暑くて厳しい夏だった。
8月1日の灯し始めから始まり、17日の菩提寺本堂で行われた施餓鬼供養まで、
母を迎え共に過ごした半月あまり。
こんなに亡き人を身近に感じた夏はなかったし、
もう二度と訪れないだろう。
もう私には、母について語る言葉は、あまり残っていない。
昨年の夏から年の瀬の臨終まで。
そしてお遍路を決意して旅立った初夏から梅雨の長い旅路。
その間、ずっと母のこと、父のこと、
汲めども汲めども尽きない泉のように湧き上がる言葉を掬(すく)ってきた。
(それは出来ればカテゴリー「家族」や「お遍路」を読み返してください)
さようなら母さん、さようなら父さん。
青年期では、祖父・祖母、義祖父母、義父
近年は、叔父、伯父、伯父、父、伯母
その時に思うのは、やはり人は死に向かって
生きているという実感。
いずれ死ぬ、明日かもしれぬ。
そう考えると、死の別れは一種のセレモニー。
粛々と進行し見送るという想いだけ。
だから、別れの寂しさというよりは
「想い出し」の始まりとの想いがが強い。
日々の生活の中で、今でも折に触れ想い出しています。
それ故に、「さよなら」とか「これでお別れ」の感情は持ち得ませんでした。
息子だったなら・・・どうだろう???
小生は、冷たい人間なのでしょうね。
貴兄は、やはり感受性が豊なのか
信心深いのか?
それとも、歩き遍路ゆえか?
この父母への追憶の強さは。
さぞ、安心にて還ってこられ、また、来年の盆が楽しみで帰って行かれたのではないかと推察します。
よい日々をお送りでしたね。
それで、山の写真にはいつから再会できるのでしょう。
という基準を持ちえないので比較のしようがありませんが、
昨年の3月から始めたブログ。
年明けから父母の衰えが酷くなり10年間続けてきたHPの閉鎖と
共に始めたブログです。
結果的に、このブログは衰えゆく父母を見送る
死の記録となりました。
1年半に渡るブログの経緯を振り返ると
書き綴ることで、やっとここまで来れたのだと実感しています。
もちろんそれには、
kyoichさんを始め、たくさんの人たちの
温かい励ましの言葉があったからです。
辛い思いを胸の内に溜め込まないで書き綴ることが
ブログの効果であり、想いを反芻することが
kyoichさんの指摘する父母への追憶の強さかもしれませんね?
う~ん、以前のような山へ向かうモチベーションが
一向に湧いてきません。
なんなんでしょうね?
kyoichさん、東京の土産話楽しみにしています。
真言の教えは何かよりも、信心のない百姓モドキには空海のお遍路実践の方が身に入る。
遠大な金剛界、胎蔵界よりも、遍路の一歩です。
Oputimus padはまだまだシンドイ。使いこなさなけば泣かれてしまう。私も泣きたい。
長い人生、点では無く線ですよ。上を向いたり、下がったりしています。モチベーションが上がり、石鎚で活動されるまで充電期間としてください。期待している者が南予には居ますよ。
意外と早い帰還ですね。
国立博物館や根津美術館とかkyoichさん好みの
場所がたくさんあるのに残念。
空海展のDVDは鬼城さんから送ってもらいました。
今夜から、しばらく退屈しないで済みそう(笑)
結局、タブレットはドコモを購入されましたか。
確かに、慣れるまでが大変(苦笑)
でも、これで書籍代がずいぶん助かるのでは?
ありがとうございます。
早速「転校生」を観ました。
あ~ぁ、やっぱりラストシーンの「トロイメライ」が流れると
涙が止まりません。
そして、ずっと追いかけて立ち止まり見送った後、
スキップして帰ってゆくシーンには笑ってしまいます。
この映画を観るのは何十年ぶりでしょう。
空海のDVDと合わせて、しばらく楽しめそうです。
そうですね。
この1年半は、本当に密度が濃かったと思います。
それ故に、なかなか山へと気持ちを切り換えることが出来ないようです。
もう少し静観します。
貴ブログ等へのコメントはどうかとやってみたら成功。で、まあまあ飲んで23時過ぎにホテルに帰り、やってみたのでこのような時間のコメントになりました。
タブレットの大きさは8インチくらいですか?
私の10.8インチモバイルと大して変わらないけど、
重さと薄さが違いますよね。
OSがアンドロイドだとwindowsで動作するソフトがダメなので、
デジカメの画像ソフトをメインに考えていた私はスマートフォンは諦めました。
まだお遍路の出発までは、たっぷり時間があります。
焦らず、じっくり取り組んでください。
私も読み洩らした旧作や古典のためにタブレットが欲しい。
でも今は新しいPCとデジイチを買ったので当分我慢です(笑)