「立憲主義」って何でしょう?
ひと言でいえば、権力の行使を憲法で縛る、コントロールすることです。
権力行使の主体は、国家です。つまり、立憲主義とは、国家権力を憲法で縛るシステムのことです。
日本国憲法は、「立憲主義」をとっています。
では、なぜ「立憲主義」がとられているのでしょう。
それは、一人ひとりが個人として、人として尊重されるという「個人の尊重」をまもるためです。個人の基本的人権が保障され、個人の権利自由が侵害されないために、です。
侵害するって、いったい誰が侵害するというのでしょう。
これは、国家、権力なのです。
ここはピンとこないかも知れませんね。
国家は、いろいろと国民のために、何かをしてくれるものではないの?
国、行政には、もっといろいろと「やってほしい」。
そのとおり、普段は、国、行政は、いろいろとやってくれるありがたい存在です。
でも、強い力、国民を強制できる力をもつ、時に怖い存在です。
税金を取られたくなくても、国が決めた税金は、強制的に取られてしまいますし、犯罪を犯したとされれば、刑務所に強制的に入れられますし、時に命までとられます。
権力には、強い力があるから、好き勝手に行使されてしまうとたまったものではないですよね。
憲法は、国民の権利自由を保障するために、国家に対して、「国民の○○の自由を侵害してはならない」という書き方を基本にしています。
「立憲主義」は、なぜ必要なのでしょう?
国家、権力によって、国家のためだとして、個人の基本的人権が侵害された歴史がありました。権力によって、一人ひとりのことよりも国家、団体、公が重視されて、個人の権利自由が侵害されてきた過去がありました。
特に、戦争というのは、究極的に、個人よりも国家を優先させ、個人を、一人ひとりの人ではなく、国家のための「道具」としてみなしがちです。
ここで、民主主義国家、国民から選挙で、選ばれた人たちなら、権力の行使も適正に行われて、暴走することはないのでは?と思われるかも知れません。
いやいや、民主主義国家であっても、憲法の縛りがなければ、間違った方向に行くこともありうるのです。逆に、国民から選ばれたんだと、謙虚さを忘れて、自分がやることは正しいのだと強気になってしまうかも知れない分、かえってやっかいです。
権力を持つものは、自らが誤りであることに気がつきづらいものです。正しいと思っている。自信があります。
正しいと思っているので、反対する人たちの声に耳を傾けることなく、「妨害する人たち」として排除したくなるでしょう。
多数者から選ばれた人たちからなるために、少数者の人のことがわからないこともあるのです。
そして、権力を行使するのは神様ではなく人なのですから、間違ってしまうこともあります。
間違っても、大切な基本的人権の保障を侵害しないように、国家が守るべき約束を定めて、約束を破れば、国民がコントロールできるようにしているのが「憲法」です。
つまり、 国家に権力を与えた国民が、権力行使を適正に行われるようにするため、国家をコントロールためのものが「憲法」なのです。
国家は、憲法に違反するような権力行使、すなわち個人の基本的人権を侵害することはできないという縛りをうけています。
逆にいえば、国民は、「憲法」を持っているのだから、国家が権力を濫用している場合、濫用しそうな場合に、しっかり国家を「憲法」をもとに、コントロールできるし、しなければならない、ということになるのですね。
「立憲主義」というのは、個人を尊重するために、一人ひとりを人として大切にするための、よくできたシステムだなあと思います。
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