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創作 愛されたい願望 続編 2

2024年12月19日 02時35分05秒 | 創作欄

性交行為は、あくまで相手の同意があっての前提条件で成立する。

徹は、母親との思ぬ体験から、自覚を深めたのだ。

彼は、相変わらず「愛されたい願望」を抱いていた。

本来は、愛するから、相手から愛されるのが道理である。

だが、徹の「愛されたい願望」は身勝手であり、どこまでも甘い願望にすぎなかったのだ。

徹の父親の愛人は、職場の若い部下の女性であり、当時21歳の若さだった。

38歳の父親は、専門学校での亀田優子に愛着を抱いた。

社内には7人の女性がいたが、真司はこれまでどの女性に対して距離を保っていた。

厳密に言えば、相手に対して愛着する感情が湧かなかったのだ。

既婚者が3人、後の4人に彼氏がいるのかどうか、それは詮索するつもりもなかった。

だが、入社して3か月の優子のことが、徐々に気になってきていた。

彼女に彼氏がいるのかどうか、さらには、性の経験があるのかどうかも確かめたくなっていた。

その日は、帰宅する彼女とは同じ電車であったが、二人は互いに離れて立ってたいた。

地下鉄の九段駅から大手町方面へ電車は向かっていたのだが、驚くことに彼女は50代と想われる男から、痴漢行為にあっていたのだ。

そして、彼女は男の手を払いのけると真司の方へ逃れてきた。

だが、男は執拗に彼女を追ってきたのだ。

真司は当然、彼女をかばう。

「真司さん」彼女は、上司である真司に助けを求めすがりつくのだ。

痴漢男にとっては、思わぬ突然の第三者の男との遭遇であっのだろう、身を翻し驚愕する。

真司は無言のまま痴漢男を睨みつける。

それよりも彼は、彼女から「真司さん」と助けを求めれたことに、複雑な感慨に陥る。

痴漢男は満員電車が停車した大手町駅で下車すると逃げ足となりホームの人込みに紛れていく。

「痴漢ですね」

「そうなの。これで3度目なのよ」優子は涙目になっていた。

「私は、痴漢に狙われやすいのかもしれない」

男女の感情は、思わぬ方向へを向かうものなのだ。

「ごめんさい。真司さんなんて呼んでしまって」優子は恥じらうが、彼は初の体験に心が浮き立っていた。

徹は後年、父親が母親を裏切っことを知るこことなる。

徹は17歳となっていた。

母親は興信所に依頼して、夫の愛人の存在を突き止めていたのである。

 

 

 

 

 


創作 愛されたい願望 続編 

2024年12月19日 01時32分18秒 | 創作欄

松井徹の「愛されたい願望」は厳密に言えば、自己本位であり、甘えの構造の帰結とも言えた。

彼の幼児からの母親からの「愛されたい願望」に遠因があったのだ。

母親から溺愛されていた弟への憤りも根底であった。

さらに、母親は夫に愛人が出来たことから、その憤りを息子の徹にまでぶっけた理不尽さは、到底、息子の徹に理解が及ぶ世界ではなった。

性の欲求不満から起因とする母親の苛立ちであろう、あろうことか、中学生2年生の徹に対してまで、母親は性の捌け口を強要する。

寝ていた徹の部屋まで母親は忍んできたのだ。

脇には、13歳の弟が寝息をたたえて横たわっていたのだ。

弟の顔には毛布がかかっていた。

突然の異変に気がつけば徹はすでに、母親から陰部を執拗なでもまさぐられいた。

徹は、本能的に母の求めを強く拒絶した。

そして、息を荒げて息子に挑む母親を跳ねのける。

信じ難い母親の狂気の事態に愕然とする。

そして、最悪の近親相姦を辛うじて避けられのである。

息子の拒絶の前で、母親は我に返り声をあげて泣いたのだ。

「ゴメンね、何もかも、お母さんが悪かったの。本当にお母さん悪かったわ、死んでお詫びするね」

母親の突然の泣き声に弟は、何事かと驚き眼を覚ます。

まさに、徹にとっては14歳の悪夢であった。

 

 

 


創作 愛されたい願望 11)

2024年12月15日 18時38分06秒 | 創作欄

ジャンヌ徹は、取材の過程で音楽療法に着目した。

当時、TBSミュージックの係長の隅田幸助が、取材の窓口だった。

徹の先輩の佐藤重喜が「俺は別の取材があるんだ。お前にあとを任せる」と言うのだ。

そして、取材相手について、佐藤は「隅田係長は、ブな男。あんな風の男が予想外に、美人の女から好かれだ」とニヤリをする。

「お前さんも、顔が良くないから美女にもてることになるよ」先輩は微笑むが痛烈な皮肉を言うのだ。

ブ男とは、ハンサムではない、男として外見が劣る意味である。

侮辱であるが、徹は美女との出会いを願望する。

徹の妻は二人めの妊娠、出産を控えていた。

音楽療法の実演は、東京上野の東京芸大の一室で行われた。

徹は、通訳してくれた、大学院生の相川洋子に心を動かされる。

フランス人である音楽療法士の提唱者のロブソン夫人に対して、彼女は通訳として帝国ホテルまで同行してくれたのだ。

徹は、結婚後に、あろうことか、まさか出会いのなかでこれまでにない魅力を秘めた相川洋子に愛されたいと願望する。

彼女はフランス人の母親・ジャンヌに似てどこか、映画の世界のようなロマンを漂わせていた。

「お会いできて、光栄です」それはあくまでも、彼女の外交辞令に過ぎなかったのであるが、徹は我田引水となるのだ。

 

 

 

皆さんは音楽療法という言葉を聞いたことはありますか?音楽療法とは、音楽のもつ特性を利用したプログラムを通して行われる療法のこと。認知症の方や発達障害の子どもなどを対象として実施されています。

興味関心はあるけれど、具体的にどんなことをするのか知らないという方も多いかもしれません。

そこで今回は、音楽療法はどんな症状に効果があるのか、なぜ効果があるのか、実際にどのように行うのかなどについて、音楽療法士の岩井佳子さんと鈴木暁子さんに教えていただきました。

音楽療法士 ピアニスト 岩井佳子

音楽療法士 ピアニスト

岩井佳子

大阪音楽大学音楽学部卒業(ピアノ専攻) 聖徳大学大学院児童学研究科博士前期課程修了(児童学専攻)。梅花女子大学・大阪信愛学院大学非常勤講師 障がいのある成人・児童の施設および自身のカルチャ―スタジオで音楽療法を実施。

https://cs-arche.com/

 


創作 愛されたい願望 10)

2024年12月15日 11時31分42秒 | 創作欄

徹と幸恵の新婚生活は、東京北区王子本町の6畳と4畳半のアパートで始まった。

炊事に立つ幸恵は、歌を口ずさむ。

声が綺麗なことを徹は改めて知る。

「愛の賛歌」を歌う。

「心溶かす恋よ」が「心と書く恋よ」に聞こえた。

幸恵がお気に入りの音無親水公園での散歩の時も、「愛の賛歌」と歌うのだ。

「私、恋の経験がなかったけれど、段々と徹さんが好きになってきたの」と幸恵は徹の腕を抱え込む。

徹は、複雑な気持ちとなる。

実は、国会記者クラブの事務局の峯田さくらが「聞いたわ、結婚したのね。とても残念な気持ちよ」と心を吐露するのだ。

また、上野公園での社内の仲間たちによる花見の夜であった同僚の多田純子が「あなたを慕っていたの。とても、好きだったの」と酔いにまかせて打ち明けた。

彼女は涙目になっていた。

彼女は医師の娘で、千葉大学を出ていて、私大出の徹は彼女に対して心がひけていた。

「早く、言ってくれたらよかったのに」徹はその言葉を彼女に言わず、飲み込むのだ。

これも、灯台下暗しであった。

 

音無親水公園

石神井川の旧流路に整備された公園です。流路に枝垂れるもみじやさくら、水車、公園を横切るアーチの橋などが見所です。日本の都市公園100選にも選ばれています。

 
 
 

義経記』によれば源頼朝隅田川を渡河して王子板橋に至ると書かれている

江戸時代になると王子村の中心には日光御成街道(岩槻街道)が通って江戸の市街と直結され、18世紀には八代将軍徳川吉宗によって飛鳥山が植えられたことをきっかけに、江戸市民が頻繁に足を運ぶようになった。

飛鳥山の花見人気とともに、王子村の岸にある王子稲荷神社がもともと東国33ヶ国(東海道の15国、東山道の11国、北陸道の7国)の稲荷社の頭領を自認していたこともあってか参拝客が増え、料理屋や茶屋が立ち並んで、江戸郊外の手軽な行楽地として人気を集めた。狐火の伝承をもとに毎年大晦日には狐の行列が催される。

 

落語「王子の狐」などで知られる茶屋「扇屋」。

音無川(石神井用水)を挟んで庭園を持っていた。

王子は、東京都北区中央部に位置する。西で京浜東北線、中央を南北に国道122号(北本通り)がそれぞれ縦貫している。

京浜東北線・東京メトロ南北線王子駅から北本通り沿いは王子随一の繁華街である

北側で神谷隅田川を跨いで足立区新田・東で豊島・東南で堀船・南で西ケ原・西南で滝野川・西で岸町、北西で東十条と接する。

また、西の音無橋付近で僅かに王子本町と接している。

昭和40年代までは旧王子製紙(過度経済力集中排除法による会社分割前の王子製紙であり現在の同名企業とは異なる)の工場や社宅が多く立ち並んでいた。その後相次いで閉鎖され、商業施設サンスクエアや王子五丁目団地などが建設された。


創作 愛されたい願望 9

2024年12月15日 00時47分36秒 | 創作欄

徹は、恋愛経験がほとんど実ることなく、25歳で結婚に至るとは、実に皮肉というか、これが人生の帰結と思うばかりだった。

故郷の母からの徹の住む東京・北区のアパートへの電話は、見合いの要請だった。

「徹、社会に出ては、まず結婚して身をかためけなさい、いいわね」

徹は母親に幼児から威圧的に育てられてきた。

故郷の村の娘が見合い相手だったのだ。

見合いの場は、相手が住む江戸時代から続く古民家であった。

徹にとって、これまで思いを寄せた人は、皆さんが美形であったが、見合いの相手は徹の期待を裏切る人であった。

だが、相手の印象は愛想が良く心が優しい人であった。

その人は美形の母親には似ずに、如何にも田舎育ちで素朴な父親に似ていのだ。

「私の女学校時代の親友の娘さん、いい子よ」母親は見合いの動機を告げ、「とてもいい性格の娘さんなの」と徹に後押して勧めた。

 

 

 

 


悪太郎

2024年12月14日 00時33分40秒 | 創作欄

利根輪太郎は、悪太郎である。

競輪の合間に、カラオケ喫茶へ向かう。

店のマスターは、心得ていて、2曲を輪太郎のために割り込みで入れてくる。

午後3時に訪れ、酒を2本飲み、輪太郎は2曲を歌い退場。

だが、彼が歌う間に、おしゃべりする客がいれば、黙っていない。

「お客さん、ここは喫茶店ではないよ!出て行くんだよ!」と輪太郎が罵声をお客に向かって浴びるには、マスターも呆ればかり・・・


創作 愛されたい願望 8

2024年12月13日 03時07分28秒 | 創作欄

松井徹は、愛されたい願望を抱いたのであるが、それが実現することなく、大学を卒業した。

大学の卒業を記念する謝恩会は、東京・赤坂のホテルで行われた。

徹が4年の間、密かに恋していた人が和服姿で幹事として受付を務めていた。

微笑み学友たちを迎える美形の彼女の姿 一段と輝いて見えた。

長い黒髪をアップにしていたので、別人にも映じた。

徹は既に彼女には婚約した彼氏が居たことも知らずに、最初で最後のラブレターを彼女の自宅に郵送していた。

「あなたのお手紙、読んだわ。もったいないような、とても複雑な気持ちなったの」彼女は小声で言う。

その後、彼女が5月に赤坂の同じホテルで結婚式を挙げたことを親友であった佐々木孝蔵から聞くこととなる。

ところで、謝恩会では「君には才能がある。短歌を続けなさい」と講師の相沢浩紀先生に言われる。

ラブレターには、彼女の思いを短歌に詠じていたのだが、徹は短歌を卒業し、ジャーナリストを目指す覚悟になっていた。

「あなたと、一度、話てみたかったのよ。今日でお別れなのね」声をかけてきたのが、彼女の親友の中野幸恵であった。

謝恩会は別れの場であった。

愛されたい願望―中野幸恵が徹を密に恋していたとは実に心外であった。

幸恵は、故郷の能登の中学校に赴任と言っていた

灯台下暗しとは言ったものだ。

 

謝恩会とは、卒業式と合わせて行われるイベントで、お世話になった先生に感謝を伝える場として開催されます。

ゼミ単位の小規模なものから学年単位の大規模なものまでありますが卒業生が主体となり、先生を招待してもてなすのは同じ。


創作 愛されたい願望 7)

2024年12月11日 06時25分03秒 | 創作欄

田舎育ちで、農家の後継ぎを逃れ大学に進学し、国文科を専攻した徹は、心理学科の木村貞治教授の部屋に呼ばれた。

「君と一度、話をしたかっんだ」何時もとは違う柔和な木村教授の表情であった。

徹は母親の勧めで心理学の講義も選択していた。

徹の母親と木村教授は従兄の関係だった。

しかも、遠隔地に住む木村は若き日には、徹の母親の実家に同居して、町の高校に通学していた。

母親は当時14歳、木村教授は16歳だった。

「君は、お母さんに似ているね」木村教授は自ら出したお茶を「飲んで」と促す。

緊張していた徹は一口お茶を飲む。

そして、木村教授はパイプを口にくわえながら話し出す。

「私は山奥の農家に育ち、長男なのに家を飛び出した。幸い次男の朗が家を継いだ。君は大学を出てからどうすつもりなのかね」

「先生、実は新聞社へ行くことになりました」

「新聞社?」

「業界紙ですが・・・」

「そうか、頑張りなさい。それでは、君はお母さんが望んでいた学校の先生にはならないんだね」木村教授は俯きながらパイプの煙をくゆらせた。

農家を継がなかった母親の兄は、高校の教師となっていた。

徹は幼いころ、母親に愛されたい願望を抱いていたが、特に愛されたのは弟だった。

 

 

 

 


創作 愛されたい願望 6)

2024年12月09日 11時02分43秒 | 創作欄

徹は高校と大学でドイツ語を学んだのだが、身に付かなかった。

英語は中学生からであるが、さらにダメだった。

入学式に目を留めたことが契機となり惚れた女学生と席を並べる機会を狙ってドイツ科の授業を選択したのだが、彼女にはすでに彼氏がいて、二人は何時も行動をともにしていたのだ。

徹は国文科専攻であるが、体育科も選択して、昼休みを含めて体育館で過ごすことも増えた。

先輩や講師には、オリンピックに出た人もいた。

だが、体操については高校生から体操をやってきた同期生にはとても及ばなかった。

剣道だけは高校生からやっていたので、大学生から初めて同期生たちには、試合では負けなかった。

「今日は、やけに少ないな。皆はどうしたんだ?」講師の一人が講堂へ入っくるなり、怪訝そうに学生たちに聞くのだ。

「皆、国体に行ってます」と一番前に座る学生が説明する。

「そうか、君たちも頑張って、来年は国体へいくようにしなさい」と講師は促すが「ハイ」と応える学生は皆無だった。

徹は1500メートのタイプ測定で2位となる。

油断だった、気を抜いたらゴール手前で後から追い込んできた学生に寸前で差されてしまった。

その学生こそ、徹が密かに惚れていた秋山純子の彼氏だったのだ。

徹は講師でオリンピックにも出た体操の青山貴子先生から「バーベルを片付けなさい」と命じられた。

バーベルを使用していた数人の学生が放置したまだっだ。

青山貴子講師の練習姿を見るために、徹は体育館へ行くことが増えた。

高校生の時に惚れこんだ田辺みどりに面影が似ている青山講師に対して心を投影させていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 


創作 愛されたい願望 5)

2024年12月04日 09時16分41秒 | 創作欄

高校生になろうとした徹は、母親の強い願いから農業高校へやむなく進学した。

1年後に弟は普通高校へ進学するのだ。

町には女子高を含めて、3校があった。

1年生の担任は日本農大を出た姫木春子先生であった。

姫木先生は徹の村の農家の娘であった。

その先生は、宮沢賢治の信奉者であって、姫木先生が熱く語る宮沢賢治像に徹は引き込まれていくのだ。

そして、農業の道も悪くないのでは、と考え直していく。

徹は文学に目覚める契機となり、詩などもノートに書いてみた。

また、姫木先生に勧められ小説「土」も読んでみた。

さらに、太宰治や芥川龍之介の小説や坂口安吾にも興味を示す。

それらの小説の「感想文」書いて、姫木先生に読んでもらった。

「徹君、良く本を読むわね」姫木先生の褒め言葉が徹の胸にある種の感情を抱かせていく。

だが、2年後に姫木先生は、大学の同窓生と結婚することなり、村を離れ東京へ向かうのだった。

宮沢 賢治は、日本の詩人、童話作家。
仏教信仰と農民生活に根ざした創作を行った。
作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーヴと名付けたことで知られる。 
生まれ: 1896年8月27日, 岩手県 花巻市
死去: 1933年9月21日, 岩手県 花巻市
両親: 宮澤政次郎、 イチ
影響を受けた人: 宮崎駿、 手塚治虫、 Leiji Matsumoto、 長野まゆみ

』(つち)は、長塚節の長編小説。作者の郷里である茨城県鬼怒川沿いの農村を舞台に、貧農一家の生活を農村の自然や風俗・行事などと共に、写生文体で克明に描いた ...

 

 
 

 

 


創作 愛されたい願望 4)

2024年12月02日 22時27分54秒 | 創作欄

松井徹にとって、中学生の思い出は、園田朱音(あかね)との出会いであった。

徹の村の小学校の登校距離は約4㌔で、町の中学校は6㌔の道程であったのだ。

朱音は、中学校から500mほどの近隣に在住していた、「徹ちゃん、家で休んで帰ったら」と親切にも徹を誘うのだ。

彼女は、母子家庭であった。

彼女の父親は、競馬にのめり込み、しかも水商売の女と入れ込んだ挙句に、女の夫から刺殺されていた。

朱音は、刺殺された父親の愛人の娘であった静と親友であった。

そして彼女は親友というより、女同士の性の相手だった。

実は、15歳の朱音は同性愛であり、同時に男をも求めてた。

その日、徹は深部を朱音によって手と口でいびられ、初めて異世界を味わう、そして深いまでの罪悪観に陥いるだ。

その朱音が、突然死しなけば、どんな人生になったいたのか?

だが、徹は現実世界に戻され、仰天するのあるが、朱音はあろうと静に包丁で刺殺されたのだ。

 

 

 


創作 愛されたい願望 3)

2024年12月01日 03時17分55秒 | 創作欄

松井徹にとって、小学生時代の思い出の一つは、6年生の時に担任となった草間登紀子先生であった。

村長の娘である草間先生は、教育大学を出て村の母校へ教師として戻ってきたのである。

理科の先生で、実験室では生徒たちに顕微鏡を覗かせながら授業をした。

それは、生徒たちにとって、未知の世界を開眼させる契機となった。

さらに、課外授業として休日の「理科クラブ」を創設していた。

野山の植物や動物、鳥の観察である。

双眼鏡を5個も自腹で購入して、生徒たちに使わせた。

それも、生徒たちにとっては、未知の世界の開眼だった。

夜の校庭の高台では、草間先生が望遠鏡を設置した。

この望遠鏡も先生が自腹で購入してもので、如何にも高級なものとして生徒たちにの目には映じた。

眼で見てきた月や星とは雲泥の差がある天体観測に生徒たちには歓喜するとともに、異次元の世界を強烈までに生徒たちの胸によどめたのである。

徹は、初めて大人の女性を感じさせる草間先生に、可愛いがられる生徒の一人になりたいと密に願望するのだ。


創作 愛されたい願望 2)

2024年11月30日 02時51分41秒 | 創作欄

松井徹は、祖父母を知らなかった。

祖父の幸志郎は太平洋戦争で戦死していた。

神棚には、サイパン島で亡くなった祖父の和服姿で、口髭の遺影が掲げられいた。

祖父は母親の春子に似ていて、神経質な顔立ちだった。

そして、祖母の梅は空襲で亡くなっていた。

地方の町にまで戦禍が及んだのである。

祖母は、徹が住む村ではなく、祖母の実家の町に米を担いで届に行った日に運が悪く焼夷弾で家族ともに戦死していた。その祖母の遺影は何故か洋服姿だった。

父親の真司は養子であったことを、徹は後年知る。

母親は祖母から教えられたというを大正琴を趣味としていて、徹と弟の春樹が通学していた小学校の文化祭で、その大正琴を演奏した。

弟は大正琴に興味を示し、母親から習っていたが、徹は父親の趣味であるハーモニカに興味を示したが、いくら練習しも上手にはならなかったのだ。

母親は家事をしながら歌謡曲を口ずさんでいた。

父親も酒に酔うと昭和の演歌を歌っていた。

小学校は自宅から約4㌔の道程であり、小学生たちは下校時は野山や野畑で遊ぶびながら帰っていた。

弟の春樹は女子たち好かれていたので、共に帰宅していた。

徹は悪ガキ仲間たちと、弟たちをはやし立てていた。

徹は弟のように女のから愛されたかったのに、それが叶わなかった。

知恵遅れで幼馴染の晶子だけが親しい間柄であったが、段々、その晶子を避けるようになってゆく。

晶子は悲しそうにたたずみ、徹を見詰めていた。

 


創作 愛されたい願望 1)

2024年11月29日 06時50分55秒 | 創作欄

松井徹は幼い頃、母親の春子から度々、暴力を受けてきた。

ヒステリックな性格の春子は、心のイライラを息子にぶっていたのである。

だが、何故か弟の春樹にはほとんど、感情を爆発させることはなかった。

徹の血液は母親と同じB型だった。

一方の弟は父親の真司と同じA型であり、温厚で無口な父親に性格が似ていた。

1歳違いの弟が幼稚園に通っていたのに、徹は幼稚園に通っていなかった。

徹は母子家庭の幼馴染の朗と野山を駆けずり回っていた。

知恵遅れで同世代の晶子とは、畦道や堰で遊んでいた。

堰とは、田圃に水を引き入れる水路である。

畦道は蛍が飛ぶ季節となると幻想的となる。

感動する晶子の肩を抱いてみた。

小学となった徹も、母親から暴力を振るわれていた。

堰を石や木材の切れ端で堰き止め魚を獲るなど悪さをして、問題を起こしていた。

人の畑からスイカも盗んで食べていた。

母親は農業や蚕をやっていたが、父親は村の役場に勤める半農家であった。

その父親は役場に勤務していた未亡人と親しくなったことで、家庭は騒動ともなる。

「そんな顔していて、よくも女から惚れらたもんだね」母親にとっては当然の嫌味だった。

実は、相手はあろうことか幼馴染の朗の母親の峰子だったのだ。

 

 

 

 


創作 義理と人情 続編 1

2024年11月14日 14時43分02秒 | 創作欄

徹は、日本の宗教団体に入信したメイユウに餞別として100万円を進呈した。

そして、成田空港へ送って行く電車内の中で、「中国国内では、信仰は難しいかもいれないな」と言ってみた。

メイユウは「センセイ、わたし、ないしょで、信心します。センセイの幸せ祈ってます」と決意を述べた。

ちなみ、香港には組織があったことを、歯科技工士の木村虎雄から聞いていたのだ。

木村は日本国内ではなく、香港で折伏され入信していた。

メイユウが信仰する宗教団体は1980年代、すでに世界宗教になりつあった。

「センセイ一度、中国にきてください。まってます」

「行けたらいいのだけれど・・・」それは徹の本心ではなかった。

「センセイ わたしの写真うけとってください」メイユウは浅草で徹から買ってもらった赤いバッグから写真を取り出した。

それはチャイナドレスでベッドに横たわるメイユウの妖艶な姿だった。

だが、その写真は皮肉にも、妻の愛子に見られてしまう。

「あなた、この写真は何なのよ」愛子が突然大声を上げ、怒りにまかせて写真はその場で引き裂かれる。