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「ぼくは風船爆弾」映画化

2025年04月11日 11時26分35秒 | 社会・文化・政治・経済

「ぼくは風船爆弾」映画化/元公明市議らプロデュース/茨城県取手市で初上映

公明新聞2025年4月11日付 6面
 
<button class="v2-focus relative overflow-hidden aspect-square h-[120px] w-[180px] flex-none" type="button" data-rac="">取手映画祭で関係者(左側4人)と懇談する城之内さん(中央)と市議</button><button class="v2-focus relative overflow-hidden aspect-square h-[120px] w-[180px] flex-none" type="button" data-rac="">映画の撮影現場</button>

 太平洋戦争末期の日本に実在した殺人兵器を主題にした映画『ぼくは風船爆弾』(松村克弥監督)が、先月開催された茨城県取手市の「取手映画祭」で初上映された。作家・高橋光子氏が実体験をつづった同名小説(潮ジュニア文庫)を基に、元公明党取手市議の城之内景子さんが「今こそ平和の大切さを次世代に」と映画製作をプロデュースした。

■平和の大切さ次世代に/女学生の悲史と夢つむぐ

 風船爆弾は、和紙でできた直径10㍍の気球に爆弾をつるした兵器。

敗戦が濃厚となり資源が枯渇した状況下、偏西風のい乗せて米国本土を攻撃する目的で考案された。

10代の女学生たちが昼夜を問わず製造作業に駆り出され、1945年4月ごろまで約9000個放たれた。

3月20日の「取手映画祭」には100人以上の市民らが来場。

取手映画祭は、公明党の染谷和博市議が実行委員会事務局長として長年携わっており、今回の上映にも尽力した。

 

 

ぼくは風船爆弾 (潮ジュニア文庫) 単行本

 
 
太平洋戦争末期、
「ほくと君」と名づけられたぼくは、
米国本土を攻撃するための
「秘密兵器」だったー!!

子ども・親・祖父母、三世代で読める
事実をもとに描かれた物語!

戦争末期、有楽町の日劇の中で風船爆弾を作っているという
噂を耳にしたことがあります。本書を読んで、全国各地で
作られていたこと、そして高橋さんの体験を踏まえているだけに、
材料や作り方や装置の描写が実に具体的で、
この計画が真剣だったことを知りました。

戦争体験がどんどん風化していく中で、書き残しておきたいという
高橋さんの強い一念が伝わってくる一書でした。
津村節子(作家)
 

著者について

1928年愛媛県生まれ。愛媛県立川之江高等女学校卒。テレビ、ラジオの脚本の仕事を経て65年「蝶の季節」で文学界新人賞受賞、同作で芥川賞候補。上条由紀のペンネームでジュニア小説も執筆。主な著書に『私を支えた母のひと言 39人の母たち』『海のつぶやき』『家族の肖像』などがある。


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