Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

万葉集 巻13・3305

2012-05-23 05:50:08 | 世評


今日の花は「ツツジ(躑躅)」、ツツジ科ですが、これまた品種が多く素人の私には品種名まで特定出来ません。ツツジも万葉集に出て来ます。

物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 汝れをぞも 我に寄すといふ 我れをもぞ 汝れに寄すといふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ
柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

躊躇することもなく、道をひたすら進んできたが、ふと振り返って青々とした山を見ると、躑躅の花があなたのように美しく咲いて、桜の花があなたのように華やかに咲いている。あなたは私に心を寄せてくれていると人は囃し立てる。私もあなたに心を寄せていると人は噂する。花も咲かない荒れ山であっても、仲がいいと評判になるくらいだから、人の噂にはあなたも気をつけてください。

この歌は四首の問答の一節です。反歌を交えて3309に纏められています。

先週寝られず意識が朦朧としていたと記しました。私が「うつ」の診断に至る前には「不眠症」とカルテに書かれていました。「うつ」に於いて最初の自覚症状は「不眠症」です。「不眠症」に至るには「人間不信」があります。本来責任を負う担当者がミスを犯しても責任を取らず、私が尻拭いを延々として来た故に、24時間稼働の勤務地の状況が不安で、寝ようとしても頭は仕事の事ばかり。寝ていても呼び出しで会社に駆けつけたりしているうちに、寝られなくなってしまいました。自責なら自分の権限で如何様にも出来ますし、対策も講じられますし、自責のミスはその会社では1度きりで、私を悩ませたのは他責ばかりです。

「忘れる」と云う事は「うつ」になって沁み沁み思うのですが至極重要な事です。愛する人に先立たれても「忘れる」事が出来なければ精神に異常を来すのは当たり前。悲しみも苦しみも「忘れる」事で生きて行けるのです。「忘れる」には何が必要か?それが、睡眠です。

睡眠で一時的に意識が途切れる事で、段々「忘れる」事が出来るのです。毎日睡眠を取る事で、一日一日が成り立つのであって、睡眠を取らないと連続した日を過ごす事になり、「忘れる」事が出来ません。精神をリセット出来ないのです。連続した日々に「新たな気持ちで」は無いのです。意識が途切れる「熟睡」は生きる上で非常に重要なのです。

世の中見渡すと、権限が強大で、それを権威と云うのですが、権威を悪用し、尚かつその権限に値する責任を全うしない人の多い事。そんな世の中だから、自殺者・孤独死が各々年間3万人を越える異常な事態になっているのです。

汝心勤

権力に立ち向かう姿勢に「原発再稼働反対」があります。それはそれで間違っているとは言いません。そもそも、デメリットの担保無しに推進めて来た政策が間違っているのですから。「原発再稼働反対」を唱える親友にメールを打ちました。一部抜粋しますと...

「我々の要求は、最終処分所を作る事、廃炉解体に準ずる費用を積み立てる事、同時に解体に準ずる技術者の育成をする事、耐用年数をいたずらに延期しない事、それまでは安全を担保する事の順番になります。そうしている内に代替エネルギーも目処がつくでしょう」

私の思う処はこうです。原発を止めても危険が去る訳ではありません。厚い鉄板で覆われている原子炉内よりも只のプールに保管されている燃料の方が危険です。が、原発を止めてもその燃料を最終処分所が無い限り、各原発に留め置かれるのです。恐らく、資本主義や経営の観点からすると、利益を生まない施設に投資をせずに、その危険な燃料の管理も疎かになる。曳いては、原発が更地になるまで危険は増します。

専門家は最終処分所すら危険だと言いますが、地上にあるよりは危険度は軽減されるでしょう。埋設が現在考え得る危険度の低い処分方法でしょう。最終処分所建設ありきで、稼働を許し(核廃棄物は増えますが...)、極力使用済燃料は最終処分所に埋設し、耐用年数になれば原発の自然減となる様にするのがベストだと考えます。

私も事故当初はCO^2の問題はどうするのかと申していましたが、どうやらそれは杞憂だった様でもあります。或る意味、私もマスコミに騙されていた感は否めません。

私が生まれる前から原発は推進されていた訳で、その裏には当時のアメリカの思惑が見て取れます。「原発再稼働反対」と唱えるのも判りますが、一足飛びな議論は成立しません。その間を埋めるプロセスが抜け落ちていては議論になりません。原発を無くす為のプロセスを考えなくてはなりません。

更に残念な事は、「放射線管理区域」なる厳しい立ち入り制限が課せられている法律があるにも拘らず、その「放射線管理区域」以上の汚染地域に国民を住まわせている国に対し、強い憤りを憶えます。法治国家も体を為していませんよね。それでいて、原発再稼働も政治決断だとは聞いていて呆れます。

私は「人間不信」から「うつ」になりましたが、絶望するぐらい「人間不信」が強まってしまいます。国民の生命・財産を守る立場の国がそれを反古にし、本来ならば刑事罰で処刑されるべき悪党を野放しにし、尚かつ「税と社会保障の一体化」と云うまやかしで国民を困窮させようとする等、言語道断。

核廃棄物の最終処分所も東京は国会議事堂並びに霞ヶ関直下に造る事をお勧めします。

( ´ー`)yー-~

管理区域の設定基準

1.外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv
2.空気中の放射性物質の濃度については、3月についての平均濃度が空気中濃度限度の1/10
3.放射性物質によって汚染される物の表面の放射性物質の密度については、表面汚染密度(α線を放出するもの:4Bq/cm2、α線を放出しないもの:40Bq/cm2)の10分の1
4.外部放射線による外部被ばくと空気中の放射性物質の吸入による内部被ばくが複合するおそれのある場合は、線量と放射能濃度のそれぞれの基準値に対する比の和が1

孤独にメスを

2012-05-22 03:55:27 | うつ


愛なら此処にあるじゃない
通り越して何処を見ているの?
決まった言い訳がまた 幸せから手を引いているよ
愛なんて誰の胸にも
記憶して 刻まれているよ
私がきみの孤独に メスを入れてあげるよ 今から
孤独に メスを入れてあげるよ...
紅月ノリコ「孤独にメスを」より

写真は「ハリエンジュ(針槐)」、「ニセアカシア」とも云い、マメ科の落葉高木樹。

先週は眠れぬ日々が続き、意識も朦朧としていました。例え、短時間でも熟睡出来れば一旦は意識が途切れるので、途切れた前後で昨日今日の認識が簡単に得られます。1日に何度か熟睡しても、今日が何日で何曜日か少々混乱を来しますが、比較的簡単に現状認識は可能です。が、眠れずに意識が途切れず何日も意識が連続し、意識が朦朧とすると今日が何日で何曜日か確認しても、それが本当の認識か幻想か混乱した侭で、正常な認識が出来ずに見ている物さえ信用出来ない状況になります。

或る意味、私は違法ドラッグを使用した経験など有りませんが、そう云う覚せい剤等で幻想に支配されるのが何となく理解出来ます。恐らく、薬物に依る幻想と私が経験する幻想は或る意味似ている物と想像は出来ますが、前者は悦楽を、後者は混沌と云う苦痛が伴う意味では似て非なる物です。故に、後者では依存など有りません。

結果には原因があるものですが、原因は単一ではありません。単一の原因で結果が生まれるなど、世の中そんなに単純なものではありません。私が「うつ」になったのも、様々な複合的原因が齎した結果です。私が「うつ」を治す意味でも、治癒した後に再発しない様にする為にも、その複合的な原因の幾つもの原因に対して対策を講じなければ、また、その経緯を認識して於かなければなりませんが、その前に、結果を見誤ると、其処に至ったプロセスを間違ったプロセスに見誤る可能性があります。

「うつ」を理解しようと私也に勉強して来ましたが、その大前提が「うつ」は「病気」である事。最近になって、その前提が間違いでないかと疑う様になって来ました。生理的になるべくしてなった結果であると捉えると今の私には自然な事で、ウィルスが体内に入った事に依る発熱も自然な事で、其処で解熱剤を使う事自体ウィルスを逆に増殖してしまう訳で、発熱でウィルスを殺す自然な反応を「病気」として捉えるから発熱は通常と違うから「病気」とする様なもの。

「病気」だから「薬」で治す。と、安易に考えては治るものも治らないのだと、幾つもの症例で体験していましたから、昔から少し医療に対して少し疑念を持って居りました。更には、自然治癒していたと云う症例も幾度となく体験しています。

今では笑い話の類いですが、20代の頃高熱が続いて、病院に行くと診察の後「今晩泊まりなさい」と云われたので、今晩だけならと気軽に応じたのですが翌日になっても帰して貰えず、インフォームドコンセントもなく、看護師に「何時帰れるの?」と聞いても「熱が下がらないと帰れません」と云われるばかり。訳も判らず、検査だと称して「髄液検査」をされ、腰に太い注射を刺して髄液を抜かれるのですから痛いのなんの。その結果も教えて貰えず、その後、職場の上司が2人見舞いに来ました。退院時にも一悶着あったのですが、職場復帰した後に見舞いに来てくれた上司から聞かされて驚きました。私が「余命僅か」だと医師に聞かされたから見舞いに来られたのだそうで。入院時、点滴も投薬もなく、自然に熱が下がるのを待って退院したのですから、「余命僅か」が本当なら、何らかの処置をしたでしょう。しないのかなぁ?だから、私がその上司に言ったのは「(同室の)隣の患者と間違ったんじゃないの?」

20代の頃は、他にも「狭心症」「心外膜炎」等、心臓疾患も診断されましたが、何れも自然治癒です。と云うよりも、本当に病気だったのか?と云う疑念が拭いきれないのです。狭心症の発作時の薬として「ニトログリセリン」を処方されていました。

さて、体験していますと云っても、それが症例だと云っても、診断が正しかったのかと考えると、医師が誤診していたかもしれず、そうだとしたら体験も誤診の体験、症例もたいした症例ではありません。私のカルテを総合すると、今の年齢まで生きて来た事も奇跡の様にさえ思えて来ます。実際の処、そう云ったあまり聞き慣れない珍しい診断名を聞いても実感はありませんでした。

ついでに記しますと、「心外膜炎」と診断したのは、或る会社の診療所の所長さん。心電図やエコーの結果での診断でした。次回診察時は、外部大学病院の医師で、診察時に一連の問診で私が「心外膜炎」と口にした途端、茹で蛸の如く顔を赤くして「そんな病気は○万分の1しかないんだ!」と怒り始めたのです。恐らく「心内膜炎」と聞き間違えたのでしょうが、たとえ○万分の1だとしても、その1人が目の前にいる可能性を統計学で否定するなんて医師とは思えませんでした。私は顔色変える事なく内心「お前は統計学者か!」と思いつつ、それを診断したのは私ではなく、医師である診療所の所長さんですよと、怒りを私にぶつけるのは筋違いでしょと医師に言いましたよ。

或る意味、巡り合わせが悪いと云うか、あまり信頼出来る医師に当たった事がないので、医師の言う事もあまり信じてはいません。「早期発見、早期治療」と云いますが、私は若い頃から高血圧で、会社の定期検診で必ず「あら、高いわねぇ。もう一度計りましょう」と血圧測定は毎回2回計られて、それでも医師からは「若いから大丈夫」と無視され続けられて来て、この歳になって医師の方からリスクが高いからと薬を処方される様になってしまいました。私にしてみれば何を今更なのですが、私の健康を気遣ってくれる医師を無碍にする事は出来ませんから従ってはいます。副作用が出れば勿論止めますけれど。

兎角、医者は標準値にしようとしますが、人の心・精神も身体的にも千差万別です。リスクを否定しませんが、血圧が高い事も、反対に低い事も、その人也の生理的メカニズムに於いては正常なのかもしれないと云う考え方は成り立たないのでしょうか。

人の寿命が機械的に決まっていて、その寿命に足りないから治療するしないの判断なら何となく判る気もするのですが、寿命と云う観点からすると医療によってそれを出来るだけ長くが果たして正しいのかな?と考えると自然の摂理に反する気がするのです。まぁ、それよりも社会生活に支障を来す事は、廻りの人にも迷惑を掛ける事になるので、社会生活を滞りなく過ごす為の医療だと捉えた方が良いのでしょうね。

話が廻り諄くなりましたが、「うつ」は身体的な自然なメカニズムで、実際にその治療薬は「対処療法」でしかなく、原因を治すものではないので、服薬で治すものではありません。「うつ」に至るプロセスを把握して、同じ轍を踏まない様にしないと再発するのだと思います。そこで、今までの思考パターンと変える必要があるのだと思うのです。「自尊心」の無さに気付いた時、大きく私の体調も心理的負担も減りました。が、また「うつ」の波に飲まれてしまいました。と云う事は、まだ、思考プロセスの改革が必要で、「病気」と云う概念を疑っている処です。

( ´ー`)yー-~

「先生、僕の病状はどうでしょうか?」
「ええ、だいぶ良いですよ」
「以前より良くなっていますか!」
「いえ、明日よりです」

今何処にいますか

2012-05-08 10:22:09 | 世評

今何処にいますか 寒くはないですか
お腹は空いていませんか 眠る場所はありますか
誰かと手を繋いでますか 温かな日ははありますか
誰かを胸に抱いてますか 青い空を見上げていますか
加藤登紀子「今何処にいますか」より

Podcastで加藤登紀子さんが震災に思いを寄せ、唄った歌を書起したので漢字等の表記間違いがあるかも知れませんが、心打たれた歌なので紹介して於きます。

Podcastは著作権の扱いがまだ決まっていないので音楽は流せませんし、ラジオで流してもPodcastではカットされます。JASRACも天下り団体の一つですが、公正取引委員会ですら敵わない権力団体です。権勢に反しPodcastで歌を流して下さった事にも心打たれてしまいました。

世の中、原発に重きを置き、震災被害者の生活も段々忘れ去られて来た様に思います。復興がどの位進んでいるのか?被災者の再建は進んでいるのか?報道(と云ってもネットしか知りませんけれど)では殆ど語られなくなって来ました。報じられると云ったら、義援金が誤って支払われたから返済を求めると。

はぁ?住居の全半壊に係らず、同じ被災者なのに何故に義援金が住居の状態で線引きされるのか、疑問符が付きました。少なくとも、私が微力乍ら出した義援金にそんな線引きなど毛頭ありません。住居がかろうじて住めたとしても、ライフラインや物流の停滞やら、被災に伴う心労を伴ったのだから、被害程度など念頭に於いて義援金を拠出したつもりはありません。其処に行政が線引きするなど、逆に腹立たしい。保険で賄える方は自主的に他の被災者に義援金が行き届く様、辞退して頂く等、そう云う人情に於いては賛美しますが、行政が線引きするなど烏滸がましい限り。

と、3日に此処まで記して、床に伏せました。「うつ」の波が中々去ってくれません。

公正取引委員会の名を出したので、三条委員会とは?をちょっと記して於きましょうか。国家行政組織法第3条に謳ってある組織ですから、一般的に三条委員会と呼ばれます。

国家行政組織法第3条(行政機関の設置、廃止、任務及び所掌事務)
1、国の行政機関の組織は、この法律でこれを定めるものとする。
2、行政組織の為に置かれる国の行政機関は、省、委員会及び庁とし、その設置及び廃止は、別の法律の定めるところによる。
3、省は、内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれるものとし、委員会及び庁は、省に、その外局として置かれるものとする。

社会保険庁が廃止される程悪さも出来る位に、外局とは省の下に位置づけられるものの、独自に独立した権限を持っています。一方、八条委員会と云うものもあり、こちらは審議会や試験研究機関等で所管省庁に従属する組織で独立性は低く、省庁と密接で人事や予算等、省庁の意向に左右され易い組織となります。とは、あくまでも一般的解説で、外局と云えども省の意向に逆らえない事案もあるでしょう。

で、何故に公取委と三条委員会を取り上げたかと云うと、読売新聞の用語解説に「三条に基づく委員会は国家公安委員会や公正取引委員会など七つあり、いずれも庁と同格の独立した行政組織と見なされる。」とあります。

厳密には公正取引委員会及び国家公安委員会は内閣府設置法に基づき設置された委員会で、三条委員会ではありません。国家行政組織法第3条に基づき設置されたのは、総務省の外局である公害等調整委員会、法務省の外局である公安審査委員会、厚生労働省の外局である中央労働委員会、国土交通省の外局である運輸安全委員会の4つです。この4つが三条委員会です。

今はどうなのか知りませんが、私の若い頃は就職には新聞必読と言われたものです。その頃は、インターネットなどありませんでしたから、時流を知るのは印刷物であったのは否めません。今もその風潮が残っていて、就職活動で「新聞を読んでいますか?」と問われる様な会社なら、そんな会社は時代錯誤も甚だしいので就職をお勧めしません。面接官へ逆に質問してみて下さい。公取委や公安委を三条委員会と誤解している様な新聞を信じているのですか?と。

因に公正取引委員会の委員長は認証官で、大臣同様、天皇陛下から認証され、その殆どは大蔵省出身者で占められ、退任後は総裁、会長、理事長等にやはり天下っています。

天下りの対義語・反対語・アントニムはないのですが、東電の副社長から参議院議員になってはエネルギー政策を牛耳ったり、業界権威が審議会を牛耳ったりと、政官財の癒着が色んな問題を引き起こしますし、彼等の都合の良い法案や政策がなされますから、悪事がバレても取り締まる法律がないとか、逮捕されても保釈金で懲役を免れたりと、私が唯一求める公正さがありません。

そう云った不正を正す役割であるマスコミが、記者クラブなる日本独自のシステムを堅持し、不正を見て見ぬ振りするから呆れてしまいます。

三条委員会の誤解説する読売新聞は正力松太郎が原発推進しただけあり、最近電力不足の不安を煽る記事ばかり。7日付け記事で経団連の米倉弘昌会長の「(原発)再稼働を進めないと日本経済は崩壊する。海外企業も関西に工場を持つ企業があり、悲鳴を上げている」と懸念...。「新たな(原子力規制庁)規制機関の設置」は政府が昨年9月、国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書に記された「国際公約」で、保安院幹部は「海外から批判が強まっている」と懸念を隠さない。

原発再稼働ありきの主張する者の言葉をその侭垂れ流すのは、海外では通信社の仕事で、新聞社はその通信社報道の裏取りや、独自取材で検証するが、残念乍ら日本のマスコミは海外で云う通信社と変わらぬ。海外企業の悲鳴とは具体的にどの企業なのか?或いは悲鳴を上げている企業の割合は?海外から批判が強まっていると云うが、具体的に何処の国が批判しているのか?

さっさと脱原発を示したドイツ、イタリアが批判するだろうか?海外と一括りするには余りにも乱暴だよね。きっと、其処に真実が隠されている。IAEA加盟国は144カ国あるが、全てが批判しているとは到底思えなく、其処を明らかにしないと世論誘導としかとれない。

「日本は原子力発電所を稼働させるに信頼出来ない」と海外からの批判が強まっている。と、記事に書かれているならば、素直に信じられるのは私だけだろうか?

が、私は原発再稼働一律に反対しない。稼働させていても信用出来ないのに、停止が長引けば燃料の安全な保管が疎かに、担保されない懸念の方が怖い。何故なら利益を生まない施設に投資などしないのだろうと、経営陣を信用していないからだ。と云う事は以前にも記した。

福島第一の4基廃炉の為に、家庭向け電気料金700円値上げだとぉ!ふざけるな!そんなものは電気料金に含まれていて、積み立てしておくのは経営の基本だろうが。だから、東電など経営破綻させろと言っていたのに。資本主義をも捩じ曲げるから、この国を好きになれない。

放射性物質の単位もシーベルトに換算しろと当初から言っているのに、未だベクレル、ベクレルと曖昧な侭だ。核種に依って危険度や半減期が違うのに、核種を調べないからベクレルだけしか扱わない。私の年齢だと、影響が出ても概ね寿命と変わらないから構わないが、子供達を守る気概がない。其処に大人の無責任さが現れているから憤慨する。

同姓だからややこしいが福島県知事も前知事は原発の秘密を知ったから辞任に追い込まれた。現知事はMOX燃料、つまりはプルサーマル推進派だ。県議会でも異論は出なかったと云う。立地自治体も推進派だった。何が言いたいかというと、自業自得だ。だから私はあまり同情しない。年金と何ら変わりない。今さえ良けりゃ、後の事は知ったこっちゃねぇ。莫大な助成金で核シェルターでも作れば良かったのに、箱物ばかり造って来たしっぺ返しだ。異論を唱えりゃ、忽ち村八分だったろう。

闘って来た人には同情する。巻添えを喰らった人には同情する。が、同情した処で世の中変わる訳でもなし、世知辛い、無力感に拉がれる世の中だね。

( ´ー`)yー-~

「鉄腕アトム」はお蔵入りか?