▼師弟に徹すれば、越えられない壁はない。
師は人を鼓舞する存在である。
また、師は希望と勇気の源泉なのだ。
困難の原因を外に求め、人や環境のせいにするのではなく、自分がまず変わることだ。
そのことで、環境も相手も変えていく<希望の原理>である。
▼社会・国の変革は、人間革命の哲学によるしか、実現できないのである。
「一人の偉大な人間革命」が、やがては社会を国の宿命をも変えるのである。
例えば、ある国を出て、別の国で生きる人々は必然的に「国家」の観点ではなく、「人類」としての目標や理想を考えるようになるだろう。
それは、ただ国のためという「国益」から、人類のために何ができるかという「人類益」へと、発想の転換が求められる。
今、世界は冷戦終結後、さらに言えば第二次世界大戦という期間で見ても、恐らく最も危険な時代を迎えている。
▼現在、ウクライナやガザで大きな紛争が続いている。
こうした対立に、直接または間接的に核兵器保有国が関与しており、これは信じがたく、非常に危険な状況だ。
例えば、アメリカとロシアには、約1万1000発の核弾頭がある。
そのほとんどが、広島と長崎で使用された原子爆弾をはるかに上回る威力を持っている。
その核弾頭のうち、3分の1が使われると、その攻撃に直接的死者数は3億6000万人に上ると推計されている。
さらに、核爆弾による火災で発生した煤煙が、上空の大気を覆おうことで太陽光が遮断され、「核の冬」と呼ばれる、地球規模の気温低下が起きるのである。
これにより、地球全体で農業が崩壊し、食料生産が落ち込むことで、50億人が餓死すると推定されている。
核兵器の使用は、都市の崩壊だけでなく、本質的に地球全体を崩壊するのだ。
核兵器下の世界において「平和」とは、単に道徳的要請であるだけでなく、人類の存続を左右する実存的な要請なのだ。
「真に対決して克服しべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅を辞さないという<核兵器を容認する思想>なのだ」
かつて核保有国だった南アフリカ共和国は、1990年に自国の核兵器を全廃した。
だが、核兵器がなくなったにもかかわらず、どの国も南アフリカを攻撃しようとはしない。
▼世界は今、核兵器使用の一歩手前まできている。
今年、調査報道ジャーナリストのアニー・ゼェイコブセンが「核戦争勃発のシナリオ」を出版した。
そこで想定されるのは、核兵器が使われると、連鎖的に報復攻撃が続き、即座に核戦争につながるというシナリオである。
驚くべきことぬ、報復合戦まで含めた核戦争は、たった「72分」で終わるとされる。
長期間続く従来の戦争と異なり、核戦争にかかる時間は、1時間と少しだけだ。
これは大げさなフィクションではなく、核抑止が失敗した際に何が起こるかを知り尽した専門家や、元政府高官などへのインタビューに基づくものだ。
これは、「めまいがするような狂気と不道徳」平和運動家ダニエル・エルズバーグのコメントである。
全人類が滅びるのどうかの瀬戸際は、核戦争からわずかに1時間後のことなのだ。
「わたしたちは、これまで限りなく運がよかったのです。しかい、運は戦略ではありません」アントニオ・グテーレス国連事務総長は、そのように述べている。
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