Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

ONE SURVIVE

2011-09-03 09:06:49 | 人生

One survive 独りでは実現出来ないなんて思わないで居て
たったひとつの確かなものを You can get!
One survive ありのまま 感じるまま 心のままにとぎ澄まして
聴いて!生きてくキーワード GET POWER and ONE FAITH...
中島美嘉「ONE SURVIVE」より...

私は高校に進学していないと告白した。その直後、喫茶店は厨房で先輩に付き、その店で出すレシピを覚え、一通り出来る様になった1ヶ月後突然先輩が辞めてしまった。厨房は一人で切り盛りし、カレー(ルーから作る)、ブイヨン、ベシャメル(ホワイト)ソース、デミグラスソース、マヨネーズ、ドレッシングを基本に、それらを使うレパートリーを提供していた。

やれないなんて思った事はない。

小学生の頃は、徒競走は何時も中盤であり、1位を羨ましいと思った事がない。競争が好きではなかった。絵で表彰された事は何度かあるが、それには順位がないので素直に嬉しかった。柔道も中学1年まで習っていたが、乱取り稽古でも相手を投げ飛ばす事が好きでなく、主に足技で倒す程度である。投げられ痛い思いをする事も嫌であるから、投げられない様に躱す程度である。寝技は得意であった。何故なら、相手を痛めつける事なく時間いっぱい押さえ込むだけであるから。

その柔道で知り合った1年先輩に中学進学後に陸上部に誘われた。そう云えば小学生の頃は何時も中盤で、たまには1位になってみたいと快諾し、先輩の指導のもと、また、専門書を買い、走る為の理想的なフォームを学び、練習に励み、秋の体育祭には200mトラックを7周半の1,500m走にて、2位以下を半周の差を付けて1位でゴールした。クラスメイトが感極まって胴上げしてくれた。

1位で良いと甘んじていたら、半周差は生まれない。自分の能力を遺憾なく発揮してからこそである。自分の限界など有るなど思っていなかった。

冒頭の喫茶店での仕事は事情があり2ヶ月強で辞めた。その後自分で選んだ訳ではないが、鉄工所に勤める様になった。溶接や溶断が基本で様々な機械を使い、金物、鉄骨を製作し、現場で取付け、建造する。
そこも1年程で先輩が辞めてしまい、17歳で初めて図面から寸法を割り出し、鉄骨を加工し、現場で建造した。勿論、全て一人でやる訳でない。私は一番の年少者であり、先輩は他にもいる。

私に出来るのだからと、ハッパを掛けられた先輩が仕事を任された時、水下の寸法を水上の寸法と図面を読み違え、内装大工から寸法が合わないとクレームが来て大問題になった。当時の住宅金融公庫から資金を借りると設計通りに建設されているか検査が入る。住宅以外にその資金が使われていないか厳しく検査される。つまり、施主にとっては設計図通りでなくては資金の返却を求められる事となり、「天井が少し低くなりました。済みません」では済まされない大問題なのだ。

仕事場に私が一人しか居ない時にヤクザが来て「鉄砲で殺すぞ!」と脅しに来た事がある。先輩は夜でも何か悪さをしたらしい。

18歳の頃、螺旋階段、寄せ棟構造、10階+エレベータハウスと、次々難題な仕事も知恵を絞り熟(こな)して来た。何しろ私しか...私も初体験では有るが...出来る者が居なかった。10階+エレベータハウスは地上35mで、幅10cmの鉄骨の上を歩いていた。そう、鳶(とび)も兼ねていた。

何事も自分で壁を作って、乗り越えられないと諦めるのは好きではないし、私には無理と諦める人を見るのも嫌いである。困難な壁でも乗りこえなければ成長は有り得ない。他人様に出来て自分に出来ない事などない。特別な障害がない限り。例え両手が無くとも口で筆を咥え字も書ける。足で書く人だっている。五体満足で、何故に諦める。

「火事場の馬鹿力」なる言葉が有る様に、得てして自分が気付いていない能力を発揮する事があろう。自分が気付いていないだけで、本来の能力は自分の想像以上にある。

夢を抱け、大志を抱け。