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風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

この暑さなかで・・・  自然あるき(梶ケ森・瓶け森から子持権現)

2025年07月31日 14時33分44秒 | 日記
***この暑さのなかで・・・***
今を生きる市民の多くは ???
この異常な暑さも これは 「夏」ですから
世界各地で多くの血が流れている「戦争」も 遠い他国のことです 
憲法9条(戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認)と自衛隊の存在 自分世代では如何することも出来ない
上記のような諸問題は 民主主義 国民主権主義の下での 「教育」によってのみ良い方向に向かうと思います
しかし 日本の各都市では 「塾」が大盛況です
テストの「点数獲得」が教育の主流となっています!!
<大学入学平均年齢>
日本:18.3歳・ドイツ:22歳・フランス:20.8歳・フィンランド:23.5歳)
※ 世界の先進諸国では 高校卒業後に 様々な経験を積み その上で 大学進学先を自分で考え自分で決定するようです

***自然あるき***
私は 特別な才能も無く 努力家でもアリマセンが 「普通」に生きることに徹してきました
国民主権や民主主義の歴史に乏しい わが社会では この生き方は 多くの困難が 伴います  
それ故 「こころ」の内では 辛く 悲しく 涙が コボレルこと多しでした
しかし 「自然」に触れると 明日に向かって生きる 新鮮な「活力」が湧いてきました
その原点は 1955年前後 少年時代の体験からです
子供の時間は「自然」のなかで消化され TV PC 携帯等とは 無縁の時代でした!! 

<「梶ケ森」歩き>7月20日21日
社会人となった1966年 職場の新しい仲間に誘われて 初登山でした
国鉄高知駅に土曜日の午後5時に集合・出発  国鉄豊永駅で下車
「梶ケ森」登山でした
自動車道は無く 幅1m程度の生活農業山道の歩き登山でした 途中には「小学校分校」も存在していました

(四国山地の山並み・撮影:7月21日)


(梶ケ森キャンプ場・私は 車中泊です・撮影:7月21日)


(ホテル「梶ケ森山荘」・下方の広場はキャンプ場・撮影:7月21日)


(1980前後・冬の雪山登山では この避難小屋で宿泊・今は廃屋となっていますが 若き頃の思い出が詰めっています・撮影:7月21日)


(7月20日 「晩メシ」・風が強くバーナーが使えなないので 車内で「コンビニ夕食」)


(7月21日 「朝メシ」・食事は いつも同じ・トシヨリは この程度で 充分です)

※<ふろく> 21日 帰路 JR豊永駅に 立ち寄ってみました 「過疎高齢化」の空気が 沁みてきました



(駅前商店街・通行人は 見かけませんでした)

< 神の山 「瓶ケ森」から「子持権現」にかけて >
この周辺は 私の大のお気に入り 散歩コースです
(写真は 「暑さ」を和らげる「うちわ」にしてください)

(神の山「瓶ケ森」 登り口周辺の秋)


(紅葉に染まる 神の山「子持権現」)


(霧氷・神の山「子持権現」)


(石鎚山落日と霧氷)
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あの時の・・・あの空気で・・・ 6月の瓶ケ森と四国カルスト天狗高原

2025年06月28日 20時14分03秒 | 日記
***あの時の・・・あの空気で***
私は見知らぬ土地を 格別な目的を持たず ヨロヨロと徘徊してきました
その際「こころ」に沁みてきた「時」や「空気」が 日常生活の活力源でした
日々の生活では 低級人である故に 常に 一歩下がり 下から 他人に接するように心がけています 
老若男女 みんな 唯一無二の キラキラと輝く 内なる「宝石」を持っています
それを傷つけないようにと!!
(全画像:再掲載です・よろしくお願いします)

(ラオス ジャール平原の山里・早朝の散歩で・・・母親の姿が脳裏をかすめた・・・)


(ラオス ジャール平原・ガラス製のビー玉で遊んでいました・私も小学生のころ同じ遊びをしていましたので オドロキました )


(タイのバンコク・チャオプラヤ川・最年少の修行僧は 顔を上げませんでした・・・)


(ベトナム・中国国境が近い山里・鎌を手に 仕事終え 自宅へ)


(ヘルシンキ港・仕事を終えた女性 潮風の中で・・・)


(アラスカ・デナリ国立公園の秋 最奥ワンダーレイクの二人)

***「瓶ケ森」と「四国カルスト天狗高原」(6月20日~22日)***
雨季ですが 天気予報では 「青空」も・・・
20日 午後の「瓶ヶ森」周辺は 比較的天気も良く ヨロヨロ歩きで 少し「背筋」が伸びたカナァ~!!
(駐車場で「晩メシ」→車中泊・夜中は星空も)
21日 早朝から 濃いガスで視界不良でした 朝食後 超スロー走行で「土小屋」へ
その後 「四国カルスト天狗高原」へ移動です
ところが 天狗高原も 濃いガスでした 


(UFOライン・すべて「自然」・人気の山岳道路です)


(UFOライン)


(緑濃き 神の山「瓶ケ森」)


(20日・晩メシ 瓶ケ森駐車場・いつも同じ これでも マンゾクです)


(21日・朝メシ 瓶ケ森駐車場


(21日午後・四国カルスト天狗高原 姫鶴平キャンプ場)→道路駐車場で車中泊


(22日午前中・高知県側へ移動・散歩コース)


(22日午前中・高知県側・広い駐車場)


(10数年・この駐車場を利用してきました・騒音トラブルを経験したことは 一度もアリマセン???)

6月の天候は こんなものだと・・・車の中で いろいろと・・・
日本の国土は 約7割が森林です 残りの約3割が平野です
わが国の農業用地は弱小ですが この雨季が稲作農業に最適で 比較的安定した社会が続いてきました
ところが 今では 農業従事者の平均年齢は 66.8歳です!!
国民の食べ物の6割が「輸入品」です!!  
心配です!!
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室戸岬周辺・鏡川とカワセミ・野市動物園・みどりの高知城

2025年05月30日 15時15分16秒 | 日記
 ***室戸岬周辺(5月2日~4日)***
室戸岬周辺の海辺は 季節ごとに 格別な目的も無く ヨロヨロと徘徊しています
高知の 北は東西に「四国山脈」 南は「太平洋」です
「中央」からは 遠く離れた 半独立のような土地です
土佐人には この地理的条件故か 「中央」に対しては 古くから「反権力」「自由」の濃い血が流れています
室戸の海辺に目を置くと 太平洋以外は何も目に入るものはアリマセンが・・・なぜか 「海洋人」を多く輩出しています(日本1の捕鯨砲手・遠洋マグロ漁業者など)

(室戸岬灯台・水平線が遠くに・・・黒く重い太平洋以外は ナニモ見えません・撮影:5月3日)

<荒海と闘った 地域住民の生活文化=高く頑丈な石壁・撮影:5月3日>




<道の駅 キラメッセ室戸・この近辺から見る「落日」と「夜明け」が 大のお気に入りです>

(撮影:5月3日 落日の室戸海辺)


(撮影:5月3日 落日の室戸海辺)


(5月3日 晩メシ→車中泊)


(5月4日早朝撮影・多くの車中泊車・この海に魅かれる旅人多しです)


(5月4日・海辺で「朝メシ」・夕食も朝食も いつも同じですが・・・自然のなかでは 実にオイシイ!!)

<5月4日・室戸からの帰りは 毎回 ここ「唐浜休憩所」に立ち寄り 海を見つめています>



(外国人お遍路さん・静かに太平洋に目を向けていました)

*** 鏡川・カワセミ ***5月13日午後2時~4時半
鏡川の「カワセミ」撮影場所は 私の少年時代(1955年前後) 夏の水泳場所でした
カワセミの飛来を 待っている間は 楽しかった あの少年時代が脳裏をかすめています
低級故に社会人としては 「ナミダ」を流すことが多かったので・・・
清流「鏡川」の空気と「カワセミ」で ロージンのセスジは伸び ゲンキ回復です 






*** 高知県立野市動物園・今年の「赤ちゃん」にゴアイサツ ***5月20日
ここ 野市動物園は 狭い鉄格子の檻にトジコメタ猛獣類は いませんので お気に入りです
今回は キリン親子の見学です 比較的広い飼育場ですので 伸び伸びした親子の姿に 感動でした

(キリン・上=♂ 下=♀)


(キリン親子・今年の3月生まれの赤ちゃんです)

*** みどりの高 知 城 ***
外国人観光客は 「日本の自然・古い文化・穏やかな日本人」等に感動するようです
季節の流れに合わせて 生き抜いてきた 争うことを避けた 日本人生活文化を感じ取っています


<みどりの高知城 梅の段>5月22日

(天気の良い日の午前中は「梅の段」西側ベンチで野鳥と遊んでいます・このキジバトとは 顔なじみです)


(「梅の実」・この実が 昔から食事に添えられていた「梅干し」・今の若者には「エン」が薄くなったかな)


(高知城天守閣とみどりの梅林)
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季節のながれ(天狗高原・白猪谷キャンプ場)・北の街角

2025年04月21日 15時25分13秒 | 日記
 *** 季節の流れ ***
人間生活の原点は 季節の流れの中にあり 地域差はありますが 喜びも 悲しみも 明日への夢も・・・この自然環境のなかで 生まれ育まれたものであると思います
ところが 現状の社会生活では 携帯・PC・TVなど 電子技術依存が主流となり 人と人の交流による 穏やかな「人間関係」は衰退です この電子社会で 新しく発生している様々な問題点を少しでも 和らげる方策は 「自然」に回帰することが一番であると思います

<四国カルスト 天狗高原>4月6日~8日
冬季閉鎖されていた「天狗高原 縦断道路」が3月15日に解除されました
そこで 6日~8日「天狗高原歩き」計画です
6日も7日も 一日中 冷たい北風が吹き荒れ 少し歩いては 車の中への逃避繰り返し 久しく忘れていた「生の自然」に触れ 背筋がピンとなりました


(高知県側 天狗高原登山道路の中程から撮影・高知の山並みです 山地面積日本1位・昨年度人口減約1万人・高知の明日は???)


(大川嶺・尾根筋には 雪も!! )


(姫鶴平キャンプ場と展望台方面・観光客は数名でした)


(姫鶴平方面)


(6日「晩メシ」・寒いので車中で・すべて「コンビニ」・戦後の貧乏育ちは これでもマンゾク!!)→車中泊


(6日 落日・撮影中に 上方の道路展望所で人影のようなものが見えました 車で行ってみると若い女性が一人で「落日動画」を撮影していました・この時間帯の「姫鶴平」では私とこの女性の二人だけです・早く「下山」するように伝えました)


(7日「朝メシ」・車で北風を防ぎ コーヒー コーンスープ サラダ)→夕方 「道の駅ゆすはら」へ下山・車中泊→8日午後3時ごろ自宅着

 <白猪谷キャンプ場>4月15日~16日
15日 「瓶ケ森」周辺のヨロヨロ歩きが目的でしたが 「よさこい峠」少し手前の上り坂は 季節外れの「雪」と「凍結」でした
私の運転技術では無理ですので「白猪谷キャンプ場」まで折り返し車中泊でした
キャンプ場は 春の自然木と渓流の瀬音で 快適な車中泊となりました
※「白猪谷キャンプ場」は 「よさこい峠」への車道最終登り口に隣接し 上下2段の施設です
上段はテント場です 夏や秋のキャンプシーズンはテントの林立です
下段はトイレと駐車場と道路を渡ると水場と炊飯施設です
自然に囲まれた 人工物が少ない 素晴らしい環境です

**上段・テント場の周辺**








**下段・トイレ 水場 炊飯 施設**

(トイレ・駐車場)


(水場・炊飯施設)


(15日 「晩メシ」 車の中で・敗戦後の少年期 冷蔵庫やスーパーはアリマセン・母親は子供に食べらすことに最大限努力!!そのことが心身に焼き付いているので食事は 何を食べてもオイシイ→車中泊)


(16日 「朝メシ」・BGMは 渓流の瀬音と野鳥の囀り)

<北国の街角>思い出の写真です
北欧の街角(コペンハーゲン・オスロ・ヘルシンキ・ストックホルム)は 日本の大都市に比べて 車も少なく 街歩きの人々も多くはアリマセン 穏やかで やわらかい「空気」を感じます 大のお気に入りです


(夏・デンマークの首都「コッペンハーゲン」街角で)


(ノルウェーの首都「オスロ」 ・ 早朝の港で 漁民から魚を買ってる女性)


(フィンランドの首都「ヘルシンキ」・仕事を終えた「女性」を やわらかい空気が包んでいます)


(スウェーデンの首都 ストックホルム・メーラレン湖に面した「市庁舎」・ノーベル賞受賞者晩餐会会場)
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「時」のながれ・・・

2025年03月24日 16時26分35秒 | 日記
 ***「時」のながれ***
3月11日 1年ぶりに帰国している 長男と 羽田空港で待ち合わせ 彼の提案で 私と妻と息子の3人で「日光旅」でした 
翌日は 東京で長女も 家族全員の 楽しい時間となりました

(「見ザル 言わザル 聞かザル」・ 私は 学歴偏重 男尊女卑 上意下達など 進歩が乏しい「日本社会」で生き抜く「不変の哲学」だと思っています)


(「陽明門」・不動の封建政権樹立の「力」を後世まで誇示・・・三代将軍家光誕生の「原点」も見えます )


(「鬼怒川温泉」で宿泊した 旅館ベランダから撮影・全建物は 廃墟と化した「ホテル」です・「時」のながれです)


(宿泊した「東京」のホテルから撮影・「お台場方面」です・これも「時」のながれです)

3月18日・太平洋の向こうで生活している 長男が帰るので 彼を送って「高知龍馬空港」へ
車の中で 後期高齢者となった「オヤジ」を いろいろと心配していることが ・・・
長男が若いころ・・・私は 職場の窓から「空」を見上げては 海の向こうで「ゲンキ」にやっているだろうかと・・・
今では 逆転です  これも「時」のながれです


(朝1番の東京羽田行きです)


(羽田で乗り継ぎ 日本時間の深夜 太平洋の向こうの自宅に 到着です)


(帰途は「海岸線」を」を走り 「太平洋」眺めての・・・帰宅でした)
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