船着の町で宿に入ったときにはもうとっぷりと日が暮れていた。
継ぎ足し継ぎ足しで建て継がれた古宿の廊下は、歩くたびにミシミシ鳴った。
案内された部屋は廊下同様、白熱灯の届かぬ隅が薄暗く私を不安にさせた。
「襖向こうはお隣になりますんで」
茶を煎れながら女が言う。
見れば部屋の一面が数枚の襖で仕切られている。襖を取り払えば大部屋になる仕組みらしい。
女が退けた後で襖を開くと、暗い空き部屋だった。ここと変わらぬその部屋の向こうにも襖が続いていた。
風呂から戻ると床が敷かれてあり、隣からは人の気配がした。遅くに客が入ったらしい。
何やら囁き合っている様子から夫婦ものと知れた。
襖一枚を隔てて聞き耳を立てていると思われるのが気恥ずかしく、わざと咳払いをしたり硝子窓を開けて煙草を呑んだりした。
窓からは、陰気な瓦屋根と町を覆う黒々とした山しか見えず淋しかった。
早めの床に就いたが、なかなかに寝つけない。耳ばかりが冴えて下駄の音やら犬の鳴き声まで鋭利に響いた。
そのうちに隣室より息を弾ませた呼吸音が聞こえ始めた。
男女の客とはいえ、このような作りの宿でそれはないだろうと嘆息していると、ごとりと音がして息をのんだ。
それなりの重さの物を畳の上に投げ置いたような鈍い音だった。
そしてまたひとしきり息を弾ませ、そしてごとり。
何の音だろう。人の身体の一部を切り刻んで投げ出したような、この音は。
襖の向こうは、睦みごとなのか、それともおぞましい地獄絵図なのか。
私は息を殺し、衣擦れの僅かな音に気を配りつつ畳をじわりじわりと這い進み襖に向かった。
襖の僅かな隙間からひと目だけ。襖の丸い引き手に手をかける。
引き手に全身の力を込めた瞬間、襖向こうから声がした。
「開けたらおしまいだよ」
冷徹な声音にも驚いたが、何より襖一枚隔てた真近から聞こえたことに肝を冷やした。
敢えて襖を開ける勇気などなかった。相手に気取られているのは承知の上で、それでもそろそろ床に戻り、頭から蒲団を被った。
いつまで震え耐え続けただろう。結局そのまま寝入ってしまったらしい。
翌朝、起きた時にはすでに隣は宿を発っていた。
支払いを済ませるときに、
「隣の客は、出かけるときにおふたりでしたか?」
と尋ねたかったが、結局それすらできなかった。
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いやあ、これは怖い。
鶴の恩返しもこんなお話しだったら
怖かっただろうなあ。
旅のエッセイっぽくしておいて
・・・ワッ!
って、感じ。
文章もそれらしくていいですね。
何だかわからないから余計に怖い。
「開けたらおしまい」なんて言われたら、いろいろ想像しちゃう。
意外と柔道の稽古をしてただけ…だったり。
夜中にそれはないか^^;
夜中に夫婦で柔道の稽古。
「オーリャー!一本背負い!」
「まだまだぁ!」
それはそれで不気味っすねぇ。