輪太郎には「見えない部分がある

2017年07月24日 11時01分00秒 | 未来予測研究会の掲示板
利根輪太郎は自身に腹を立てていた。
「先生」と食堂の酒飲み仲間から呼ばれている画家の御崎孝之助の誘いから避けていた食堂へ足を向けた。
輪太郎は勝負師としての姿を、知人である食堂の主人や手伝いの人に見せたくなかったので、その食堂を避け、隣の食堂を利用していた。
輪太郎を知っている店の主人は、多くの客の手前、輪太郎を無視する。
それは、暗黙の了解のようなものであっただろうか。
輪太郎には「見えない部分がある」と友人の一人が意味じくも指摘したが、勝負師としての輪太郎は生真面目で、平凡な地域の住民であることを貫き通してきたつもりであった。
輪太郎の裏側の姿を知っている人間が全て、この世にはいない。
100万円、200万円をバックに忍ばせて、全国の競輪を行脚したのは、輪太郎がリストラ退社を余議なくされた55歳の年であった。
当時、55のぞろ目を買い続けていた。
さらに、4、6、8の車番であった。
それが的中すれば、札束に替わったのである。
仕事では接待慣れしていた輪太郎であったが、金の力で銀座、赤坂、六本木、新宿、池袋などのクラブで豪遊していた。
ホステスには1万円のチップをはずむ。
1万円札が、千円の感覚になる。
伝説の勝負師であった亡き東剛志の後継者を任じていたのだ。
数百万円、時には一千万円を超える金を競馬で払い戻していた東剛志の姿には及ばなかったが、輪太郎は100万円を超える払戻場に立つ快感、競輪仲間の羨望を追い求めていた。
そして、1万円札を競輪仲間に配るのである。
最高、一人に10万円を渡した。
その競輪ファンの一言が、勝利を招いたのだ。
「このレース、本命は無いよ」と指摘する。
そこで再考して、別線に切り替えて、270万円を超える金を手にしたのだ。
全ては過去の思い出に過ぎない。
輪太郎は、この日、食堂で出会った人に、不本意にも「このレースは2-9で決まりだね」と断言した。
「それなら、自分で買えばいい」と相手は不敵な笑みを浮かべた。
輪太郎は酒を飲み続けており、この日の後半のレースはテレビ観戦のつもりであったのだ。
だが、「口出した以上、2-9を買うべき」と競輪場へ戻る。
そして、2-9の2車単を10万円。
「もしも」を考えて、2から4、6、8を5000円買う。
更に2-3の2人気の車券を3万円押さえた。
だが、2-9は皮肉にも8番手に置かれ、5-1の別線のラインで決着する。
「本命では、勝負しない」輪太郎は自らの意思に反しのだった。
「山崎芳仁(福島)は絶対買わないな」画家の御崎は言う。
前日、勝負どころで失敗した山崎選手は、再度失敗したのだ。
ファンの期待を裏切った選手の奮起に期待した輪太郎はの「思い入れ」に甘さがったのだ。
輪太郎は「自分に敗れた、ばかりか他人の金銭的損失を招いた」ことに、腹を立てていた。
東剛志は天国で「輪ちゃん、甘いな」と笑っているだろう。

阿夫利神社のお祭

2017年07月22日 10時59分58秒 | 日記・断片
阿夫利神社のお祭のポスターは例年以上に数多く貼り出されている。
7月23日(一曜日)に行われる。
カラオケ大会の出場には、16組、個人は10人。
子どもたちのグループが3組、2人で歌う人が2組。
消防団26分団体は4人くらいで歌うようだ。当方は4番目。
因幡晃さんの「わかれ」(別涙)
大館出身の因幡さんの2曲目の歌である。
彼の故郷の大館駅は奥羽本線。
当時は汽車・列車が走り、今のようにスピードが優先される時代ではない。
駅にロマンがあってドラマがあった。
旅行鞄、白いボストンバックを渡すシーンをもの影に隠れながら見ていた。
恋人との別れ、切なさ。
目の前に浮かんだ情景から哀愁を詩につづった。
色々なアーチストがカバーしているが、相田翔子さんがクロスカヴァーした。
相田さんの歌を聞いて、出会いと別れが交錯する駅から母の故郷の沼田駅を想い浮かべた。
高校生の頃の思い出、淡い恋心を重ねてみて、歌いたくなる。
女性の相田さんにとって、キーが違うので胸に響かない歌になっている。
キーを上げれが歌により幅・奥行きが感じられたかもしれない。



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別涙(わかれ)

作詞:因幡晃

白い旅行カバンを 渡す時
そっとふれた貴方の やさしい手
ひとごみに言葉 かき消され
涙がさようならを言っていた
いいのよ もういいの 私の事は

泣いてついて ゆきたいけれど
貴方には貴方の道がある
いつも心に決めていたの
別れという日が来ることを









憲法改正は元来<内閣の命題>か?

2017年07月22日 10時57分50秒 | 社会・文化・政治・経済
誤った思想を打ち砕き、「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を広めてゆくために、民衆救済の大言論闘争に立った日蓮大聖人は、1260年(文応元年)7月16日、時の最高権力者である北條時頼に、<諫暁の書・立正安国論>を提出した。
「立正」とは、一人の人間を最大に尊重する仏法の生命哲理を、人々の胸中に打ち立てることだ。
「安国」とは、社会の繁栄を平和を築くことだ。
つまり、正法を持つ一人が、社会の安定を祈り、行動することで、自他共の幸福が輝く社会建設していくことできるとの原理だ。
対話が人の心を変革する。
そして、心の変革を遂げた人間の連帯こそが「立正安国」実現への方途である。
これが日蓮大聖人の確信であった。
客(北條時頼)と主人(日蓮大聖人)との十問九答の問答形式で展開されている。
主人は、文証と道理を尽くして、誠実に粘り強く、かつ鋭く核心をついた言葉で対話を続けた末、客は心を改め、法華経の信仰を実践、語り広げていくことを決意する。
立ち上がった一人の民衆が、民衆を救い、社会を変革していく。
この「立正安国」の原理こそ、日蓮大聖人の仏法の魂である。
「立正安国」とは、即「世界平和」である。
どこまでも悩める人に寄り添い、一人の人間に内在する生命力を信じる。
なぜ、日本は戦争に突入したのか?
当時の軍国主義、生命軽視の誤った思想に日本全体が気付いていなかったからである。
思想・宗教・言論を統制・弾圧し、天皇制まで捻じ曲げた「12歳の少年」のような未熟な国であったのである。
さらに、治安維持法は悪法の元凶であった。
戦後は過去の日本を謙虚に反省し、断固として決別したことを宣言し、出発点にしたはずであるが、憲法改正を命題する内閣が誕生した。
憲法改正は元来<内閣の命題>ではなく、あくまでも<国民の命題>である。
内閣の命題としたところに思いあがりがある。

酔えない私

2017年07月21日 08時36分51秒 | 社会・文化・政治・経済

阪神とトップをいく広島の力は歴然であった。
守りの姿勢の阪神と貪欲に勝ちにいく広島の姿勢。
好球を見逃さない広島の打者と意図も簡単に好球を見送る阪神の弱気。
貪欲なまでの闘争心の違いを見せつけられた。
チャンスを逃す阪神と確実にチャンスをものにする広島の差であった。

「心の財」を育む。
不得意への挑戦から価値が生まれる。

誰にどう思われるかではない。
自分がどう生きたいかだ。

自分自身の力で人生は切り開いていくのだ。

人生の羅針盤をもつことだ。

何事も人ごとと傍観せず、自分にできることを考え、学び、行動する姿勢が大事である。

政治はイデオロギーではない。
臨機応変の判断であり、空想を交えぬ職人の自在な確実な知恵である。
―小林秀雄

どんな魅力的は政策も実現しなければ絵空ごと。

2009年のノート

家人はノート類を今でも、ゴミと決め付けて、「捨てろ」と言う。
だがノートには、その時の何かが記されている。

例えば、「太陽がないときには、それを創造することが、芸術家の役割である。ロマン・ロラン

優れた映画は、観る人の魂を揺さぶる。
「シンドラーのリスト」スチーブン・スピルバーグ監督
「事実の強さに圧倒された。これこそが映画の力だと思う」と黒沢明監督が絶賛。
1200人以上のユダヤ人の命を救った史実を映画化。

「新聞は時代を創る」
「教育とは、人生の準備ではない。人生そのものである」ジョン・デューイ

個性はマイナスかではなく、プラスから見るもの。

読書は自己形成。
思考力、判断、価値観を養う。

なんのための科学なのか?
どのように科学を使うのか。
その英知が未開発。

日本の建築
縁側の存在。
高密度の社会を形成した日本人。
空間の壁を重層的に使う。
玄関と奥を幾つもの敷居で分け、奥を見せない構造は世界の類を見ない。
日本の「奥」という思想。
「わび、さび」

勝負に必要なのは「消耗しない体力」
羽生善治棋士

いかに集中力を持続できるか?
せっせと実践を重ねる。



生命の充実を実感できる人生でありたい。
充実のなかにこそ、最高の満足があり、幸福がある。

問われるのは、人間としての力だ。
本当の実力があるかどうかである。
「真剣さ」であり、「努力する姿」であり、「戦い続ける執念」である。
平凡な人生では、変凡な人間しか育たない。
青年ならば、あえて苦難の嵐の中に飛び込んでいくことだ。
大変な人生だからこそ、自分が磨かれる。
本物の人材として光っていく。

○夜明け前
風爽やかな
夏は来ぬ


酔えない私
酔っているあなた
酔えない私

酔いたいのだけれど酔えない私
酔えば本音が出てしまう
本音を言えば恋は終わり
初めての恋に別れを告げる
悲しいのだけれど去って行きたい

酔えない私
酔っているあなた
酔えば体を求めてくるあなた
それがもう嫌なのと心を閉ざす
これは遊びと突き放したい
あなたが傷付き私も傷付く

酔えない私
酔っているあなた
出会いのころ私は酔っていた
あなたは酔ったふりばかり
京都の夜が私を酔わしたの
私の涙のわけをあなたは知らない

人間の心理は時代を隔てても変わらない

2017年07月19日 13時39分34秒 | 社会・文化・政治・経済
夏目漱石は、英国の作家・ゼェイン・オースティンを最大級に評価していた。
彼女が手掛ける人間描写の卓越さを評価したそうだ。
1811年の代表作「高慢と偏見」
人間の心理は時代を隔てても変わらない。

国家はより積極的に人びとの「幸福」―自己実現、他人とのつながりや協力、公共的な事がらへの貢献―の増大を目的とすべきだ。
「コミュニティ」を軸とした福祉の構想。
相互扶助やケアもまずコミュニティの内部で行われる。
今日の問題点は、ローカルなコミュニティが衰退し、国家か市場という二者択一で議論が行われていることにある。


橋本知事が選目を目指し、運動を始めた。
「かつてない、厳しい選挙戦になります」と日本維新の会の石井あきら参議院議員が、支持者として宣伝カーで取手市内を回っている。
自民党は対抗者を擁立したが3期連続敗退。
橋本知事の4選、5選、6選を許したのだ。
1年で4000万円の知事収入であるので、橋本知事はこれまで24年間、9億4000万円も得ている。
<もういいのでは>これが県民の率直は感情。
思うに6選を許したのは、茨城県にそれ相応の人材がいなかったから。
茨城県の羞じでもあるのでは?
権力の座に何時までも居座る老人は老害。
沼田利根

政治家が相互に競争する。
競い合う中身は、何が有権者に最大の利益をもたらすか。

誉めることが大事である。
どんな小さなことでも、良い点を見つけ、誉めていく。
そこで生まれた自信が、どれほど大きな力となつか計り知れない。
「あの時の励ましがあったから」と言われるような、希望の劇をつくる。

大事なことは、具体的な実行。

人間が人間らしく

人間の心は揺れ動きやすく、自身の弱さに負けてしまうことがある。
生命の奥低を支配している一念を改める以外にない。

いつかは必ず才能の芽が伸びる。
若い人材を、温かく身守り、根気強く励ましを重ねていくことだ。

同じ人間として、人格の触発を行っていくことが、本当の指導。
普遍の真理をともに探究し、切磋琢磨してんがら、人材を育てていく。
「一人の人間が、或いは、一群の人々が成し遂げたことが、それに続く人々にとっての、足場となり、出発点となる。デューイ博士

広島赤松真人選手 胃がんからプロ初の復帰

2017年07月18日 18時25分29秒 | 医科・歯科・介護

胃がんからプロ初の復帰
広島東洋カープの外野手である赤松真人選手は、優勝して1か月後、昨年、人間ドックを受け、胃に悪性腫瘍が発見され、胃を半分摘出した。
リンパ節にもがんの転移があり、ステージ3Bと診断された。
その後、点滴の抗がん剤と内服の抗がん剤を半年間継続、壮絶な闘病生活を余議なくされた。
夜中などに4回もの嘔吐、倦怠感などにさいなまれた。
奥さんが6度の食事を用意、献身的に尽くす。身長
182㎝、体重75㌔。俊足、これで盗塁136。
スーパーキャッチを米マスコミを賞賛。
現在、35歳、プロ13年目。
体重は70㌔に落ちていた。
3軍で復帰に向けて調整中である。

昭和を代表する作詞家・阿久悠さんは、没後10年。
生涯で5000曲、日本レコード大賞5回受賞。
1870年代にオーディション番組「スター誕生!」を企画し、自ら審査員を務め、数多くのスターを生み出した。
まさに、時代wおつくった歌謡界の巨人。
先を見据えてどの世代の人にも響く作詞を生んできた。

古典はいつ古典になるのか。
「古典は作者ひとrいで生まれるのではなく、後世の受容によって創り上げられる」お茶の水女子大学名誉教授・外山滋比古さん
それぞれの時代を色濃く映した作品が、時を経て人類普遍の古典になる。

「核兵器のない世界」人類の悲願である。
「核兵器や軍事力という悪の力より、さらに偉大な力―それは人の心であり、精神の力である」現代化学の父・ポーリング博士
「どのような力も無駄にならない」
「私たち一人ひとりには、ものごとを変える力がある」
あきらめず、へこたれず、挑戦を続けていけば、必ず社会を変えていける。
民主主義社会と比較すると社会主義、共産主義は発展途上、つまり未成熟。
社会の主役、国家の主役は民衆である。
その民衆を虐げる国家権力は、未熟な存在とも言及できるのではないだろうか。
人類はいつになったら、生命の尊厳を優先することになるのか?
銃を規制できない米国も業を内包した発展途上の国であり、真の民主主義社会ではない。

幼少期の教育効果は、やる気や忍耐力、強調など目に見えない内面の能力である。「非認知力能力」を高める意義がある。
米シカゴ大学・ヘックマン教授
同教授は「就業前の公的な教育支援」を訴える。

第九に込めた狙い

2017年07月16日 10時39分01秒 | 社会・文化・政治・経済
毎日新聞「金言」
独ハンブルクでの主要20か国・地域(G20)首脳会議。
2017年7月7日の討議を終えた後、夜の社交に議長国メルケン独首相は首脳夫妻らにベートーベンの「交響曲第9場番(第九)」を聞いてもらう演出を用意していた。
メルケン首相があえてこの曲が内包するメッセージと無縁ではないだろう。
おそらく聞かせたい首脳らがいたのだろう。
「第九」の第4楽章の前奏部分は1972年に「欧州の歌」とすることが決まり、今ではEUの事実上の<国歌>として、EUの式典でよく演奏される。
聞かせたかった相手は、英国のメイ首相。
聞かせたいもう一人はEUを軽んじるトランプ米大統領。
第4楽章「歓喜の歌」の歌詞は、ベートーベンが尊敬するシラーの詩に一部手を加え、これに曲をつけた。
ベートーベンとシラーはフランス大革命(1789年)の人権と自由の理念に共鳴し、数多く作曲、作詩した。
「人は皆兄弟」という第4楽章に流れる人権と自由の理念を思えが、聞いてもらいたい権威主義的国の首脳G20に少なくない。
西川恵客員編集委員

理想と現実の狭間。
ある意味で国際社会は、まだまだ未成熟なのだ。
最終的には、人間の生命次元の問題に帰着する。
生命尊厳、人権、自由は100年後、200年後に実現するかどうか?
実に道程は遠く想われるのだ。
人間の生命の変革を期待するほかない。
沼田利根

人類は劣化している

2017年07月16日 10時35分10秒 | 社会・文化・政治・経済
それは生命次元の問題である。
<共感力能力>
人類賀社会を生み出す背景には「共同保育」の必要性あり、「家族」の成立と同時、家族同士がつながる「共同体」をつくって両立させるという二重構造を生み出していった。

こういった社会は類人猿ならではのものであり、両立を可能にしたのは、共同保育から育まれた<共感力能力>を非情に高めていったことである。
忘れてはいけないのは、人間の赤ちゃんといのは、いまだに共同保育をさせるようのに生まれてくるということ。
人間の目には他の類人猿にはない「自目:があります。
それによって、相手と対面して目のわずかな動きを見るだけで、どんな感情を示しているかをモニターできる能力を持ったわけです。
わたしたちは相手の目を見ることで気持ちを伝え合い、その人の人格や人となりというこのを判断し、そこに信頼関係が生まれる。
信頼をつくるには、顔を合せるという身体的なつながりが必要になってきます。
そこで重要なのが、食事といものが古来、人と人をつなぐ接着剤になってきたことです。
人間ほど時間をかけて対面しながら食事をする動物nはいない。
しかし、食事のもつ重要な役割にあまりに無自覚であって、いま家族が崩壊している直接的な原因の一つには、一緒に食事をしなくなったことがあると思います。
家族と共同体の中のつながりを再生するのは、食事を共にする「共食」がとても重要だと思います。
「身体的なつながり」をもう一度、復活させていかなくては豊かなになっていけないと思います。
それには身体の同調を呼び起こすような行為、行動をする。
例えば、音楽を一緒に聞く聴くとか、スポーツをする、食事を共にするとしながら、互いに生きているんだということを確認し合い、
喜び合えるようなことを生活の中に頻繁にとりいれていくことです。
人間が言葉を使う以前に、共感能力を生み出した宗教というものも、古来、人と人を身体的につなげぐ役割を果たしてきたといえます。
若い人はもっと身体をつかわなくてはいけない。
身体を使いながら頭を使う。
考える力を身に付ける。
そのためには、もっと周りの人の生の言葉で話をしていくことが重要だと思います。
京都大学京極寿一総長



中国の民衆活動家でノーベル平和受賞者の劉暁波さん(61)が、死亡した。
「中国は法治国家であり、劉暁波は中国の法律に違反した。いかなる者も法の下には平等で処罰を受けなければいけない」
天安門事件での最初の投獄後も国内にとどまり、9年前に言論の自由を求める「08憲章」を起草して懲役刑を言い渡された。
世界の心ある人々が想起するのはナチス政権の獄中でノーベル平和賞が決まり、ほどなく病死sいた平和運動家の故事だろう。
中国政府には自らしょいこんだナチスまがいの汚名である。
米独仏などからの批判にたいして「中国の司法主権都内政に干渉」したとして「強い不満と断固とした反対を表明した」と述べた。
服役中のノーベル平和賞受賞者の死は、ナチス・ドイツ時代の平和活動家、オシエツキー(1935年)以来だった。
「国家政権転覆扇動罪」に問われ、懲役11年の判決を受けた劉暁波さん。
中国の人権状況、厳しくなっているそうだ。
社会主義国である中国政府が、体制批判を許さないのは必然。
国はそのようなものなのだ。
人間が変わらなければ、国は変わらないのである。
今後は?
あくまで中国国民の問題に帰着することだ。

生命こそ絶対にして最高の実在

2017年07月14日 18時06分10秒 | 社会・文化・政治・経済
自分の生命は自分で変えられる。
生命次元で人間の本質を明らかにした。
それが仏教の卓越性・深淵性の証であろうか。
生命こそ絶対にして最高の実在。
人間の尊厳を失わしめる、あらゆる歪んだ<目>に対する挑戦の開始。

相手を認め褒める習慣がある企業は発展するたどう。

自己執着やエゴからの脱却が不可欠。
でも、個性を消す必要はない<自分>は唯一無二の存在。
誰かに<変身>することはできない。