
【次々に開き始めた梅 (参)『梅がほころぶ』(1/9拙ブログ)】
今日は成人の日、40年あまり前、学生だった私は信州で成人式を迎えた。
その日の新聞のコラム欄(たしか「編集手帳」)には、山上憶良のが紹介されていた。
「士やも空しかるべき万代に語り続ぐべき名は立てずして」だった。この句がどのように取り上げられたのか、コラムの内容は覚えていないが、40年も経った今も、句だけは成人を迎えた青春の日々と共に心に残っている。
成人した自分の生活の中心は学校の勉強はそこそこ、好きなことに一生懸命取り組んでいた。4年間欠かさず練習した剣道、蝶に魅せられ山野を駈け巡ったこと、奨学金や家庭教師のアルバイト代の半分がお酒代に消えたこと等々、自分の思うことに純粋に邁進した青春であったと思う。今思うと、生意気な、贅沢な生活だった。でも、時には悩み苦しみながらも少しでも充実した日々をと夢中で過ごしていたのだと思う。若いということは実にすばらしいと、今更ながら思わざるを得ない。
以下は、娘の成人に当たり新聞に投稿した想いである。雪の成人式を昨日のことのように思い出す。あらから15,6年になるが、新成人の心を思い、いつも初心に返り明日を見つめていきたいものだと思っている。
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『新成人のこころ豊かな人生を祈る』
新成人のみなさんおめでとう。一つの区切りに意を新たにしていることでしょう。私も成人した娘に語りながら、またかつての青春の日記を見て、二十歳の生き生きした決意に戻りたい衝動に駆られた。
一個の大人としての真面目な人生が始まる。意欲ある精一杯の人生を願いたい。やる気ある生き生きした人生はきっと充実しているはずで、時に日々をふり返り創意工夫を心がけて明日を力強く歩んで欲しい。青春を完全燃焼して欲しい。
『時よ止まれ君は美しい そして美しい時はいつもすぐに過ぎてゆく』
そして豊かさの中で生きがいを失いがちな社会に、いつも人として生きることを考えて欲しい。娘の成人式は、私自身自己を振り返り忘れかけていた「如何に生きるか」を考える機会となった。「壮にして学べば老いて衰えず」をむねとして、限られた人生にささやかでも心の奥に豊かに広がる幸せ、感動を求めたいと思う。新成人の豊かな人生を祈る。 (1995.1.17付け)福島民友 *************************************************************
今日は成人の日、40年あまり前、学生だった私は信州で成人式を迎えた。
その日の新聞のコラム欄(たしか「編集手帳」)には、山上憶良のが紹介されていた。
「士やも空しかるべき万代に語り続ぐべき名は立てずして」だった。この句がどのように取り上げられたのか、コラムの内容は覚えていないが、40年も経った今も、句だけは成人を迎えた青春の日々と共に心に残っている。
成人した自分の生活の中心は学校の勉強はそこそこ、好きなことに一生懸命取り組んでいた。4年間欠かさず練習した剣道、蝶に魅せられ山野を駈け巡ったこと、奨学金や家庭教師のアルバイト代の半分がお酒代に消えたこと等々、自分の思うことに純粋に邁進した青春であったと思う。今思うと、生意気な、贅沢な生活だった。でも、時には悩み苦しみながらも少しでも充実した日々をと夢中で過ごしていたのだと思う。若いということは実にすばらしいと、今更ながら思わざるを得ない。
以下は、娘の成人に当たり新聞に投稿した想いである。雪の成人式を昨日のことのように思い出す。あらから15,6年になるが、新成人の心を思い、いつも初心に返り明日を見つめていきたいものだと思っている。
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『新成人のこころ豊かな人生を祈る』
新成人のみなさんおめでとう。一つの区切りに意を新たにしていることでしょう。私も成人した娘に語りながら、またかつての青春の日記を見て、二十歳の生き生きした決意に戻りたい衝動に駆られた。
一個の大人としての真面目な人生が始まる。意欲ある精一杯の人生を願いたい。やる気ある生き生きした人生はきっと充実しているはずで、時に日々をふり返り創意工夫を心がけて明日を力強く歩んで欲しい。青春を完全燃焼して欲しい。
『時よ止まれ君は美しい そして美しい時はいつもすぐに過ぎてゆく』
そして豊かさの中で生きがいを失いがちな社会に、いつも人として生きることを考えて欲しい。娘の成人式は、私自身自己を振り返り忘れかけていた「如何に生きるか」を考える機会となった。「壮にして学べば老いて衰えず」をむねとして、限られた人生にささやかでも心の奥に豊かに広がる幸せ、感動を求めたいと思う。新成人の豊かな人生を祈る。 (1995.1.17付け)福島民友 *************************************************************
この正月に娘達家族が集まった折、孫達のリクエストは「囲炉裏で焼いた餅」でした。
数年前 母屋を改装したとき復活した囲炉裏は、囲炉裏というより大型火鉢ですがこれが大人気でした。
スイッチやダイヤルで操作できない不便さ、結果がすぐ現れない苛立ちなどに不平を言いながら熱中していました。
大きな藁葺きの家と囲炉裏が一体のイメージがあります。何百年も前の古い建物が、いつしかなくなってしまうのは仕方ないことでしょうか。南部の曲がり家や白川郷の茅葺きは貴重な文化遺産でしょう。
妻の実家の囲炉裏が懐かしく思い出されます。新築で、もうありません。今は、料理屋や旅館でしか味わえなくなりました。