Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

1000のバイオリン

2011-09-29 16:09:33 | 日記

ヒマラヤほどの消しゴムひとつ 楽しい事をたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に おもしろい事をたくさんしたい...
THE BLUE HEARTS「1000のバイオリン」より

今朝はと云うより、夜半に目が覚め、酷い倦怠感と眠気が残っていた。2度寝出来るならと、Podcastを聞き乍ら寝ようとする。Podcastも一部記憶が飛んでいるから、少しは2度寝で来た様だが、4時頃にはPodcastが再び聞こえて来たから目が覚めた。やはり眠気が残っているし、倦怠感も残っている。

寝ても疲れの様な倦怠感が残っているのだから、何の為に寝るのかと暫し思う。健康ならば9時間は寝たい人であると記した。45分がレム・ノンレムのサイクルと云われているから、8時間15分でも良い。が、幼少の頃から朝早く母親に叩き起こされて...実際は足蹴にされて...起こされているから、あぁ~よく寝た!気分爽快!体もスッキリ!と云う思いをした事がない。物心ついた頃からそう云う起き方をした事がないから、能く能く思い出してみると、幼少の頃から気持ちよく起きた経験がない。憧れる。

「うつ」の酷い時は、体が鉛の様に重いし、不安が緊張を呼び、身体中が凝り固まって筋肉痛や頭痛を伴う。出勤前に風呂に入り血行を良くして、少しは凝りを解してからの出勤が常だった。長い長いそう云う身体との付き合いだから、ある程度の慣れはある。

リラックスとは私も口にする言葉だが、心底リラックスした経験がない。心地よい風が吹く中、大草原で大の字になり、何も考えず無になり、身体が宙に浮く感覚を覚えるくらいのリラックスを想像するが、私には経験も無いし、物凄い憧れを抱く。

然りとて、理性で頭の中でスイッチを切り替え、行動する術は何時からか身に付いている。さて、夜が明けて来た。ボランティアに出掛けてくる。...小休止。

何時もの如く、ゴミ拾いし乍ら公園へ行く。公園に着くと四阿で「モー」ちゃんに餌を与え、公園内をゴミ拾いや折れ枝を片付ける。一通り終えると、四阿で一服。今朝は5時半に家を出たから、猫ボランティア仲間のケンさんが来る時間には一服していた。ケンさんとお喋りしていたら、ケンさんと親しくなった女性のお友達が来られた。お昼の「いいとも」じゃないが、お友達のお友達はお友達と、自然とお喋り出来るものだ。

私は先日から始めた紫陽花の下草と云うよりも紫陽花を覆う位に蔓延った雑草取りを、ケンさんとお友達は「ルル」達の世話に。先日には気付いていたのだが、紫陽花に蜂の巣があり、気を付けなければと思ってはいたが、うっかり紫陽花を覆うヤブガラシを引っ張った際に右手に鈍い痛みを感じた。そう、蜂に刺されてしまった。針が刺さったままかと手袋を外したが、針はなかった。勿論、アナフィラキシーショック(アナフィラキシー)は知っているから、用心はしていたのだが。

帰宅して蜂の種類を調べたが、写真を撮っていないので良く判らないが、コガタスズメバチかアシナガバチであろうと思われる。すぐ近くの小学校の通学路でもあるので、市役所に駆除を依頼した。蜂とて「命」であるから、私個人的には駆除は好まないし、自分が刺される分には自責だから良いのだが、小学生が弾みで刺される事も加味せざるを得ない。蜂にお引っ越しして頂ければ有難いが。

大きなレジ袋2袋を満杯にして終了。ゴミと一緒に指定場所に。今日のノルマを果たすと9時だった。また四阿で一服。ヨっちゃんがやって来るし、遠くにミヤさんが公園に向って来るのが見えた。

ミヤさんは齢70程だが、兎に角ネガティブ思考で困る。昨日も歯医者の時間まで公園で時間を潰していた時にミヤさんと話しをしたが、今日はヨっちゃんと先に喋っていたので、話すタイミングが見つからず何も喋らず引き返して行った。

ミヤさんは自分の知らない事には付いて行けないとそっぽを向くし、何を話してもあれがダメだこれがダメだ、あれが出来ないこれが出来ないと、不満ばかりを喋るから、みんなに嫌われる。私が引き蘢って居る間に、ヨっちゃんが短気になるし口が悪くなったのも、ミヤさんやNPOに世話になっている連中と喋っていたからだ。性格の悪いNPOの連中からもミヤさんはダメ出しを喰らっているそうだ。

これを記している間に市役所から電話が入った。蜂を駆除してくれたそうだ。因に蜂の種類を尋ねると、アシナガバチだそうだ。そうすると記憶している模様から「キアシナガバチ」だろうと思う。どちらもスズメバチ科である。

私は蜂に刺されても特段何もしなかったが、毒を絞り出し、但し口で吸ってはダメ!、水洗いするのが基本である。2度目以降蜂に刺されたらアナフィラキシーと云って免疫の過剰反応が起こる可能性があり、酷い場合はショック死するから、呼吸が苦しくなったら直ぐに救急車でも呼んで、エピネフリンを注射する必要があるから、注意されたし。

今朝は夜明け前、ベランダに出て夜空を眺めた。雲の合間にオリオン座と昴、明けの明星を見れた。お釈迦様は明けの明星が輝くのを見て真理を、空海は悟りを得た。私は何を得たのかな?

アインシュタインの特殊相対性理論を覆すかも知れない、ニュートリノが光速を60ナノ秒越えたと云う実験結果は、謎が多いね。ノーベル物理学賞を受賞した小柴教授が観測した16.4万光年離れたSN 1987Aの超新星爆発では光とほぼ同時にニュートリノを捉えている。或る人の計算だと光速を60ナノ秒早いとすると4年何某の差が生まれる筈なのだそうだ。まだまだ、アインシュタインの理論を覆すのは早過ぎる。原子核を発見してから100年、湯川秀樹が中間子を予言してから76年、クォーク模型が提唱されてから47年、素粒子物理学はまだまだ生まれたばかりなのだ。

ダメ男 ー其の肆ー

2011-09-27 05:58:40 | 人生

「肆」は金銭証書や登記等の間違いや改竄を防ぐ為の大字(だいじ)の四である。「肆」は放肆(ほうし)の様に勝手気まま、ほしいままと云う意味もあるから、ダメ男振りに相応しい。

そうなのだ。私は人からどう思われようと、自分の道を行く勝手気ままな男である。だから軍隊など勤まる筈もない。規律も納得がいかないと逸脱するし、ぶち壊すかも知れない。

気に喰わない会社の労組も、御用組合と形骸化していると、役員に推薦されても「俺を入れたら第三組合(既に第二組合があった)を作るぞ!」と断って来た。誰が敷かれたレールなどに載るものかっ!と、或る意味、頑固者である。組合集会は春闘でもエイエイオーと拳を挙げるが、私は両腕を組んだまま、シラケっ放しである。そう云う会社では異端児であり、上司も手を焼いたろうね。

或る会議、私の仕事にも影響の出る重要な案件がある事を聞きつけ、呼ばれてもいないのに会議に乗り込んで、反論してきた。本社の課長クラスも居る会議に、ヒラの私がぶち壊しに行って来たのである。システムの改造が必要で、システム部門も呼ばれていないのに、勝手に仕組みを変えられても仕事が成り立たなくなるのである。結局その案件は没になったから、それはそれで良かったのだが、組織に属する社員としては烙印を押される。ホワイトカラーにブルーカラーが歯向かうのだから、規律が壊れる。

設計部門が仕様も決めるのだが、その仕様の記載に明らかに誤りがある。ミスばかりするから仕様の記載を誤認しているのが読み取れた。設計部門に乗り込んでは、その仕様を決めた係長の席に行き、仕様書を机に放り投げ「こんなミスばかりされては仕事にならないんだよ!」と周りに部下や他のグループも合わせ30人程いる部屋で怒りをぶちまけた。係長の発した言い分は仕様の書き方を理解していない事を裏付ける言葉だった。その様子を見ていた他のグループの係長だか課長だか、私の所属するグループの上司と知り合いだった様で、「迷惑を掛けたね」と謝罪の電話があった様だ。その後私が叱責を加えた係長はセールス部門に飛ばされた。その係長の人生をも私が変えてしまった。

設計部門は社外秘情報を多く抱えている、入室は制限されており、所属氏名も記載してから入る。私は勿論アポなしで行っている。文字通りのブルーカーラーの制服を着ているから目立つ。

そんな事ばかりをしているのだから人事評価が下がり、給与も上がらない。家族を養っていたら、妻からも飽きられるだろうて。

然りとて、そう云う会社の方向性を変えたのだから、その重責は重々承知している。それら重圧が肩に伸し掛り、それだけが原因ではないが不眠症を経て「うつ」に陥ったのである。嫌な役回りでも、他にやる者が居なかったからせざるを得ない状況でもあったのだが、そう思っているのは私だけだったかも知れない。誰も私に頼んだ訳でもない。

私の職責に於ける立場より、上に対しては厳しく当たる。下に対しては丁寧に対処する。私が辞める時の挨拶回りでも、私が辞めれば「その後どうなるの」と慕われていた事を実感した。「御免ね」としか言えなかった。

上に歯向かうと云うからとて、ただただ権力を敵視している訳でない。私のポリシーにそぐわないと、正そうとするのだから、他人様から見ると身勝手だろう。自分の手に負えないと無視をする。

簡単に自分を表すと「天の邪鬼(あまのじゃく)」である。自分がそうである癖に、他所様をへそ曲がりと評する自分が居る。お前は一体何様だと思ってくれて良い。

てんびんばかり

2011-09-25 18:31:50 | 人生

誤摩化さないで そんな言葉では 僕は満足できないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに 決まっているじゃないかい
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ...
河島英五「てんびんばかり」より

私は十把一絡げに判断しないと申した。男は...。女は...。日本人は...。異邦人は...。官僚は...。政治家は...。と一括りで語るのは好きでない。が、そう云う文章で書かざるを得ない事もある事は重々承知であるし、そう云う文章に接しても必ず例外はあると何時も思う。

島田紳介引退騒動で、未だにゴシップネタが絶えない。が、引退会見の後、会見内容が納得いかないとTwitterでツイートしたきり触れていないが、暴力団との関係で辞めるのなら演歌界は概ねアウトだろうし、大物芸能人も多数がアウトだろうし、キリがなくなるとお喋りのネタになる。取り締まる側の警察だって内偵捜査や諸々で親密交際も有ろう。線引きは曖昧だ。弁護士はどうなるの?

暴力団排除条例は2011年10月1日をもって、東京都、沖縄県(予定)が加わり全国が揃い踏みとなる。条例は各都道府県で規定はマチマチ。全国化するのだから、条例ではなく法律にすべきである。「親密交際者」認定するのも一部自治体(の警察)であり、東京都が行う金融機関からの融資を受けられなくなる規定はインパクトが有るが、そう云う規定のない自治体に行けば融資を受けられるのだから、全国化しないと意味は無い。

概ねこう云う条例は(明記してあるが)「排除」であって、簡単に言うと「あっちへ行け」と云う村八分的発想であって、それこそ人権無視である。暴力団構成員であっても、驚く程優しい人も居るのである。警察とて、役人とて、教職員とて、悪事を働く者が居るのと同じ。村八分的差別を受ける者が暴力団組織に加わる事は事実なのだ。皆も良く知る山口組は差別(同和問題)や在日朝鮮人差別なくして語れなく、構成員の8割~9割がそう云う人達であるとされている。差別されて暴力団構成員になり、また差別されるのだから、彼等の心中は穏やかでなくなる。

オウム事件の時も、麻原彰晃(松本智津夫)の子供等を受け入れないと云う自治体が有った。住民票を受理しないとは法律違反であり、勿論裁判で自治体は敗訴する。合格した大学や転校に依る入学拒否等の差別も受けており、それら学校側も敗訴する。法を犯していない子供に責任があるか?憲法違反である。

私は悪行は非難するが、人を非難しない。どんな極悪人にも良心はあると申したし、行いを正す事は可能だと信じている。が、死刑廃止論者ではない。行った悪行に対する罪は償わなければならない。殺人を行うて被害者の人権を絶ってしまったのだから、人権を楯に死刑を回避する事は良しとしない。死刑が嫌なら殺人を起こさなければ良いだけだ。「命」は尊いと思うからこそ、その代償は「命」でと思う。

差別する側も差別される側も、何処か心の弱さを感じるし、卑屈さを感じる。差別は倫理的に間違っているのだから、そこに気付けば差別は出来ないし、される側も指摘出来よう。感情で物事を判断するから道を外すのである。「感情」でなく「感性」を保って生きよう。人は皆「お互い様」で生きている。

1時間800円のコンビニのバイト、レジで方や80人を捌き、もう一方は40人しか捌けない。公平であろうか?拘束時間が同じであれば同じ給与であるのは当然か?80人捌く人が電車通勤でそれも自腹で、40人を捌く人は徒歩数分の人であっても、時給は同じであるべきか?もし、80人を捌く人の方にはクレームが毎日あったならばどうか?

2人だけでも「公平」を計るのは難しい問題だ。何千人、何万人と勤める大企業、国民と云う単位なら尚更だ。「公平」や「平等」なる言葉が有るが、それは無理な話だ。それぞれに「概ね」と云う言葉を冠すれば通用するかもしれないが、私は「公平」や「平等」は幻想だと思う。理想であって現実ではない。現実は「不公平」で「不平等」だと認識すれば、不満は生まれまい。世の中そう云う物だと割り切ってしまえば、不満なる負のエネルギーを浪費する事もあるまい。

何かしらジャッジメント、判断、決断に於いて「公正」は必要だよ。「公正」は誤摩化しや不正の無い事を指すからね。故に、弁護士のバッジには天秤が描かれている。

「評論・批評」を生業とする評論・批評家が居る。「評論・批評」とは是非や善悪を評価する事だが、批判や酷いと批難に終始するから嫌いだ。そんなに偉そうに言うのなら貴方がやれば良いとさえ思う。実際、政治評論家だった舛添要一氏は政治家に転身し厚労大臣も務めたが、あまり実績をあげたとは言えまいね。政界に入り、実態を内部から知り、トーンダウンした感は否めない。年金問題で「盗人は牢屋に入ってもらう」と刑事告発を約束したのに実行されていないのは非常に残念だ。「公正」が抜けている。私も批判ばかりじゃいけないね。舛添氏は厚労省官僚と対立しても、議員立法で薬害肝炎問題の一律救済を成し遂げた。良い処も勿論ある。その人が関心をよせる分野で活動する事は概ね世の為に良い事だと思う。

このBlogでも「表裏一体」を強くプッシュして来た。良し悪し、メリット・デメリットなる評価は個々人バラバラであり、或る人に取ってはメリットでも或る人にはデメリットである。ただ、物事を捉える時に、ネガティブでなくポジティブに捉える方が精神的にも、周りの人達に取っても「幸」をもたらすよ。

笑顔で生きて行こうではないか。...但し、能天気ではいけないよ。バランスが肝要。

ついこの間、比較的好感が持てると評した毎日新聞は毎日jpで「ゆがむ原発行政」と独自取材かな?電力会社の政官民癒着を報じている。襟を正し始めたか?腹をくくったか?裏で何が起こっているのだろう?まぁ、韓国の2倍以上する電気料金が色んな工作に使われていたのが良く分かる記事だ。よく書いたと誉めて於こう。

猫になりたい

2011-09-24 18:35:50 | 日記

灯りを消したまま話を続けたら
ガラスの向こう側で星がひとつ消えた...
スピッツ「猫になりたい」より

今日はてっきり日曜日だと勘違いしていた。何だか1日損した気分。orz

私はきっと昔から日付・曜日には無頓着だった。思い出すのは多分中学生の頃だろうか、女性に何時何時どうのこうの言ったよねと言われても、言った事は覚えているが何時言ったかまでは覚えていない。何時何時が重要ではなく、言った文言が重要で、私は日付を意識していない。「覚えてる?初めてデートした日」って聞かれても答えに窮する。意識すれば覚えられるが、日付に関しては本当に無頓着だ。逆に私が言われた事に後日反論しても「私がそんな事言った?何年何月何日何時何分何秒?」と言い返され、口を噤んでしまう結果と相成る。一々カレンダー・時計を見乍ら発言せねばならぬのか?相手を黙らす方便ではあるが...。

そう云う性格故に、歴史の年代も覚えていない。私には覚える為の根拠が必要で、歴史学者や考古学者等の論文だか何だか知らないが、その年代で本当に正しいの?と疑問に思うと記憶出来ない。歴史の順番は覚えていても、何年だかは私に取っては重要でない。「いいくにつくろう鎌倉幕府」程度は覚えているよ。日本の歴史はころころ暦を変えて来た。故に、今の新暦(太陽暦/グレゴリオ暦)に置き換えられているのか定かでないと覚える意味が無い。因に、1873年は明治5年12月3日=明治6年1月1日である。

今日は6時に家を出た。お決まりの道すがら、公園でのゴミ拾いと折れ枝を片付ける。一服していると今日は8時過ぎにはヨっちゃんが来た。少しばかりお喋りをして、何となく散歩に出掛ける。散歩コースはヨっちゃんがケンケンを見に行こうと云う一言で決まり。ケンケンとは雉子(キジ)の事だが、ただ留鳥ではあるが繁殖期は春なので多分見付けるのは困難だろうと思っていた。

生息域は数ヶ所知っている。一番近場へと向ったが、行きすがらの林の中はやはり台風15号の影響でそこら中倒木が見られた。中でも杉が一番多い。木に関しては素人だが、根こそぎ倒れている杉を見るとあまり深くは根を張らない様だ。恐らくは、人工林で適度な間隔を空けていないからだろう。更に、折れた杉の多くは心がブロックの様にボロボロになっている。杉特有の含水率の高さ所以だろうと思う。

散歩途中に古い石碑が有った。安永と刻まれているから、杉田玄白らが「解体新書」を刊行した頃の石碑だ。ふ~む、それだけでその近辺にはその時代から集落が在った事が読み取れる。更に近隣含め地名から恐らく平安時代に遡り集落が在ったと推測出来る。何も無い田舎町だけれども、そう云う想像を働かせ乍ら散歩し、帰宅してはネットで調べ裏を取る。当たっていると、それが記憶に刻まれる。時を経て、それに関連する発見が有るとより深く記憶に刻まれる。ただただ散歩するだけでは勿体ない。

お目当ての雉子は見付けられず、帰路に着いた。我々の散歩は兎角、知らない道を行くのがモットー。だが、お互いに体力が落ちているから、あまり無理はしない。帰路途中で大道の手前は林の陰で猫に餌を与えているおばさんに声を掛けた。7匹の洋猫が居り、聞くとやはり捨て猫で、そのおばさんも不妊手術費用を拠出したそうだ。私も同じ事をしている旨を伝え、同じ様な悩みを持っていると聞かされる。一言アドバイスをした。「餌を与えているのを見られると、捨て猫する者に安心感を持たれ、また捨てられ増えますよ」と。

良い機会だ。旧Blogでも散々記したが、また記して於こう。

動物愛護管理法第44条
第一項:愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
第二項:愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、五十万円以下の罰金に処する。
第三項:愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処する。

猫を含む愛護動物を捨てる処を通報され罰金を払う位なら、最初から不妊手術をすべきだ。ペットを愛玩動物と訳す事も気に喰わない。法が定める様に「愛護動物」と云う意識を持って欲しい。玩具の様に要らなくなったら捨てるとは「命」の軽視甚だしい。更に、餌を与えていると「餌を与えるな」と怒る人が居るが、私には「餓死させろ」と聞こえる。理由を聞くと大抵「増える」と言う。論理が破綻している。増えるのは不妊手術をしないからであって、今度言われた時にはこう返す。「お前は飯喰うだけで子供が出来るのか!」多分こう言い返してくるだろう。「他から寄り集まってくる」私は置き餌はしない。頑固者はそれでも引き下がらない。「糞尿が困る」私は代わりに人が連れ歩いている犬の糞も処理しているし、勿論公園の砂場に猫の糞があればちゃんと取り去る。故に、餌と同時にポリ袋を常時持ち歩いている。全ては無責任な法律違反をしている者の所為だ。自分は何もせず、ただ餌を与える者に叱責を加えるのはお門違いだ。

そうそう、富士山が初冠雪だとヨっちゃんから聞いた。薄らとだが富士山が見え、確かに雪が確認出来た。富士山の周りには雲が取り囲み、頂上からは雲海が眺められたろう。更に、富士五湖に10年に1度と云われている「赤池」も出現した様だ。21日には北海道大雪山系の旭岳で初冠雪と報じられた。上空には寒気が流れ込んで来ている様だね。今朝は寒かったもの。台風前まで上半身裸で寝ていたのに。でも、まだ蝉が鳴いているよ。

昼前には帰宅し、疲れたので昼寝をしようとしたが、案の定チャイムの音で起きてしまった。

人工の星屑が落ちた様だネ。

Rainbow Rainbow

2011-09-23 19:21:49 | 日記


フラスコ握るサイエンティスト 闇に投げつけて 飛び散るガラス七色
Winkin’ アインシュタイン...
TMN「Rainbow Rainbow」より
※TMNのデビューアルバムタイトルでもある曲で、副題が「陽気なアインシュタインと80年代のモナリザの一夜」。YouTubeで見るとコミックバンドかと思える。うぷっ。

拾い上げた歌詞は、ただただアインシュタインが登場するからで深い意味は無い。何せ、アインシュタインの特殊相対性理論が崩れる可能性を示す実験結果が出てしまった。質量を持つ物は光速を越えないとされていたが、質量を持つとされるニュートリノが光速より60ナノ秒早いらしい。研究者達はどう云う結論を出すのか非常に興味深い。

今日は資源ゴミ回収日であるから、資源ゴミをレジ袋に詰め、回収場所に出し、空いたレジ袋にポイ捨てゴミを拾い放り込む。今朝は5:30に家を出た。ゴミを拾いながら故、目的地の公園へは通常10分程の距離だが30分は掛かる。

公園に着くと先ずは四阿に行き「モー」ちゃんに餌を与える。「モー」ちゃんは、私のマスコット。旧Blogのトップページにも、私のプロフ画像にも「モー」ちゃんの画像を使っていた。「モー」ちゃんは2006年生まれ。何月だったかは記憶に無い。「ハナ」と名付けた三毛猫を手懐ける前に生まれた4匹の内の生き残り。離乳後から可愛がっているので、もう5年の付合いだ。オスだが、勿論去勢済み。1歳にならぬ内に尻尾を怪我し、壊死していたので、動物病院で切って貰ったからダックテールみたいな尻尾なのだ。

先日、犬の散歩をしているおばさんが「モー」ちゃんを見て「洋猫ね。ラグドールだわ」と言っていたが、今日は違う品種を口にしていた。小さい頃は「ターキッシュアンゴラ」っぽかったが、三毛猫から生まれたのであるから雑種には違いない。洋猫との交雑種であることは想像も容易いが、どの品種までかは判らない。

「モー」ちゃんに餌を与えていると、シンさんが缶コーヒーを御馳走してくれた。シンさんの趣味はカメラ。私も若い頃、Canon Circleに入会していたし、独学乍ら一応カメラ・写真は齧っている。シンさんとはよくそう云う話しになるし、カメラの基本をレクチャーしたりする。カメラ好きは概ねキヤノン派とニコン派に分かれる。シンさんもキヤノン派だから、話が合う。ただ、望遠レンズが欲しくて金銭的な問題から、タムロンとかはどうかねと聞かれると、私は決まって「ノー」と言う。カメラはレンズが命。値段は安くても望遠である程、F値が大きければ被写体は限られてくる。買っても思い通りの写真は撮れずに持て余してしまうだけである。それならば、私の様にマクロ機能のあるコンパクトデジタルカメラをネックストラップで首にぶら下げていた方がよっぽどマシだ。

カメラの話しになったついでに横道に逸れるが、ネガフィルムは「サクラ」が好きだった。感覚の問題だが、「フジ」はエッジが立ちすぎる。「コダック」は発色がキツ過ぎる。「サクラ」が少し淡い感じで好きだった。「コダック」の発色のキツさは、きっと青い目の人は色分解能が低いのだろうとさえ思う。私にはWindows若しくはMS-DOSのブルースクリーンは見ていると目がチカチカし、気分が悪くなる。

シンさんと一時間程お喋りした後、公園のゴミ拾いをする。ゴミ拾いが終ると、折れ枝を集めて集積場所へ。2時間程働き、休憩。猫ボランティア仲間のケンさんとお喋りし、9時を過ぎたので帰ろうかと思った処に、ヨっちゃんが来た。ケンさんは帰り、私はヨっちゃんとお喋り。

私が半年以上も引き蘢っていたので、その間にヨっちゃんはNPOに世話になっているジイさん達とお喋りしていた様で、めっきり口調がキツくなってしまったし短気になってしまった。以前なら阿吽の呼吸で散歩に出掛けるが、買物に出掛けると言うのでその時間を考慮し、散歩は公園の裏山にした。

その裏山は地域の有志が遊歩道を整備したのだが、先の台風15号で相当数の木が折れたり傾いたりしていた。裏山を昇り林を抜けると稲荷社があるが、そこのイチョウの大木もぼっきり折れていた。未完熟な銀杏も散らばっていた。一通り見渡し、被害の程度を観察し帰路に着く時に、私がヨっちゃんに「これも自然の間伐だヨ」と発した声が、前からスクーターでやって来たおジイさんの耳に入った様で、スクーターを止め、私に聞き直して来た。「台風であちこち木が倒れたけれども、自然の間伐だから、これで良いと思う」と言い直したら、気が合ったらしく話しが止まらなくなった。ヨっちゃんは知らぬ間に居ない。

そのおジイさんは、台湾出身らしい。市役所敷地内の桜の植林も間隔が狭過ぎると、自然環境には関心が高い様だ。私も、昨年まで公園の紫陽花を雑草取りまでして大事にして来たが、私が居ぬ間に花が咲く前に剪定したものだから今年は咲かなかった。市報にも載っていたのに。紫陽花の剪定は花が終わった後に二節目を剪定するのが基本。そう云う話しもし乍ら、お互いに環境に関してやり取りしている間にお昼が近付いて来た。丁寧に挨拶を交わし別れて帰路に着く。

帰宅し、昨日無人野菜直売所で買った茄子を焼茄子にして頂く。何時も昼寝をしたくて横になるが、うとうとまでは行くのだが熟睡出来ない。決まって玄関のチャイムか電話が鳴る音は幻聴で起きてしまう。中途半端に寝ると余計怠い。玄関のチャイムの時は一応玄関を開けてみるが誰も居ない。orz

向精神薬も長い間服用して来たから、依存症になりはしまいかと、薬を整理し就寝前だけにした。昼間薬を服用したくなるが、何とか我慢している。夜19時に服用し、後は薬に任せて寝る。その日次第で、何が影響しているのかさっぱり判らないが、20時には寝ている事もあるし、22時頃まで寝れない事もある。

早寝だと思われるでしょうが、本来、健康な時は9時間程は寝たい人であるから、起きる時間を逆算して寝るんです。早く起きる分には遅刻は無いのだから構わない。7月頃から熟睡出来る様になったものの、これまた何が影響しているのか判らないが、3時間程で起きてしまう事しばし。時折、6時間程寝れる。故に、夜中に目が覚め、パソコンを立ち上げて夜が明けるのを待つ日々也。

薬なしで就寝出来ないと、就職も不安だ。さて、もう少しで薬を服用する時間。