有り難さを思い、庭の小さな自然と語り合いながら穏やかな時を過ごしてきた。
 融けだした雪の下から顔を出すさわやかなミスミソウに始まり、庭の草花は、それぞれがそれぞれの季節に間違いなく花を咲かせ、実を付けた。
 ウメやサクラが春を告げ、アジサイやバイカウツギが梅雨に濡れ、夏の炎天下にはサルスベリ咲き続け、そして秋立つ風にススキの穂が揺れていた。今、一年を締めくくる菊の花も色あせ、膨らんだツバキの蕾が新しい年を待っている。
 今年も醜い世相が嫌でならなかったが、一年を通して、このけなげな小さないのちに救われた。静けさにはらはらと散る紅葉の終わりを見つめ、人生の流転を思っている。


湖水に浮かぶ磐梯 景色の傑作

2007-12-09 | エッセイ
             《麗しの磐梯 湊・中田浜より》

 磐梯山は、どこからも美しい眺めで、絵になる山並みである。
 司馬遼太郎の『北のまほろば』に、岩木山について「津軽平野のどの場所からみても美しく、万戸一山を仰ぐで、津軽の人は自分の家から見る岩木山が一番だと言う。」と書いている。
磐梯山も岩木山と同じで、会津盆地のどこからもみえ、家並みや田畑を前景にいつも静かに雄大に聳えている。また、ながめる場所によりそれぞれの山容が見え隠れして面白い。
 何と言っても猪苗代湖に浮かぶ磐梯山の眺めはこの上なく美しく、いつも惚れ惚れしている。太宰治は『富嶽百景』で御坂峠からの富士を、「あまりに、おあつらひ向きの富士で、どうにも註文通りの景色で恥ずかしい」と言って嫌っている。おあつらい向きでも、湖水を抱える磐梯山のロケーションは、創っても描けない自然の景観の傑作だと思う。

感動の晩秋の景色 東山魁偉の世界

2007-12-08 | 文芸
 
 久しぶりに外泊許可をもらった土曜日、秋の終わりを眺めに娘の車でドライブに出た。 風は冷たいが快晴、猪苗代町の山あいのひろばで孫たちと遊んだ。外気はすでに冬の寒さ、ブランコの冷たすぎる鉄棒を3才の孫は、上着の袖を伸ばしてつかんでいた。しばし静寂に孫の声がこだました。
 佇み、山の杉林を眺めると、そこには所々に半分葉を落とした落葉松の林が混生していた。瞬間、忘れていた感動がよみがえり、自分が絵の前にいるような錯覚にとらわれた。秩序正しい暗い緑の杉林の幾何学模様の中に、所々、黄色い落葉松林がホオキのように配置されていた。それはいつか見た、東山魁偉の世界そのものだった。
燃え上がったモミジも色あせた山の端に、冠雪した磐梯山の頂が冬の雲を抱いていた。
美しすぎる感動の景色をもらい、元気に帰院できそうな気がした。 2007.11.17



野沢菜をいただく

2007-12-06 | 食文化
            《 美味しいふるさとの味・野沢菜 》

毎日見舞いに来る妻からの報告で、家の様子はすべて分かった。
 信州から野沢が届いたという。早速浸けて、もう水が上がったこと。
 今朝、1年ぶりにお葉浸けをご馳走になった。これまた信州からの新米を、とても美味しくいただいた。

*【11/27入院中のメモ】*
 入院中に、妻の実家から荷物が届いたという。一つは新米、続いて最近は野沢菜をいただいた。翌日、早速浸けたという。何も手伝いをするわけではないが、例年繰り返される信州の風物詩を、今年は見ることが出来なかった。とても残念だ。
 次は信州リンゴのフジが届くだろう。また、年末にはお正月を前にお餅をついて送ってくれる。ありがたいことだ。
 宅急便の段ボールには、いつも必ず、飴や煎餅などの駄菓子が入っていた。
子どもたちへの心遣いがありがたかった。
 何年も何年も、段ボールにつめていろいろ送ってくれた信州の亡き父、母の顔が浮かんでくる。切なく込み上げるものがある。
 本当の幸せはこういうものなのだろう。



参: 昨年の拙ブログ(2006-11-24) 「晩秋の風物詩「野沢菜漬け」」

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* いつか書いた エッセイ *
 冬の楽しみ 「野沢菜漬け」

 暮れから正月、雪の季節には野沢菜漬けを楽しんでいる。
 毎年十一月末になると妻の実家からみずみずしい野沢菜が届く。いつもは葉を柔らかくするため霜に当ててからの収穫だが、昨秋は暖かく降霜前でも丈も長いようであった。
 もみじ葉が一片ごとに散り始める穏やかな小春日和に、妻の野沢菜漬けはお菜洗いから始まった。いつも変わらぬ信州の風物詩である。
 野沢菜はご飯によく合う。あの茎の歯ごたえが何とも言えない。食後茶碗に注いだ白湯に葉の部分を広げて飲む味がまた格別だ。
 野沢菜漬けは春が近づくとどうしても飴色に変色する。でもその野沢菜も油で炒めてチャーハンにしたり、砂糖で煮詰めて佃煮風にして懐かしい味を楽むこともできる。
 信州では冬の間、氷の付いたままの青い野沢菜が食卓に出される。冷たい緑鮮やかな野沢菜をいただくたびに、さわやかな信州での青春がよみがえってくる。
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三界は只心なり

2007-12-06 | 健康
《庭の隅に、白斑入りの濃紅色大輪の八重咲きツバキが咲いていた》

 今回の入院は、どうにもならない病状ではあったが、多少の計画的な治療だった。
 週単位の計画的な辛い検査が続いた。その度の絶食と点滴、鎮静剤や鎮痛剤、特に眠らされる麻酔薬が嫌だった。いつも薬による影響が辛かった。でも、その都度、以前もっと苦しい闘病があったことや家族への思いを力として何とか耐えることができた。すべては、やはり時間が解決してくれた。

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*【11/7 入院中のメモ】*

《今日は何もないようだ。 無為に時間が流れていくようでいたたまれない。焦るな焦るなと言い聞かせてはいる。考えれば、これまでどんなにか無駄な時間を費やしてきたのだからと。そう考え納得するが、それにしても辛い。おまけに今日の快晴、病院の窓からこんな雲一つない秋空を眺めていることはもっと辛い。
 多少センチな気持ちになるのはいい、でも、鴨長明の方丈記には「三界ハ只心ヒトツナリ」とある。どんな状況にあろうが、心の持ちようによって充実した人生があるのだ。
 そう勇気づける前向きな気持ちと、こうして惨めな気持ちが交錯する。
 急がずに、静かに落ち着いて世の中を眺めていきたい。天真に任せる。 》
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いつしか師走 《退院の日に》

2007-12-05 | 健康
       《わずかに残っていた秋》

  間違いなく季節はすすみ、入院中に市内でも初雪、積雪があった。
  昨夕、雪のちらつく中を退院、長い長い1ヶ月の入院となってしまった。まだまだ不安はつきないが、いつも退院は嬉しい。
  ささやかなお祝の夕食に、また涙ぐんでしまった。表現できない、複雑なうれし涙である。
  また新しい気持ちで生活したい。
 
 今朝、久々にゆっくりと庭の木々を眺めた。ホウ、キリの木は、すでにすべて葉を落とし、雪空に凛と伸びる枝が寒々しい。 昨日までキリの木の下に残るモミジに晩秋の名残を見たが、今朝はうっすら雪化粧、もう秋は行ってしまった。
 6時半、大喜びのラックと久々に散歩に出た。手が凍るように冷たい。すがすがしい気持ちで寒気を吸い込むと、すっかり健康を取り戻したかのように勇気が湧いてきた。
 サザンカ、ヒイラギが盛りを過ぎ、蕾の小さかった白い小菊に雪がかかっていた。
 思えば師走、過ぎ去った1ヶ月の空白が、なんとももったいなく思えた。

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 ** 入院中のメモ11/6 **                   
 《 数え切れない入院だが、今回は3週間はかかりそう、準備怠りなくいろいろ 持参した。おそらく暇をもてあますだろうからと、CD付きラジオを持った。
 TV嫌いだが、ラジオ人間、クラッシックのCDを何枚も入れた。イヤホーンで音楽を聴きながら、パソコンに向かう時間が多くなるだろう。
 本は司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズ数冊と、いつもの中野孝次の「風の良寛」。 》      │
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 案の定の病院生活となった。 1ヶ月は長かったが、今回は病院が家から近く、毎日誰かが顔を出してくれ何かとこころ強かった。これまでの遠く離れた大学病院での何度かの入院は、家を離れての妻の看病が辛かった。家族の皆にとっては何よりよかった。
留守中の大きなことは、多年の雪で傷んでいた屋根の修理を終えたこと。また、こまかい気がかりは、孫の相手が出来なかったこと、ラックの散歩、金魚や熱帯魚の餌くれ、鉢物の水くれ・・、などだったか。
 今日は、心配していた植木の雪囲いをしようと思う。もう一つ、冬タイヤへの交換が残っているが、これは息子に頼むことにしよう。

* ブログの友、各位 *
 入院中、多くのブログの友からお見舞いのコメント頂き恐縮しています。
 また、貴重な日々を意識しながらブログを書き始めたいと思っています。
 これからも宜しくお願い致します。