新浪剛史・サントリーHD社長×野中郁次郎
ローソンプロジェクト成功の影に
DIAMOND online 2015年8月12日
「野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断」第15回
日本軍を組織論から分析した『失敗の本質』の愛読者として知られる新浪剛史・サントリーホールディングス社長。同書から「リーダーは曖昧模糊とした判断をするべきではない」ことを学び、実践してきたという。最近読み直して痛感したのは「旧日本軍的発想が今の日本の企業社会にも残っている」こと。類い稀なるリーダーシップ、その実践力を高く評価する野中氏が、新浪氏の「戦史の読み方、学び方」について聞く特別対談を3回にわたってお届けする。
■ローソンプロジェクトのメンバーは
『成功の本質』を熟読していた
野中 新浪さんは様々なメディアで、『失敗の本質』を座右の書にあげておられ、著者の一人として大変光栄に思っておりました。出版されたのは1984年で、それから31年が経ちましたが、最初にお読みになったのはいつでしょうか。
新浪剛史 サントリーホールディングス社長
新浪 三菱商事に入って3、4年経った頃、出版されてすぐに読みました。当時、食糧・食品本部という部署の若手有志で勉強会をやっており、そのテキストだったんです。
野中 そうでしたか。当時はバブルに向かう時代で、景気は上向きでしたね。そんな時に失敗をテーマにした本書を手に取られたわけですね。
新浪 はい。扱っている題材は日本軍ですが、内容は企業経営に通じる戦略論だと思いました。何より読んでいて面白かった。「成功より失敗から学ぼう」という問題意識が僕らにはありました。
野中 座右の書というからには、それからも折に触れて目を通されたと。
新浪 その通りです。三菱商事は2000年にローソンの株を2割買い、2001年にはダイエーに代わって筆頭株主となります。その前の1999年に、株を買うか買わぬかを決める極秘ミーティングが連日、社内で行われていたのですが、リーダーを中心に多くの人たちが、『失敗の本質』を読んでいたと思います。
野中郁次郎 一橋大学名誉教授
野中 ほう。どんなメンバーだったのでしょうか。
新浪 トップは当時の常務で、その下に食品系の本部長クラス、そして、私を含め課長クラスが何人かいて、ちょうど大将、准将、若手将校といった感じでした。将来に向けたプロジェクトだったので、部長級は呼ばれていませんでした。上下おかまいなく、侃々諤々の議論をほぼ毎日、早朝や深夜に、3、4カ月続けました。私はまだ40歳にもなっておらず、一番年下でしたから、事務局を担当していました。私自身は、ローソンへの出資は大変な困難を伴うと思っていました。
野中 それは意外な話だ。なぜですか。
■戦略目的を曖昧にするな
反面教師としての日本軍
新浪 ローソンの組織文化が三菱商事と大きく異なるように感じられ、それはどうにも変えられないだろうと。それに対して、別のメンバーが「いや変えられる」と言う。そういう議論を延々とやっていました。それを可能にしたのがトップの腹の大きさでした。僕は副官の副官くらいでしたが、ミーティングのトップとも気を使わずに話ができる環境で、ずいぶん議論しました。
野中 最終的にはローソン株を買ったわけですね。
新浪 はい。投資額は、当時、三菱商事始まって以来の大きな金額でした。上が決断した後は、それまでの反対派も賛成派も関係なく、部門の垣根も超えて、ローソンの企業価値を上げようと一致団結しました。
最初に議論を尽くす。その内容をもとにトップが明確な決断を下し、一糸乱れずに実行する。今考えても、すごい意思決定をしたんだなあと思います。後に僕をローソンに出したことも含め、当時、自分が同じ立場だったら、ああいう決断ができただろうか、できなかっただろうなあ、と考えることがあります。
野中 われわれは日本軍「失敗の本質」の一つに「曖昧な戦略目的」があったと書きました。取り上げた六つの作戦すべてにおいて、日本軍は作戦目的に関する意思統一を図ることができませんでした。ローソンの買収においては、その悪しき構図にはまらずに済んだわけですね。いわば日本軍が反面教師となったわけだ。
新浪 その通りです。私がこの本から学んだ教訓は、リーダーは曖昧模糊とした判断をするべきではない、ということです。その場、その場で明確な判断を下すとともに、その中身を部下にきちんと伝えなければならない。そうしないと、あらゆる組織を必ず襲うパラダイムシフトに対応できません。
コンビニを取り巻く環境においてもまさにパラダイムシフトが起こっていました。たとえば、女性がより社会に出て働くようになってきたことです。店頭での野菜の品ぞろえを充実させたのも、自然派食品主体の新業態の展開を始めたのも、そうしたパラダイムシフトへの対応策でした。
■企業価値を毀損することはするな
企業価値の最大化だけを考えよ
野中 そうした環境変化に対応できなかった日本軍の姿をわれわれは描いたわけです。陸軍はソ連との戦争だけを念頭に置き、零下30度の北部満州とシベリアで戦うことだけを考えていました。太平洋のジャングルでアメリカ軍と戦うことなど夢想だにしていなかった。片や海軍も、アメリカ軍のような、島を一つひとつ落としていくという長期的発想も持たず、巨艦同士の戦いによる短期決戦だけを考えていました。お互いの意思統一も不完全だった。これでは勝てるわけがありません。
新浪 最初からローソンプロジェクトは短期決戦ではなく長期決戦でいくと決めていました。先ほども言った通り、三菱商事全社の経営資源を利用して、ローソンの企業価値を最大限に上げようとしたのです。
僕がローソンに移る時、本社のトップからこう言われたのを憶えています。「三菱商事だからといって気を使うな。同じもので安くなければ、他社から購買してもまったく構わない。ローソンの企業価値を毀損するようなことは絶対やるな。何かあったら遠慮なく相談してくれ」と。
野中 いい話だ。
■日本のITを強化するため
属人的統合からの脱却を
新浪 実は最近また『失敗の本質』を読み直しました。痛感しましたね。ここで描かれている旧日本軍的発想が今の日本の企業社会にも残っていると。
野中 ほう、具体的にはどんなことでしょう。
新浪 システムによる統合よりも属人的統合を重視することです。端的にいうと、それがITの弱さになって現われていると思います。日本企業はハードをつくらせたら抜群によいものをつくるけれど、ITになると弱くなる。業務の標準化が徹底せず属人的になり、最後は人に頼ってしまうからです。
人に頼れば人を整理しづらくなる。人を整理する発想が経営者になくて、情緒的に判断しますから、ますます業務の標準化が進まない。結果、日本独自のITサービスはなかなか育たない。まさしく悪循環です。70年前に日本はアメリカに負けましたが、今またIT分野で敗北を喫しているのは、失敗から学んでその本質が変わっていないからだと思います。
■アメリカ軍が優っていたもの
衆知独裁と機動的人事
野中 太平洋戦争で日本軍がアメリカ軍に負けました。正確にいうと、負けた相手はアメリカ海軍と海兵隊なんです。陸ではなく、空も含めた海での戦いで負けたわけです。
海軍・海兵隊は1920年代から日本を仮想敵国ととらえ、どう戦えば勝てるかを研究していました。それも当時の若手たちが、三菱商事のローソンプロジェクトのように、自由な議論を行っていました。そうやってまとまったのがオレンジプランです。
彼らが何に着目したかというと、日本とアメリカを隔てる太平洋が生み出す不確実性でした。その不確実性にうまく対応し、味方につけるにはどうしたらいいか。彼らが出した結論が「水陸両用」という新しい戦い方です。もはや戦艦の時代ではないと見抜き、「動く基地」としての航空母艦の力を最大限に使って、海と空から太平洋の島々を一つひとつ取っていく。島々には飛行場をつくり、最終的にはサイパンから飛び立ったB-29が本土を爆撃する。これで勝負あったということです。
そこにあったのは、海と陸と空を統合するオープンな議論と、結論が出たら絶対やり抜く姿勢でした。いわば衆知独裁です。ローソンプロジェクトの話と通底するものがありますね。
新浪 どんぴしゃりの話ですね。
野中 もう一つ、アメリカ軍が優れていたのは人事の機動性です。その代表例がテンポラリープロモーションと呼ばれる臨時昇進制度です。ハンモック・ナンバー(海軍兵学校の卒業席次)に象徴される年功序列が最後まで崩れなかった日本軍とは大違いでした。
新浪 私がローソンの社長を仰せつかった時も、人事で年次の逆転がありましたが、私より年次の古い社員一人ひとりとトップが話し、フォローしてくれました。当時、相当な危機感があったのだと思います。三菱商事ではまことに異例の人事でした。その時、ハンモック・ナンバーが維持されていたら、きっと企業価値向上は厳しかったと思います。パラダイムシフトをしていくには、年功序列は障害であったことは間違いありません。
■日本の営業は白兵戦から
機動戦に移行せよ
野中 三菱商事のような伝統的な企業からどうして新浪さんのような革新的な人材が生まれたのか、よくわからなかったのですが、今日のお話を聞いて、初めて腑に落ちました。
新浪 旧日本軍的発想といえば、陸軍の白兵戦思想もいまだ日本企業の間で根深く残っています。特に営業現場がそうです。兵卒と軍曹くらいまでは一糸乱れず強いわけです。そこで兵站は大丈夫か、というと、これが心もとないんです。新しい武器を用意するかといえば、それもありません。
これだけインターネットが進化しているのに、びっくりするくらい、まだまだ使われていない。そんなものを使うんだったら、もうあと1回余計に、お客さんのところに足を運べと。それは重要ですが、新しい武器がなくては、まさに白兵戦です。これがなかなか改まりません。
野中 海兵隊は第二次世界大戦後、白兵戦から機動戦に移行しています。機動戦とは知恵を駆使して「賢く戦う」、ファイティング・スマートの戦法です。日本の営業もいたずらに靴底をすり減らす白兵戦から、ネットも駆使した知的機動戦に移行すべきなのでしょう。
(構成・文/荻野進介)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』
(中公文庫/戸部良一ほか)
◆amazon読者投稿より
戸部良一、 野中 郁次郎ら6名の共著。
「大東亜戦争における詳作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、
これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用すること」
本書の狙いは、ここにある。
日本軍の失敗の本質について、「ノモンハン事件」「ミッドウェー作戦」「ガダルカナル作戦」等、
6つの戦いを取り上げ、「組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて、自らの戦略や組織を
主体的に変革することが出来なかった」こと、或いは、「組織内の融和と調和を重視し、
その維持に多大なエネルギーと時間を投入せざを得なかった」とし、
これらによって、組織としての自己革新能力を持つことが出来なかった」と指摘する。
また、自己革新能力について、「自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを
作り出すこと、すなわち概念の創造にある。」とし、
「自ら依って立つ概念についての自覚が希薄で、今、行っていることが何なのかということの意味が
分からないままに、失敗を繰り返し、戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識出来ず、
責任の所在が不明なままに、フィードバックと反省による知の積み上げが出来ないばかりか、
有害となってしまった知識の棄却さえ出来なくなった」と指摘している。
改めて見直すと、この指摘は多くの企業、団体に当てはまるのではないかと思う。
曖昧な戦略、目的と手段の取り違え、身の回りにもあることだ。
震災、原発、電力不安等、ますます将来が見通せない中で、戦略の重要性を
再認識させてくれた本であった。
◆読者投稿より
この書は、ミッドウェー戦やガダルカナル戦など大戦中の6つのケーススタディーを通して、
日本軍の組織的な敗北に迫るものであるが、本書を通して、読者は奇妙な既視感に陥るだろう。
「そうだ、あの頃と何も変わってはいないではないか」と。
読み進める毎に、吸い込まれつつも、極めて悲観的になってしまった。
読後感として、全体に通じる日本軍の問題は今日の日本全体を覆う問題に直結する。
日本軍の情緒的でまたプロセスを重視し、年功序列型の昇級から来る問題は、今日の日本企業の問題へ、
戦闘において自立性を極度に制限させられた現場と集権的中央の関係は、今日の地方と中央の関係へ、
また日本軍部エリート創出の教育過程における問題性は現在の日本教育の問題に通じている。
組織的には結局、何ら変わらずにここまで来たのかと疑いたくなる…。
例えば、当時日本陸軍の戦略文化としてあった「短期決戦」による「必勝の信念」を疑わない姿勢は、
それが万一失敗した場合のコンティンジェンシープランの作成を拒んだ。
それを作るように進言する声に対して、それは「必勝の信念」を疑う事であり、
消極的で士気を低下させる行為だと言う。ここにあるのは「神話」の絶対性で、それを疑う事を許さない文化だ。
この事は、現在でも形を変えて生じているのだ。最近の問題として、原発行政に同様の問題がある。
原子力安全委員会委員をやっていた武田邦彦氏(現中部大学教授)は、原発を作る際の地震指針の不完全性を
懸念し、念のために周辺住人にヨウ素剤とバイクを配布するように進言した。
しかし「原子力は安全」がタテマエだからそれをやると、「原子力は安全でない」と言う事になるから出来ない
と言われたという。 …同じものを感じるのは私だけだろうか?
本書で最も核心部は「大東亜戦争中一貫して日本軍は学習を怠った組織であった。」(p327)という
「革新的組織」になるべく学習のあり方に関するものだろう。
逆説的だが、日本軍は日清、日露戦争への適応を進めそれに特化してしまった結果、
組織内に多様性を生み出す「緊張」や「変更」を望まない、極めて安定志向の組織のまま
不確実性の高い戦争へ突入して行った事だ。
結果的に、現場からの声や作戦の失敗に対し得られた知識をフィードバッグし、既存の知識を否定し
自己革新が出来ないシステムになり、同じ失敗を何度も繰り返して行った。
この極度の特化から生じる問題は日本の携帯電話のガラパゴス化と同じ種類の問題だ。
日本市場のニーズを極度に追求した結果、世界の流れから取り残される……
日本市場が飽和した後は耐えられないかもしれない。
長期決戦を見越した国際標準化の必要性が叫ばれるところである。
20年以上前にかかれたが、全く古さを感じられないという事は、まさに『失敗の本質』という通り、
日本の閉塞に普遍的に横たわる本質的な「何か」に焦点を当てているからだろう。
近代戦について、本書は言う、「…概念を外国から取り入れること自体に問題があるわけではない。
問題は、そうした概念を十分に咀嚼し、自らのものとするように努めなかったことであり、
さらにそのなかから新しい概念の創造へ向かう方向性が欠けている点にある。」
これは近代戦だけでなく、日本が「輸入」した近代国家を支える民主主義と資本主義の概念にも通じ、
冷戦後の日本の長期停滞を招いている原因だと思う。
大震災以後緊急に、42刷として出版された本書の一読を勧める。
ローソンプロジェクト成功の影に
DIAMOND online 2015年8月12日
「野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断」第15回
日本軍を組織論から分析した『失敗の本質』の愛読者として知られる新浪剛史・サントリーホールディングス社長。同書から「リーダーは曖昧模糊とした判断をするべきではない」ことを学び、実践してきたという。最近読み直して痛感したのは「旧日本軍的発想が今の日本の企業社会にも残っている」こと。類い稀なるリーダーシップ、その実践力を高く評価する野中氏が、新浪氏の「戦史の読み方、学び方」について聞く特別対談を3回にわたってお届けする。
■ローソンプロジェクトのメンバーは
『成功の本質』を熟読していた
野中 新浪さんは様々なメディアで、『失敗の本質』を座右の書にあげておられ、著者の一人として大変光栄に思っておりました。出版されたのは1984年で、それから31年が経ちましたが、最初にお読みになったのはいつでしょうか。
新浪剛史 サントリーホールディングス社長
新浪 三菱商事に入って3、4年経った頃、出版されてすぐに読みました。当時、食糧・食品本部という部署の若手有志で勉強会をやっており、そのテキストだったんです。
野中 そうでしたか。当時はバブルに向かう時代で、景気は上向きでしたね。そんな時に失敗をテーマにした本書を手に取られたわけですね。
新浪 はい。扱っている題材は日本軍ですが、内容は企業経営に通じる戦略論だと思いました。何より読んでいて面白かった。「成功より失敗から学ぼう」という問題意識が僕らにはありました。
野中 座右の書というからには、それからも折に触れて目を通されたと。
新浪 その通りです。三菱商事は2000年にローソンの株を2割買い、2001年にはダイエーに代わって筆頭株主となります。その前の1999年に、株を買うか買わぬかを決める極秘ミーティングが連日、社内で行われていたのですが、リーダーを中心に多くの人たちが、『失敗の本質』を読んでいたと思います。
野中郁次郎 一橋大学名誉教授
野中 ほう。どんなメンバーだったのでしょうか。
新浪 トップは当時の常務で、その下に食品系の本部長クラス、そして、私を含め課長クラスが何人かいて、ちょうど大将、准将、若手将校といった感じでした。将来に向けたプロジェクトだったので、部長級は呼ばれていませんでした。上下おかまいなく、侃々諤々の議論をほぼ毎日、早朝や深夜に、3、4カ月続けました。私はまだ40歳にもなっておらず、一番年下でしたから、事務局を担当していました。私自身は、ローソンへの出資は大変な困難を伴うと思っていました。
野中 それは意外な話だ。なぜですか。
■戦略目的を曖昧にするな
反面教師としての日本軍
新浪 ローソンの組織文化が三菱商事と大きく異なるように感じられ、それはどうにも変えられないだろうと。それに対して、別のメンバーが「いや変えられる」と言う。そういう議論を延々とやっていました。それを可能にしたのがトップの腹の大きさでした。僕は副官の副官くらいでしたが、ミーティングのトップとも気を使わずに話ができる環境で、ずいぶん議論しました。
野中 最終的にはローソン株を買ったわけですね。
新浪 はい。投資額は、当時、三菱商事始まって以来の大きな金額でした。上が決断した後は、それまでの反対派も賛成派も関係なく、部門の垣根も超えて、ローソンの企業価値を上げようと一致団結しました。
最初に議論を尽くす。その内容をもとにトップが明確な決断を下し、一糸乱れずに実行する。今考えても、すごい意思決定をしたんだなあと思います。後に僕をローソンに出したことも含め、当時、自分が同じ立場だったら、ああいう決断ができただろうか、できなかっただろうなあ、と考えることがあります。
野中 われわれは日本軍「失敗の本質」の一つに「曖昧な戦略目的」があったと書きました。取り上げた六つの作戦すべてにおいて、日本軍は作戦目的に関する意思統一を図ることができませんでした。ローソンの買収においては、その悪しき構図にはまらずに済んだわけですね。いわば日本軍が反面教師となったわけだ。
新浪 その通りです。私がこの本から学んだ教訓は、リーダーは曖昧模糊とした判断をするべきではない、ということです。その場、その場で明確な判断を下すとともに、その中身を部下にきちんと伝えなければならない。そうしないと、あらゆる組織を必ず襲うパラダイムシフトに対応できません。
コンビニを取り巻く環境においてもまさにパラダイムシフトが起こっていました。たとえば、女性がより社会に出て働くようになってきたことです。店頭での野菜の品ぞろえを充実させたのも、自然派食品主体の新業態の展開を始めたのも、そうしたパラダイムシフトへの対応策でした。
■企業価値を毀損することはするな
企業価値の最大化だけを考えよ
野中 そうした環境変化に対応できなかった日本軍の姿をわれわれは描いたわけです。陸軍はソ連との戦争だけを念頭に置き、零下30度の北部満州とシベリアで戦うことだけを考えていました。太平洋のジャングルでアメリカ軍と戦うことなど夢想だにしていなかった。片や海軍も、アメリカ軍のような、島を一つひとつ落としていくという長期的発想も持たず、巨艦同士の戦いによる短期決戦だけを考えていました。お互いの意思統一も不完全だった。これでは勝てるわけがありません。
新浪 最初からローソンプロジェクトは短期決戦ではなく長期決戦でいくと決めていました。先ほども言った通り、三菱商事全社の経営資源を利用して、ローソンの企業価値を最大限に上げようとしたのです。
僕がローソンに移る時、本社のトップからこう言われたのを憶えています。「三菱商事だからといって気を使うな。同じもので安くなければ、他社から購買してもまったく構わない。ローソンの企業価値を毀損するようなことは絶対やるな。何かあったら遠慮なく相談してくれ」と。
野中 いい話だ。
■日本のITを強化するため
属人的統合からの脱却を
新浪 実は最近また『失敗の本質』を読み直しました。痛感しましたね。ここで描かれている旧日本軍的発想が今の日本の企業社会にも残っていると。
野中 ほう、具体的にはどんなことでしょう。
新浪 システムによる統合よりも属人的統合を重視することです。端的にいうと、それがITの弱さになって現われていると思います。日本企業はハードをつくらせたら抜群によいものをつくるけれど、ITになると弱くなる。業務の標準化が徹底せず属人的になり、最後は人に頼ってしまうからです。
人に頼れば人を整理しづらくなる。人を整理する発想が経営者になくて、情緒的に判断しますから、ますます業務の標準化が進まない。結果、日本独自のITサービスはなかなか育たない。まさしく悪循環です。70年前に日本はアメリカに負けましたが、今またIT分野で敗北を喫しているのは、失敗から学んでその本質が変わっていないからだと思います。
■アメリカ軍が優っていたもの
衆知独裁と機動的人事
野中 太平洋戦争で日本軍がアメリカ軍に負けました。正確にいうと、負けた相手はアメリカ海軍と海兵隊なんです。陸ではなく、空も含めた海での戦いで負けたわけです。
海軍・海兵隊は1920年代から日本を仮想敵国ととらえ、どう戦えば勝てるかを研究していました。それも当時の若手たちが、三菱商事のローソンプロジェクトのように、自由な議論を行っていました。そうやってまとまったのがオレンジプランです。
彼らが何に着目したかというと、日本とアメリカを隔てる太平洋が生み出す不確実性でした。その不確実性にうまく対応し、味方につけるにはどうしたらいいか。彼らが出した結論が「水陸両用」という新しい戦い方です。もはや戦艦の時代ではないと見抜き、「動く基地」としての航空母艦の力を最大限に使って、海と空から太平洋の島々を一つひとつ取っていく。島々には飛行場をつくり、最終的にはサイパンから飛び立ったB-29が本土を爆撃する。これで勝負あったということです。
そこにあったのは、海と陸と空を統合するオープンな議論と、結論が出たら絶対やり抜く姿勢でした。いわば衆知独裁です。ローソンプロジェクトの話と通底するものがありますね。
新浪 どんぴしゃりの話ですね。
野中 もう一つ、アメリカ軍が優れていたのは人事の機動性です。その代表例がテンポラリープロモーションと呼ばれる臨時昇進制度です。ハンモック・ナンバー(海軍兵学校の卒業席次)に象徴される年功序列が最後まで崩れなかった日本軍とは大違いでした。
新浪 私がローソンの社長を仰せつかった時も、人事で年次の逆転がありましたが、私より年次の古い社員一人ひとりとトップが話し、フォローしてくれました。当時、相当な危機感があったのだと思います。三菱商事ではまことに異例の人事でした。その時、ハンモック・ナンバーが維持されていたら、きっと企業価値向上は厳しかったと思います。パラダイムシフトをしていくには、年功序列は障害であったことは間違いありません。
■日本の営業は白兵戦から
機動戦に移行せよ
野中 三菱商事のような伝統的な企業からどうして新浪さんのような革新的な人材が生まれたのか、よくわからなかったのですが、今日のお話を聞いて、初めて腑に落ちました。
新浪 旧日本軍的発想といえば、陸軍の白兵戦思想もいまだ日本企業の間で根深く残っています。特に営業現場がそうです。兵卒と軍曹くらいまでは一糸乱れず強いわけです。そこで兵站は大丈夫か、というと、これが心もとないんです。新しい武器を用意するかといえば、それもありません。
これだけインターネットが進化しているのに、びっくりするくらい、まだまだ使われていない。そんなものを使うんだったら、もうあと1回余計に、お客さんのところに足を運べと。それは重要ですが、新しい武器がなくては、まさに白兵戦です。これがなかなか改まりません。
野中 海兵隊は第二次世界大戦後、白兵戦から機動戦に移行しています。機動戦とは知恵を駆使して「賢く戦う」、ファイティング・スマートの戦法です。日本の営業もいたずらに靴底をすり減らす白兵戦から、ネットも駆使した知的機動戦に移行すべきなのでしょう。
(構成・文/荻野進介)
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『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』
(中公文庫/戸部良一ほか)
◆amazon読者投稿より
戸部良一、 野中 郁次郎ら6名の共著。
「大東亜戦争における詳作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、
これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用すること」
本書の狙いは、ここにある。
日本軍の失敗の本質について、「ノモンハン事件」「ミッドウェー作戦」「ガダルカナル作戦」等、
6つの戦いを取り上げ、「組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて、自らの戦略や組織を
主体的に変革することが出来なかった」こと、或いは、「組織内の融和と調和を重視し、
その維持に多大なエネルギーと時間を投入せざを得なかった」とし、
これらによって、組織としての自己革新能力を持つことが出来なかった」と指摘する。
また、自己革新能力について、「自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを
作り出すこと、すなわち概念の創造にある。」とし、
「自ら依って立つ概念についての自覚が希薄で、今、行っていることが何なのかということの意味が
分からないままに、失敗を繰り返し、戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識出来ず、
責任の所在が不明なままに、フィードバックと反省による知の積み上げが出来ないばかりか、
有害となってしまった知識の棄却さえ出来なくなった」と指摘している。
改めて見直すと、この指摘は多くの企業、団体に当てはまるのではないかと思う。
曖昧な戦略、目的と手段の取り違え、身の回りにもあることだ。
震災、原発、電力不安等、ますます将来が見通せない中で、戦略の重要性を
再認識させてくれた本であった。
◆読者投稿より
この書は、ミッドウェー戦やガダルカナル戦など大戦中の6つのケーススタディーを通して、
日本軍の組織的な敗北に迫るものであるが、本書を通して、読者は奇妙な既視感に陥るだろう。
「そうだ、あの頃と何も変わってはいないではないか」と。
読み進める毎に、吸い込まれつつも、極めて悲観的になってしまった。
読後感として、全体に通じる日本軍の問題は今日の日本全体を覆う問題に直結する。
日本軍の情緒的でまたプロセスを重視し、年功序列型の昇級から来る問題は、今日の日本企業の問題へ、
戦闘において自立性を極度に制限させられた現場と集権的中央の関係は、今日の地方と中央の関係へ、
また日本軍部エリート創出の教育過程における問題性は現在の日本教育の問題に通じている。
組織的には結局、何ら変わらずにここまで来たのかと疑いたくなる…。
例えば、当時日本陸軍の戦略文化としてあった「短期決戦」による「必勝の信念」を疑わない姿勢は、
それが万一失敗した場合のコンティンジェンシープランの作成を拒んだ。
それを作るように進言する声に対して、それは「必勝の信念」を疑う事であり、
消極的で士気を低下させる行為だと言う。ここにあるのは「神話」の絶対性で、それを疑う事を許さない文化だ。
この事は、現在でも形を変えて生じているのだ。最近の問題として、原発行政に同様の問題がある。
原子力安全委員会委員をやっていた武田邦彦氏(現中部大学教授)は、原発を作る際の地震指針の不完全性を
懸念し、念のために周辺住人にヨウ素剤とバイクを配布するように進言した。
しかし「原子力は安全」がタテマエだからそれをやると、「原子力は安全でない」と言う事になるから出来ない
と言われたという。 …同じものを感じるのは私だけだろうか?
本書で最も核心部は「大東亜戦争中一貫して日本軍は学習を怠った組織であった。」(p327)という
「革新的組織」になるべく学習のあり方に関するものだろう。
逆説的だが、日本軍は日清、日露戦争への適応を進めそれに特化してしまった結果、
組織内に多様性を生み出す「緊張」や「変更」を望まない、極めて安定志向の組織のまま
不確実性の高い戦争へ突入して行った事だ。
結果的に、現場からの声や作戦の失敗に対し得られた知識をフィードバッグし、既存の知識を否定し
自己革新が出来ないシステムになり、同じ失敗を何度も繰り返して行った。
この極度の特化から生じる問題は日本の携帯電話のガラパゴス化と同じ種類の問題だ。
日本市場のニーズを極度に追求した結果、世界の流れから取り残される……
日本市場が飽和した後は耐えられないかもしれない。
長期決戦を見越した国際標準化の必要性が叫ばれるところである。
20年以上前にかかれたが、全く古さを感じられないという事は、まさに『失敗の本質』という通り、
日本の閉塞に普遍的に横たわる本質的な「何か」に焦点を当てているからだろう。
近代戦について、本書は言う、「…概念を外国から取り入れること自体に問題があるわけではない。
問題は、そうした概念を十分に咀嚼し、自らのものとするように努めなかったことであり、
さらにそのなかから新しい概念の創造へ向かう方向性が欠けている点にある。」
これは近代戦だけでなく、日本が「輸入」した近代国家を支える民主主義と資本主義の概念にも通じ、
冷戦後の日本の長期停滞を招いている原因だと思う。
大震災以後緊急に、42刷として出版された本書の一読を勧める。