カスケーディング・ストリングス(Cascading Strings)とは、マントヴァーニ・オーケストラの代名詞。彼のオーケストラが奏でる、滝が流れ落ちるようなストリングス(弦楽器)の響きを指します。
「魅惑の宵」(Some enchanted evening)
の冒頭部分。バイオリンが4部に分かれエコー効果が生まれる。
そのカスケーディング・ストリングスの考案者は、ロナルド・ビンジ。
ロナルド・ビンジは、1910年英国のダービー生まれ。貧しかったため正規の音楽教育を受けられず、映画館(当時はサイレント映画)のオルガン奏者として働きながら、独学で作曲・編曲を学びました。
マントヴァーニとの出会いは1935年、それから長いマントヴァーニ楽団のアレンジャー兼アコーディオン奏者として活躍。1951年には、マントヴァーニの楽団テーマとして知られる「シャルメーヌ」(Charmaine)をヒットさせ、カスケーディング・ストリングスを世界中にとどろかせました。
彼は、マントヴァーニとの関連だけでなく、作曲家としても高く評価されています。マルコ・ポーロ・レーベルからリリースされた「ビリティッシュ・ライト・ミュージック・シリーズ」の中の『ロナルド・ビンジ』(アーネスト・トムリンソン指揮スロヴァキア放送交響楽団 Marco Polo 8.223515)には彼の主要作品が収められています。
たとえば「The dance of snowflakes」は、カスケーディング・ストリングスの手法で初めて作られた可愛らしい曲です。
彼の伝記「Sailing By」(Mike Carey著 Tranters,Derby 2000)は、マントヴァーニと共に歩んだ彼の足跡をたどるだけでなく、英国のライト・ミュージック(Light Music)の歴史を知る上でも貴重な資料です。このライト・ミュージックというジャンルは、英国では豊かな内容があり、「軽音楽」と直訳されるべきものではありません。ちなみに、「Sailing By]はビンジの代表作として知られた曲です。
ロナルド・ビンジは、「ムード音楽」系の録音も数々手がけました。最近、彼の二枚のアルバム「Summer Rain」 「If you were the only girl in the world」が2in1CDで発売されました。このライナー・ノーツは伝記の著者であるマイク・キャリー(Mike Carey)が書いています。
事実、番組では東京交響楽団がマントヴァーニの「魅惑の宵」を見事に再現しました。
実は1963年マントヴァーニが来日したとき、多くのファンの関心は、レコードと同じようにカスケーディング・ストリングスが再現できるのか、という点に集まりました。
マントヴァーニは、東京文化会館や大阪フェスティバルホールなどのコンサート・ホールで、PAを使わずに見事にこのサウンドを披露しました。
マ ントヴァーニの音楽の特徴は、「カスケーディング・ストリングス」と呼ばれる、滝が流れ落ちるような、美しい弦の響きにあります。それは、電気的に処理された音響ではなく、マントヴァーニの盟友ロナルド・ビンジ(Ronald Binge)の巧みな編曲によるものでした。 マントヴァーニ楽団は、45人のオーケストラの7割を弦楽器とし、バイオリンを4つのパートに分けました。それぞれがメロディ・ラインを少しずつずらして弾くと、あたかもエコーのような効果が生じます。彼は、この響きを楽団のトレード・マークとしました。
編曲、それともエコー装置の産物
中野雄著「丸山真男 音楽の対話」(文春新書1999)に次のような記述があります。
「マントヴァーニ・オーケストとスイス・ロマンド管弦楽団という英デッカの二大看板オーケストラのLPが、一時、両楽団の来日を境にさっぱり売れなくなってしまった。理由はレコードと実際の演奏の乖離に驚いた愛好家にソッポを向かれてしまった。英デッカの録音というのは世界最高水準で、……出来上がったレコードの音は、ある意味では現実の生演奏より美しい。」 「(両楽団の轍を踏まないように)ポール・モーリア楽団が来日したときには、マイクやスピーカーを縦横に配置して徹底的に事前試聴を行ったそうです。…エンジニアには“どの席で聴いてもレコードと同じように聞えるようにマイク・アレンジやミキシングをチェックしてほしい”と課題を与えた。」(pp.199-200)
作曲家としてのマントヴァーニ
作曲家としてのマントヴァーニの活躍は、あまり知られていません。
実は、1950年代に英国でナンバーワン・ヒットとなった「孤独なバレリーナ」(The Lonely Ballerina)は、マントヴァーニの自作曲でした。.
ですがP.Lambrechtというペンネームが使われています。(左記の楽譜参照)
また、デビット・ホイットフィールド(David Whitfield)が、1950年代末にヒットさせ、’60年代にはジェイとアメリカンズ(Jay & Americans)がリバイバル・ヒットさせた「カラ・ミア」(Cara Mia)もマントヴァーニの自作曲です。
両曲とも作曲者がペンネームで記されているため、マントヴァーニの作品だとは、案外知られていないようです。
マリオ・デル・モナコも「カラ・ミア」を唱っていますが、そのCDのライナーノーツには「作曲者(の経歴)は不明」と記されています。
「マントヴァーニ生誕100年」の年である2005年、Vocalion社(英国)からは"Mantovani by Mantovani+All time romantic hits"がCDでリリースされました。
"Mantovani by Mantovani"は、タイトルどおり彼の自作曲10曲を収録しています。(LPとしては1974年にリリースされた。)
浅里公三サンも気が付かなかったんですね!