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開示悟入の視点

2025年06月15日 11時37分35秒 | 社会・文化・政治・経済

梶田叡一著「教師力再興-優れた教師に満ち満ちた学校に」教育改革選書№2、明治図書出版、
2010 年6月刊を読む(2)
開示悟入の教育のために(2)
「開」と「示」と「悟」と「入」と
1.さて、それでは教育のあり方の何をどう工夫していったらいいのでしょう。どのような考え方に基づいて、どのような教育を目指し、どのような活動を展開していったらいいのでしょうか。
2.(1)私たちは「開・示・悟・入」という視点に立った教育の深め方を探求し、実践していくことによって、子どもの姿に現れている問題点を乗りこえ、現在の学校教育の当面する課題に応えていくことができるのではないか、と考えています。
(2)つまり「開」「示」「悟」「入」という四つのタイプの教育的働きかけを工夫し、実践的に深めていくことによって、一人ひとりが自らの実感と納得に基づき、自分自身にとって必然性のある課題にたくましく取り組んでいく、といった方向へ成長していくような教育が実現できるのではないか、と考えるのです。
3.(1)「開・示・悟・入」というのは、「開く」「示す」「悟らしむる」「入らしむる」ということですが、これはもともと、法華経の方便品にある言葉です。
(2)如来は何故にこの世に現れたもうたのか、という問いがあって、その答えとして言われている部分にあります。
(3)如来がこの世に現れたのは一つの大きな使命を果たすためだというのです。
(4)それは、衆生に仏の知見(悟りの境地、究極の知恵)を開かせて清浄にしてやるためであり、衆生に仏の知見を示したいからであり、衆生に仏の知見を悟らせてやりたいからであり、衆生を仏の知見の道に入らせたいからである、と言われています。
4.(1)私はここのところを初めて読んだ時に、仏教的な意味あいはさることながら、一つのことを本当に分からせるということには、なるほど「開く」という面、「示す」という面、「悟らせる」という面、「入らせる」という面、の少なくとも四つの面を同時に考えておかなくてはいけないのだな、と思ってハッとしたことを覚えています。
(2)日本の教育はどうしても知名度の高い学校を目指す受験競争の面を強く持ってしまっています。
(3)このため、学校では教科書の内容をストレートに「示す」だけに終わっていることが多いのではないだろうか、と考えたりもしました。
(4)また逆に、「開く」ことばかりを強調して、きちんと「示す」ということをないがしろにする教師もいるが、それで本当の教育と言えるだろうか、と考えたりもしました。
(5)ともかく、「開く」工夫、「示す」工夫、「悟らしめる」工夫、「入らしめる」工夫、のいずれをも大事にしなくては、知識や技能を真に主体化することはできない、ということを非常に強く思ったのです。
[コメント]
P132 ~ 134
教育のあり方の何をどう工夫したらよいか、その基本となる考えである「開」「示」「悟」「入」とは何か。その具体的内容が梶田先生により明らかにされていく。じっくりと考えたい。-2012年10月27日林 明夫


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