
ハン・ガン (著), 斎藤真理子 (翻訳)
英国ブッカー国際賞受賞作家、ハン・ガン氏の心ふるえる長編小説
「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」――ハン・ガン
ある日突然言葉を話せなくなった女。
すこしずつ視力を失っていく男。
女は失われた言葉を取り戻すため
古典ギリシャ語を習い始める。
ギリシャ語講師の男は
彼女の ”沈黙” に関心をよせていく。
ふたりの出会いと対話を通じて、
人間が失った本質とは何かを問いかける。
詩的なイメージでどんどん読者を引き込み、過去とどうつながり、死者を鎮魂するかを考える。
立場の違う人を糾弾して声高に叫ぶんもではない。
実は韓国の人々は日本の文学を長年読んできている。
ハン・ガンは「痛み」の作家ともいわれている。
歴史の中で市井の人の傷を負う。

心ふるえる静かな衝撃
「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」 ――ハン・ガン
著者について
ハン・ガン(韓江)
1970年、韓国・光州生まれ。延世大学国文科卒業。1994年、短編小説「赤い碇」でデビュー。
2007年に発表した『菜食主義者』で、韓国で最も権威のある文学賞李箱文学賞を受賞。
また同作で2016年にアジア人作家として初めて英国のブッカー国際賞を受賞した。
小説のほか、詩、絵本、童話など多岐にわたって創作活動を続けて、受賞作が多数ある。
現在、ソウル芸術大学の文芸創作科教授を務めている。
邦訳された作品に『菜食主義者』『少年が来る』(ともにクオン)がある。
斎藤真理子(さいとう・まりこ)
翻訳家。訳書にパク・ミンギュの『カステラ』(クレイン)、『ピンポン』(白水社)、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)などがある。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞を受賞した。
韓国は日本の直移民地支配や南北分断、朝鮮戦争、軍事独裁時代は1980代後半まで続き、言論統制もあった。
また、家父長制への反発もあった。
人間にとって言葉とは他者とつながる回路そのものであるがゆえに、つながりを切実に求める者(古典ギリシャ語講師)には救いであると同時に、つながりに傷ついた者(受講者の女)には飲み込みきれない暴力そのものにもなります。
「数えきれない舌によって、また数え切れないペンによって何千年もの間、ぼろぼろになるまで酷使されてきた言語というもの。彼女自身もまた舌とペンによって酷使しつづけてきた、言語というもの。一つの文章を書きはじめようとするたびに、古い心臓を彼女は感じる。ぼろぼろの、つぎをあてられ、繕われ、干からびた、無表情な心臓。そうであればあるほどいっそう力をこめて、言葉たちを強く握りしめてきたのだった。握り拳が一瞬ゆるめば鈍い破片が足の甲に落ちる。ぴったりと噛み合って回っていた歯車が止まる。時間をかけてすり減ってきた場所が肉片のように、匙で豆腐をすくうように、ぞっくりとえぐり取られて欠落していく。」(197頁)
人間が人間として誕生してから発せられ受容された言葉たちの無限とも言える総量を考えると眩暈を感じます。古典や経典として残されたそのごくごく一部に対峙するとき、私たちは言葉の暴力を解毒しているのでしょうか。あるいは濃縮された毒を呷っているのでしょうか。
原作の質もさることながら、間然するところのない訳文に、忘れかけていた読書の歓びが蘇りました。
原著を確認していないからあくまで推測だけれど、
作者の清廉で美しく整った文体と、その魅力を余すところなく日本語に置き換える訳者の卓越した手腕。
ふたつが奇跡的に出会い、こうして形になったんだと思う。
少なくとも、読者にそう確信させるほどの力を持っている。
内容は読めば分かる。とりあえず読んでみてください。
"あのころ僕が取り組んでいた主題を思い出す。闇のイデア、死のイデア、消滅のイデアについて、明け方まで君と僕が交わした長い、何の役にも立たない寂しい議論を。"2011年発刊の本書はアジア人初マン・ブッカー賞受賞の著者が男女の生まれる言葉と死滅した言葉が出会う刹那を描いた物語。
個人的には、参加した読書会ですすめられて、著者の本を初めて手にとりました。
さて、そんな本書は若い時から異変を生きてきた、また人との関わりにおいて大きな喪失体験を持っていることで共通点のある二人の男女、視力を失いつつある男性と、言葉を失っている女性が【古典ギリシャ語の講師と受講生として出会い】対話を重ねていくのですが。
まず、読み進めながら思い出したのは、やはり訳者と同じく、する(能動態)』や『される(受動態)』の【どちらでもない第三の態『中動態』がかってのインド=ヨーロッパ語に存在していた】事を解き明かして話題となった別の著者による『中動態の世界ー意志と責任の考古学』でしょうか。あえて今は使われておらず、実用的でもない古典ギリシャ語を物語の素材とする事で、二人の【どちらともいえない出会い、そして再生】がうまく描かれているように思いました。
また、著者の作品には初めて触れましたが、翻訳を通じても伝わってくるカメラがずっとまわっているような映像的、詩的な言葉のリズムはなかなか独特で、まるで美しいミュージックビデオを観ているような。そんな読後感を終始感じさせていただきました。
言葉にしずらく、静かだけど。確かな関係性を描いた作品が好きな人、現代韓国文学に触れたい人にオススメ。
淡いがとても繊細な物語。
カルチャースクールで古典ギリシャ語を教える男性と、ギリシャ語を学びに来ている女性。男性は徐々に視力を失い、女性は過敏さから言葉を発せない。
それぞれに傷を抱えた二人が、他者と近づき、すれ違い、また近づき、すれ違う中から、一縷の希望を見出す話。
とてもおだやかで静謐な一冊です。
当たり前に使っている言葉について、改めて考えさせてくれる本。
見ること、感じること、聞くこと、伝えること、生きること、
声にならない声で語られる目に見えない物語たち。
個人的には2017年ベストでした。
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