Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

ゆりかごのある丘から

2011-08-29 15:17:22 | うつ

一度だけ君がくれた 手紙を読み返したら
気付けなかった寂しさが降ってきて
ごめんねとつぶやいても もうどうなる訳でもなく
切なさがギュッと胸をしめつける
Ah 僕が戦場に行っているその間 君はもう違う誰かの腕の中
そして僕は一人...
Mr.Children「ゆりかごのある丘から」より...

「うつ」の酷い時には音楽を流しっ放しにしていても、歌詞など耳に入らない。「うつ」を悟ってからは歌詞の意味を感じる様になって来た。体調も良くなって来たし、服用薬の効き目も違う。確かに、「うつ」になる原因を理解したが、自尊心のバランスをどう保つかは試行錯誤せざるを得ないとも言った。

前エントリで、自分の言動が他人様に与える影響を常に考慮していると記した。逆に他人様の言動もまた私に影響を与える。昨朝の公園のベンチの損壊を見た私はショックを受けた。肩を落とし、帰路に着く時には意気消沈し、「やっぱりこんな世の中は嫌だ」と思うと同時に、そんな世の中に私自身が加担していないかと自問自答した。勿論、意見や行動を起こす前に悪い頭で熟考するが、自信が持てなくなり不安が湧き起こる。

前エントリをポストした後、過去に計画(輪番)停電について、すっかり騙されていた自分に気付き、夜まで再検証していた。私が犯した罪は、計画(輪番)停電を一つの根拠として反原発と早計に唱えるなと発言した事である。計画(輪番)停電は東電・官僚・マスコミの策略だった。経験の浅い政府もそれに乗っかっていた。それを見抜けなかった私も無能である。「うつ」の酷い時期だったとは言い訳にもなるまい。

反・脱原発に対する意見はこのブログでも述べているし、それはブレてはいない。

再検証していた過程で、4月25日に行われた原子力安全・保安院と東電の海外向けプレス記者会見に於いて、海外プレスの出席者が誰一人居ないYouTube映像を見つけた。私はその頃は酷い「うつ」状態だったので、ブログもTwitterも全てのコミュニケーションツールを遮断していた時期なので知らなかったが、震災直後からの会見等を暫くは観ていたので、全然不思議とも思わない。嘘が次々バレていたからね。

お陰で、遠ざけていた薄汚い裏社会?真実?をまざまざと見る事となり、今朝は胸が苦しく、「生きる意味」と云うワードをググっていた。そこに答えがあるとは思っていない。不安感を共有出来る何かを求めていたのだろうと思う。生命の生死は自然の摂理であるが故に生きる為の意味など無い。と、最後にはそこに辿り着く。

タイトルは「閑雲野鶴(かんうんやかく)」にしたかった。余生はそうしたい。その為にも、「うつ」を治し、社会復帰し、その資金を得なければならない。水が出て、凍えない土地に移り住み、自給自足の生活をしたい。

再生可能・自然エネルギーと云うが、自然からエネルギーを人間様が奪うと、その分比例して、そのエネルギーで生きている他の生命体がダメージを受ける。言葉のレトリックでしかない。水力発電でもダムを造る事で下流の生態系をエネルギーを人間様が横取りする分、生命体が減ったではないか。太陽光でも風力でも同じである。

愛知県蒲郡市の市長が「三陸は歴史的にも被害が散見され、明治、昭和にも津波があった。先人達も造るなと言って来たのに、家が立っている方がおかしい」と発言し、物議を醸しそうだと報道があった。どちらも知恵がない。被災地の映像を見て思ったが、比較的鉄骨構造の建物は倒れず残っていたりする。ならば、高床式の高層ビルにでもすれば良い。下層は駐車場にでもして、被害を抑えることは出来る。高台の山を切り開いてまた自然破壊するのかい。海岸線をもっとコンクリートで埋めて高い堤防を築くのかい。

鎌倉の大仏は皆良くご存知かと思う。今は丸裸だが大仏殿が津波で流されたと記載されている。現在は海外線から1km強だろうか。よく、歴史を学んで名武将の武勇伝になぞらえる人がいるが、歴史を学んだのなら同じ過ちを犯すなと言いたいものだ。

私の住居は5階建てで川沿いにある。川の氾濫を懸念して、それだけではないが5階に決めた。1階は店舗スペースだが入居者が居らず、2店舗を住居に改装した際に大家さんから1階に移らないかと言われたが断った。それ以前に道路が冠水し見廻りの消防車すらエンストしたのを見ている。

何度もこのブログで言っているが、メリット・デメリットは表裏一体である。メリットばかりに気を取られてデメリットを担保することを忘れてはならない。そう云う意味でも蒲郡市長の言葉も左程間違っているとは思えないのである。家を建てたのは自分の意思であろう。自分の意思で建てておき乍ら、被害、つまりデメリットを行政になすり付けるのはお門違いであるし、そう云う被災者がいないのは立派である。そんな立派な被災者に温かい言葉を贈る配慮がないと云う意味に於いては蒲郡市長の言葉は辛辣である。

天皇陛下が被災地を訪問された際には膝をついて被災者を労っていたが、東電の役員・社員は膝をつきもせず立った侭、詫びの言葉を放った。胸ぐらを掴んでぶん殴れば良い。軽犯罪に問われても国民皆が庇うだろうさ。

I Cry

2011-08-28 13:16:54 | うつ

誰にもわからない あなたにも気付けない秘密
ただ一人きり I Cry 声をあげて I am crying...
加藤ミリア「I Cry」より...

先々週だったかな、待っていた「外に出たい」と云う気持ちが湧いて来て散歩に出掛けた。2日出掛けてみたが何となく不安で、物悲しい気分になったので止めてしまった。それから2週間弱の今朝出掛けてみた。行く場所は決まっている。中規模の公園で片道1km弱。

その公園では引き蘢るまで彼此4年程ゴミ拾いや雑草取り、自分で出来そうな簡単な公共物の補修、地域猫の餌やり(不妊手術済み)、捨て猫の里親探し、エトセトラ...やって来た。それらは仕事をしていない罪悪感からで、少しでも社会貢献をして恩返しをしようとする気持ちであり、ボランティアである。

私的な事で問題を抱え込み、気分転換に外に出ようと今朝公園へ出掛けた。公園への行きすがら、地域猫2匹に餌を与え、食べ終わるまで待つ。1匹は「ミミ」と名付けて避妊手術もしてある。もう1匹はオスの茶トラで「まだ名前はない」「去年生れたばかりで、当年とつて一歳だ」...まだ一歳にはなっていないが、生まれた時は一番臆病で、餌で誘っても近付きやしない。が、生き残った最後の1匹。去勢したいが事情があり去勢費用が捻出出来ないでいる。

公園に着いたら四阿(あずまや)に向うが、四阿の手前に無惨な姿の木製ベンチが放置されていた。

溜息ひとつ...。

これは刑を当てはめると刑法第二百六十条の器物損壊等にあたり、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。と相成る。

木製ベンチは結構重量があり、恐らく復数人の犯行だろう。公共物は税金で作られた物。皆の財産であり、悪戯で壊すなら私物にしなさいと強く思う。自由は無制限ではなく、責任がついてまわる。法を犯したのだから罪を償いなさい。或いは元通りに直しなさい。壊した者はフラストレーションを発散出来ただろうが、私は落胆し、フラストレーションが溜まった。強い憤りを覚える。

私がフラストレーションを発散したら、誰かにそのフラストレーションが向う事は良く判っている。故に、理性を重んじ、極力自欲を押し殺して来た。常に、自分の言葉が、行動が、他人様に与える影響を考えつつ生きて来た。それがどれ程の重圧かも知っている。

自分が外因であろうと内因であろうと痛みを知っているからこそ、他人様の痛みも判る。

自分が立派だと言い張るつもりは毛頭ない。むしろ、自分が生きている事で他所様に迷惑を掛けるのが恐いと思っている。故に、このBlogのサブタイトルにソクラテスの言葉を引用している。

もう中学生になり、会う事も殆ど無くなってしまったが、その子等が小学三年生の頃から、公園で遊び相手になり、見守り、飴を与えて飴の包み紙はゴミ箱にと道徳を教えて来た。市ではゴミのポイ捨て禁止条例が可決され、科料でなく罰金と云う重い罰則を設けた。その後、市内の公園からゴミ箱・灰皿が撤去された。理由はこうだ。市外の住人が生ゴミ等のゴミを公園のゴミ箱に捨てるから。市のゴミ収集は今の処無料だが、近隣市は有料化されている。

子供達にゴミはゴミ箱にと諭す事が出来なくなり、暫くは持ち帰っていたが、次第に飴を買う事もやめる様になった。灰皿があればそこに吸い殻を捨てる人もポイ捨てする様になり、私のボランティア活動も負担が増した。市はポイ捨てに対し罰金を課したが、ゴミ箱を撤去し増々罪人を増やした。生ゴミ等を捨てに来る者こそ罰を与えるべきだ。

一部マスコミが鳩山邦夫(元)法務大臣に対し、死刑執行数をあげて「死に神」と罵ったが、法律は執行しなければ「絵に描いた餅」でしかないし、その効力も失われる。市のポイ捨て禁止条例も執行された例を聞いた事がないし、警官すらそう云う条例がある事すら知らなかったりする。科料は犯罪歴にならないが、罰金は犯罪歴になる。

ベンチの壊された公園は市が管理者である。器物損壊は親告罪であるから、市が被害届を出すのが筋であろう。市に写真を添付しメールを打った。


Dragostea Din Tei

2011-08-27 08:34:34 | 人生

Ma-I-A Hi, Ma-I-A Hu
Ma-I-A Ho, Ma-I-A Ha-Ha...
O-Zone「Dragostea Din Tei ~恋のマイアヒ~」より...

「Dragostea Din Tei」とは、「果敢ない恋」「偽りの愛」のメタファーの事らしい。

私は無学です。Blogを読んだ方は私をどう捉えていたでしょうか?大卒?高卒?いやいや、そんな捉え方をしている方が居るとは思っていませんが、私は中卒です。高校中退ではありません。入試は受かったものの進学しませんでした。

或る会社での事、プリンタのダンプコードは16進数で出力され、外字を印字する為にプリンタに登録する際にどれぐらい容量があるのかもダンプコードを確認する必要がありました。16進数を10進数に変換しないと読めません。進数変換は中学で習います。2進数を10進数に変換出来るなら後は応用です。

高卒の後輩が教えを請うて来ました。勿論、中学で習ったでしょう?と聞きましたが、答えはノー。先ずは簡単な2進数を10進数に変換する計算から教えました。彼が理解出来たかと聞かれれば恐らくノーです。私の力量不足でもありますが、判らないからと無関心でいるよりはマシです。関心を持てば、自ら解を得る事が出来る可能性があります。

彼は計算方法を聞きに来ました。正しい事です。概ね、解を、答えをダイレクトに求める人が居ます。それは、私に言わせると思考停止です。自分で考えもせず、他人様が思考し得た解を、答えを真似ても、それっきり。次に応用問題を出題されれば答えを間違えます。

そう云う意味に於いては、流行に乗っかるタイプの人は概ね答えを聞くタイプの人です。

ネクタイの結び方にも色々ありますが、Yシャツの襟(カラー)がワイドカラーなのに、プレーンノット(細い結び目)な人を見掛けます。ワイドカラーならウインザーノットの方が好ましい。更にディンプルを作った方がお洒落です。ネクタイはカラーに合わせ結び方を変えますが、意外と知らない人が多い。ネクタイをしている人の結び目を良く見ると、きっとネクタイを外した後、結び目を解かなくてはならないだろうなと想像すると面白くなってしまうことがあります。髪はバシッと決めているのに...。

何が言いたいかというと、基本さえ押さえておけば、後は応用力でカバー出来ると云う事。

皆が良いと言うから車はトヨタ、会社で使うパソコンはWindowsだから家でもWindowsとはよく聞いたものです。人それぞれ拘りは有る筈。皆が使っているから安心感を得るのだと思いますが、責任も人任せでは困ります。会社ではWindowsの致命的なバグに泣かされっ放しの連続でした。或るバージョンで組み上げた外注のソフトはそのバージョンでしか動かない。Windowsのバージョンを上げれば解決するけれど、外注ソフトもまた作り直しせねばならず、そんな経費は通らない。決裁権を持つ上司の判断ミスと取られるからです。斯くして、その皺寄せは末端に及びます。OSは他にも有るのに、良くリサーチもせずに仕事はWindowsと他の選択肢は無視。

これから中国市場が伸びると、猫も杓子も中国進出。合弁を強要され、技術を得たら合弁を一方的に破棄され、コピー商品が出回り、中国撤退。国内では仕事が無くなり、アウトソーシングが流行、社員は首を切られ、終身雇用は夢と消えた。これらは銀行から送り込まれた役員やコンサルタント会社の仕業。目先の利益しか目に入らず、長期的ビジョンの無い左証。トップマネージメント層こそ、長期的ビジョンを見据えなければならないのに、それが出来ていない。更には哲学すら持ち合わせていない。

世界的に不景気でも利益を上げる会社が有ります。そう云う会社は、自らのポリシー、或いは哲学を貫き通しています。故に、景気に左右されない。

このBlogを読んでいられる方は概ねパソコンをお使いかと思います。漢字変換にスペースバーを押していますね。何のストレスもなく押しているでしょう?これを発明したのはジャストシステム創業者の浮川夫妻です。英文だと「I Love You.」とスペースを入れますけれど、日本語だと「私はあなたを愛しています。」とスペースが入りませんよね。英文を打つ時と同じ様にスペースバーを漢字変換に用いたのです。この発明のお陰で、英文混じりの文章もストレス無く打つ事が出来ているのです。

「微に入り細を穿つ」とはこう云う事。そう云うものは廃れません。「微に入り細を穿つ」為には人真似では成し遂げられません。ビル・ゲイツを天才だと上げ諂う人はそれを判っていません。

冒頭、私は無学と申しました。無学とは学力・知識が無い事を指します。が、辞書を引いてみて下さい。仏教用語では、煩悩を絶ち尽くし、もはや学ぶべきものが無い境地ともあります。ビックリしましたか?無学と無知は似て異なるのです。私が仏教用語を意味して使用しているのではありませんよ。2ch用語で「厨房」と罵られる侭、その通りです。

time will tell

2011-08-24 07:29:18 | うつ

Time will tell 時間がたてばわかる Cry だからそんなあせらなくたっていい
Time will tell 時間がたてばわかる Cry 明日へのずるい近道はないよ
きっと きっと きっと...
宇多田ヒカル「time will tell」より...

「うつ」と云う病気を簡単に説明しよう。人間も神経伝達に電気信号が流れる。電化製品に回路基板がある様に、回路に過電流が流れるとヒューズが飛ぶ。ヒューズは回路基板を守る為に組み込まれている。人間の神経にもヒューズに相当する仕組みが有る。過度なストレスを抱えるとそのヒューズに相当する機能が働き電気信号を遮断する。簡単に言うと「うつ」とは、ヒューズが飛んだのだ。生命を司る脳と云う複雑な回路を守る為に、ヒューズが飛んだのだ。

神経細胞は物理的に連続して連なっていない。神経細胞間には隙間があり、電気信号を伝達する為に、その隙間を神経伝達物質が隣り合う神経細胞に信号を伝える役目を果たしており、それがヒューズに相当する。ヒューズを交換しても、過電流である過度なストレスと云う根本を直さないと、またヒューズが飛ぶ。

脳の神経ネットワークは複雑であるが故に、何処のヒューズが飛んだか迄は判らない。故に、人それぞれ「うつ」に依る症状に個人差がある。現代医学の薬物療法は対処療法でしか無く、飛んで壊れたヒューズを無理矢理一時的に繋げているだけ。根本的な原因の過電流である過度なストレスを直さないから、薬物で一時的に繋げても直ぐに断線する。ヒューズを知らないなら、電球が切れるに置き換えると良い。

根本的ストレスを無くさないと「うつ」は治らない。治っても同じストレスを浴びるとまた「うつ」になる。「うつ」を再発させない為には、ストレスとなるマイナス要因をプラス要因だと考え方を変える必要がある。

世の事象はすべからく、善・悪、陰・陽、プラス・マイナス、メリット・デメリット、ポジティブ・ネガティブ、表裏一体である。どう捉えるか次第である。ある所では常識が非常識である様に。或る人がショックを受ける様な事象でも或る人は平然としていられる様に。

私はこのブログでマスコミ批判をしているが、マスコミが真摯に全てを報じると暴動が起こるかも知れない。マスコミが嘘をつく、或いは事実を隠す事で暴動が抑えられているとも捉えられる。

どんな極悪人でも良心が全く無い訳ではない、どんな善人でも全く悪心が無い訳でない。極刑として良心を信ずる人は死刑廃止を唱えるし、死刑を実施する事で良心が極悪非道な行為を抑える効果もある。

例えば自動車事故に依る死亡者数は’90年には年間1万人以上だったが、自動車メーカーもパッシブセーフティからアクティブセーフティと云う概念に切り替え、’09年に年間5千人以下に減少した。

今年の福島第一原子力発電所の被災に依る事故も、或る意味契機だった。より安全な原子力発電にシフト出来たし、CO2削減に貢献しただろう。が、脱原発と云う選択をしてしまった。今ある核燃料を移動可能にする迄には冷却期間が必要であり、それには数年は必要だ。その間にまた同規模の地震が起こらないと云う保証はないし、同じ事故が起こらないとも限らない。更に、将来原発を解体処理すべき若者の原子力工学への道を閉ざしはしないかと懸念せざるを得ない。確かに放射能汚染は深刻だ。それを処理する技術者は将来も必要であり、原子力工学を志す若者が減少するであろう脱原発宣言は致命的である。目先の事象にヒステリックに反応しては誤った道を行かざるを得ない。

死傷者をゼロに出来ない自動車の利便性を重んじて良しとし、自動車の死傷者を極端に下回る原発事故にノーとは、目に見える恐怖より目に見えない恐怖の方が余程恐ろしく、人々を不安にさせるのだと改めて知る事となった。

恐らくその根底には、一つとして、民間企業はまだ信用出来るが、国は信用出来ないと云う心理があると推察する。民間企業は概ね客の要望を聞くが、議員や公務員は概ね市民の意見を反映しない。前者は不満の出る前にと先手先手を打つが、後者は後手後手だ。

さて、「うつ」に話しを戻そう。「うつ」患者の多くが喫煙者と云うリサーチがあった。精神科医の中には禁煙を推奨しない医師も居る。喫煙者なら気分が落ち着く、集中力が増すと云う感覚を覚える筈だ。喫煙でドーパミンが放出される生理反応だからだ。それを裏付けるのは禁煙治療薬の経口薬で、ドーパミンの放出を抑え、喫煙に依る快楽を得られなくする。抗鬱薬でノルアドレナリンを操作するが、ドーパミンはそのノルアドレナリンの前駆体である。つまり、ドーパミンがノルアドレナリンに変化する。簡単に言うと、煙草もまた「うつ」患者の精神安定剤である。当然乍ら「うつ」の原因を解明出来ていないから反対意見もある。喫煙者の方が「うつ」に罹り易いと云った論調もある。

日本禁煙学会は「喫煙と精神疾患のつながりを断ち切る」と銘打った論調を主張しているが、副流煙を吸わされる者にとって喫煙者に罰金を科すべきだとさえ言う日本禁煙学会は、偏向極まりなく、私に言わせば「日本嫌煙学会」である。アメリカ社会に於いてデブは自己管理が出来ていない証拠だと就職難に追われた様に偏向思想と同じ。

もし仮に、煙草の販売禁止になったとしても、肺がんや脳梗塞が一掃されると思えますか?有り得ない!煙草の煙より自動車の排気ガスの方がよっぽど身体に悪い。

「うつ」患者には不安が付き纏う。物事をネガティブにしか見えないし、人間不信に陥り、人混みが嫌いだし、恐いとすら感じる。然し、精神が比較的安定している時にこう考えれば良い。5年後、10年後、今と同じ自分が居るだろうか?きっと、また以前の様に仕事を家事をしている自分を想像出来るだろう。

その希望が「うつ」であるあなたを癒すであろうし、自殺を思いとどませるだろう。

矛盾の上に咲く花

2011-08-21 07:05:37 | 世評

人は弱し うわべを装い 心は裸 うわべは崩れる
もろい裸心たやすく傷付き 救いを求めうろたえる
頼れる物捜ししがみつく それの繰り返しが人の歴史...
モンゴル800「矛盾の上に咲く花」より...

「うつ」を悟ってから穏やかな心で過していたが、昨日は久し振りに苛々した。苛つくとは辞書にには思い通りにならぬ、気持ちが高ぶるとある。が、思い通りにならぬとは少しニュアンスが違う。先のエントリでも書いたが、仕事はプロフェッショナルに徹するべきと記した。何に苛ついたかと云うと記者クラブに属する報道の姿勢にである。

テレビ報道等は既にシラケていて、もう随分と見ていない。新聞も取ってはいない。PodcastでNHKのラジオニュースやフリーランスの記者達の報道が主で、ネットでの大手マスコミの報道をRSSで、気になるニュースだけを選択し、多くのニュースソースを見比べる。

大手マスコミのネットニュースはその記事をTwitterに投稿出来るし、その記事をツイートした人達のコメントも見られる。昨日は2件の記事に対して苛立ちをもって、半ば罵る様なコメントを記した。

1件目は、大阪堺市で販売された栃木産腐葉土からセシウムが2800ベクレル/kgが検出されたと云うもの。そんな情報は以前にもあったし何を今更記事にしているのかと怪訝に思うし、親心で忘れた頃に以前にも記事にしたのにまだ出回っていると注意喚起のつもりかも知れぬと好意的に取れるかも知れない。が、私は敢えて「シーベルトに換算して報道しろ!何時迄経っても勉強しない記者クラブめが!」とコメントを付けてツイートした。

堺市の報道提供資料を抜粋した記事でしか無く、ベクレルでも放射線は無いに越した事はないのは事実だが、人体にどう影響するか否かを判断し、誰にでも判り易く事実を報道するのがマスコミの役目であり、全くの手抜き報道で、どう見ても素人でも書けそうな記事である。

市販のガイガーカウンターではγ(ガンマ)線しか測れず、もっと深刻なのはβ(ベータ)線、α(アルファ)線である。堺市の報道提供資料ではGMサーベイメーターTSG-121を使用しているのでβ(ベータ)線も測れるが、どちらを検出した値なのか記載が無い。ただ農水省の設定した暫定許容値400Bq/kgを越えて(単純に暫定許容値の7倍)いるだけである。セシウムでもセシウム137は農業や癌治療、食品や下水汚泥、医療器具の殺菌にも使われてきた。核種の違いに依り半減期も異なるし、不勉強だが恐らく今騒がれているのはセシウム137CSであり半減期は約30年、内部被爆しても約70日で排出される。セシウム135CSも核分裂生成物で、こちらは半減期が「約」を付けるまでもないが230万年。

「シーベルトに換算しろ」とは、そう云った核種を調べなくてはならず、核種に依って換算する係数が異なるからである。そこを追求しなければ、比較的安全なのか重大な危険があるのかはっきりしない。更に、記しても無駄だが、α線は45mm程しか飛ばなく、内部被爆しても検出できない放射性物質ウランやプルトニウム(241以外)であり、放射線を短距離で出し続けるが故に細胞核やDNAを傷つけ、癌化する。ECRRが千葉の車のエアフィルターからα線を検出している。

2件目は、細野原発相が福島で除染チームを立ち上げると云う記事に対し「除染と云っても放射性物質が消える訳ではない。除染物の処理はどうするのかな?」とコメントを記してツイートした。除染物とは誤りで、汚染物の方が正しいかな。

その汚染された土壌や瓦礫をどうするかが問題だ。まさか、海洋投棄などしないだろうな!と、訝ってしまう。ならどうするのか?裏で、暴力団が土地を買い叩き、穴を掘って、出た土を売り、汚染土を埋めているとも噂で聞くが。そう云った事をさせない為にも、マスコミは除染の工程を追求すべきである。が、それもしない。呆れるばかりである。

日本国中に英知を持った人達が居る。そう云った人達の助けを借りる為にも、事実報道に徹して欲しいと切に願うが、円高でも管総理は知らんぷりと個人攻撃はする癖に、論理的解説はお粗末としか言い様が無い。政府の市場介入する権限は財務大臣であり、実務は日本銀行である。そこも捩じ曲げて報道するから許せない。

8月7日にはフジテレビ前でフジテレビに対するデモがあったが、その後その様子を報道したとは聞かないな。無視したか?

何年後かは判らないが癌患者が増え、放射線の影響だと国や東電を訴える訴訟が繰り広げられるだろう。そこでもマスコミが迎合主義的に報じるだろう事は容易く想像出来る。私が放射線による癌になっても、団体訴訟には加わらないよ。そう云う時代に生まれてきたのだからそれを受け入れる他あるまいと思う。

会社や団体、政府や国会も人の集まりに過ぎない。そんな組織に、他人様に自分の命を預ける方が可笑しい。否、迷惑を被ったのだから保証せよ!と言った処で迷惑を被ってからでは遅いのだ。自分の身は自分で守る。そう云う本能は本来個々が持っている筈である。だから、私は報道を鵜呑みにしない。自分で調べ、自分で判断し、その結果責任を他人に押し付けたりはしない。

新潟中越沖地震での柏崎刈羽原子力発電所でも使用済み核燃料プールから汚染水が漏れ出した。その時点で、もう福島第一原子力発電所の様な事故が何処かで起こるであろう事は想定内だったし、慌てふためく事もなかった。原子力発電所の設置に伴う莫大な補助金で何故に核シェルターを作らないのかと昔から訝っていた。

そもそも、原子力発電を推進してきたのは自民党政権であり、それを支えてきたのは我々国民だ。私は多分中学生の頃だと思うが、非核三原則を教わった時から何故に原子力発電所は許されるのか?不思議でならなかった。まぁ、科学の教師が共産党員で原子力発電所に係る根拠の無い話しを聞いた為もあろう。私が投票権を持つ前から原子力発電所は存在していた訳であるから、どう足掻こうと無駄であったし、政治の世界の矛盾だらけの論理も理解出来なかった。その頃は今の様にネットも無く、個人で裏取りなどほぼ不可能だった。マスコミの報道が嘘くさいなぁと感じても、主にゴシップを扱う週刊誌も嘘くさく、個人で裏取りする事は出来なかった。

が、今は違う。個人でもネットを使い、記者クラブの報じた事が真実か否か判断出来る。色んな意見を聞き、自分の責任でもって自分で調べ判断出来るし、そうすべきである。それこそが民主主義である。