ジーコ寅の「鹿島アントラーズよ永遠に」

昨年四月まであった、ジーコ寅の「名曲探偵アントラーズ倶楽部」に続いて開設したブログです。音楽部門は今回はやめました。

武満徹  「エクリプス」 (蝕)~尺八と琵琶のための

2012-05-23 21:36:31 | 日記

 ザックジャパンのアゼルバイジャン戦。そうですね・・・・。日本選手の個々の能力は高い。ただそれがチーム全体になったときのゴールへの

意志といものが見えない。だからいくらボールを支配して攻めているように見えても、チームの戦術として勝っているようには見えない、という

感じでしょうか。

 結局、見所は本田のGKがはじいたFKとか、前半の香川の普通のゴールくらいでしょうか。ワールドクラスのサッカーというのは、たとえ圧倒

的に押されていても、戦術的には一貫性があって見ていると納得できるものなんですね。そこにはチームとしてのサッカー的な知性がある。

もちろん知性の質や色は様々です。でもそこにサッカー的な知性があるかどうかは見ていればわかります。たとえ、技術的に劣る高校レベル

のサッカーだったとしてもです。

 

 ザックジャパンのサッカー的な知性のなさは、個人としては非常に能力がありながら、日本的な同質性を要求される社会に入ると、自分を

殺して周囲に合わせてしまう日本人的世間のありかたと重なって見えます。ヨーロッパにいれば、本田、森本、岡崎、長谷部、長友、

内田などはその能力を発揮しながら、チームの勝利への意志に溶け込むことができる。クラブチームの色に染まりながらも、自分自身

の色を発揮することができるわけです。

 

  しかし、日本代表の一員としてプレーすると、日本チームの勝利への戦術というのは玉虫色になってしまう。日本的なサッカー的

な知性が見えても良さそうなのに、それはヌエのようにとらえどころがない。要するにサッカーをすることで何が言いたいんだか、見

ていてわからないようなサッカーなんですね。見ていてわからないようなものを応援もしようがないでしょう。なでしこのサッカーには

それがはっきりと見えるわけです。

 

 非常に単純な言い方をすれば、なでしこのメンバーは頭が良く、ザックジャパンのメンバーは頭が悪い。日本の男が駄目だとはい

いたくないけど、このサッカーを見る限り、個人としてのスピードやプレーの精度があったとしても、それが集合体になった時に、全体

として、魅力的に輝かない。まさに現在の日本のあり方をサッカーで表現しているようなものなんですね。

 

 結果的には、2-0で勝ちましたが、だからと言って魅力がないことには変わりがないということです。ザックジャパンとアントラーズ

が戦ったら、ザックジャパンが勝たなければいけないはずなんですけど、13位のアントラーズでさえ、これ以上のいいサッカーはで

きるかもしれないと思います。もしかしたら勝つこともあるかもしれない。というのはザックジャパンの今のサッカーは、チームとして

の勝利への意志と、それを可能にする戦術や、試合全体を捉える視点が感じられないからです。

 ヨーロッパに行けば、はるかに水準の高いリーグで十分に通用する選手の集まりが、日本人同士で集まるとどうしてこうなってしま

うのか?何を言いたいんだかわからないようなサッカーをするのか、それが男の方に顕著に現われるのは何故なのかについて、

深く考えたくなる試合でした。

 

 日本の男が「群れる」と少しもカッコよくないのは、サッカー選手でも同じだとすると、残念ですね。世界水準のクラブチームのサッカ

ーを知っていても、日本に戻って群れると突然昔に戻ってしまうようでは、何しにヨーロッパでプレーしてるんだか、ということです。

 

 

  金環日食はすでに終わってしまったが、「蝕」という意味の「エクリプス」という作品は、武満徹の最初の邦楽器を本格的に使った

作品で、1966年に完成している。すでに武満は、テレビ番組や映画音楽などで、日本の古楽器を使った素晴らしい音楽を作って

いたが、この尺八と琵琶を使った作品は、後の傑作、「ノヴェンバー・ステップス」への足がかりとなる作品になった。

 

武満徹はこう言っている。

「伝統的な邦楽は、この地上に存在する、または存在するであろう総ての音楽と等価値であり、それ故に私には重要なのである。

幇楽器を使って音楽を書くことは、ひとつの素晴らしい訓練だ。奏者の吹く行為、弾ずる行為から、私はいつでも音楽に対しての新し

い目覚めを体験する。それは、あるいは、書くという表現行為を超越したものであるかもしれない」

 

才能あるサッカー選手がヨーロッパに行って、何かを吸収して日本に帰ってきたとき、日本独自のサッカーを創造していくことに何ら

かの貢献をすべきだ。金が欲しくて行ったのだろうか?みんなが行くから行ったのだろうか?日本に帰って来て日本人同士でサッカ

ーをした時、新しい日本サッカーを作り上げるような何かを見せてみろよ!と言いたくなるね。

 ドイツ語を覚えれば、ドイツがわかったわけでもない。もともと日本のサッカーのことも考えないで出て行ったのなら、戻ってきても

日本のサッカーのレベルをあげたり、今までとは違った日本のサッカーを見せることは無理だってことを証明したいのかな?

 

 日本に暮らしながら、西洋音楽と邦楽の真剣な戦いを体験しながら、世界で評価される作品を書いた武満と君たちは、どんなに

遠くにいることだろう!

 たぶん、何を言われているのかもわからないでしょう。あれでイメージ通りのプレーですか(香川のこと)。目指しているレベルが低いね!

新しい日本独自のサッカーを創造する意思を見せろよ!

 

千香子   「なんか物足りない試合だったわ。あれが世界のレベルなの?」

岩政    「キリンだから、あんなもんでいんだよ」

千香子  「どうしてキリンなら構わないの?」 

岩政    「動物の名前のは、適当でいいのね」

千香子   「あなたゴリラに似てるって言われない?」

岩政    「いや、一度も」

千香子   「本田選手はオラウータンに似てるわね・・・・・」

岩政    「ああ、長友はニホンザルかな?」

千香子   「ウッチーや、宮市選手は可愛いし、動物っぽくないわね」

岩政    「ああ、ツルツルしている感じだね」

千香子   「どうして伊野波さんが出て、あなたが出ないの」

岩政    「ザックはゴリラタイプが嫌いなんだよ」

千香子   「ザック自身がオラウータンっぽくない?」

岩政    「確かに・・・・・猿の惑星に出できそうな顔だ」

千香子   「一流の選手は類人猿の面影があるのかしら」

岩政    「サッカーは道具は必要ないから・・・・・」

千香子   「あら?今日は鋭いこと言うわね」

 

やや、暴言に近いような言い方になってしまいましたが、私の正直な感想です。

マスコミなどでは全く違った意見が聞けそうですね。

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朝日新聞では、「香川、鮮やか先制弾」という見出しで、「本田復活 欧州組に存在感」と縦に見出しを付け、試合経過と、本田、香川、ザッ

ケローニ監督のコメントを掲載して、取りあえず最後に、「アジアのライバルはもっと自陣に閉じこもってくる。いかにその守備網をこじ開け

るか。より厳しい戦いが待っている」とまとめている。 

別に間違ってはいないけど、何かを言っているわけでもない。だからこういう報道の形式そのものを批評する以外に、内容に関しては批判

も意見も言いようようがない。表記や試合経過の書き方の間違い以外には、批判のしようがないのです。別にそれでも良いんですけ

ど・・・・。今は他にも色んな書き方があって、そのうちの一つだとこっちが思ってれば、何も問題はないというのであれば・・・・


 

 武満徹の音楽でとても好きな作品に、アルト・フルートとギターのための「海へ」という曲があります。小泉浩さんのフルートのCDがとても

いいです。