商業施設「ひろのてらす」が三月初めにオープンしたと言うニュースを聞いて
行ってきました。
広野町の役場の横に位置する「ひろのてらす」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/43/dac9c3446c49ab599a511a770ba51496.jpg)
左手の小山は「みかんの丘」と書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/60/e7d03c611e87514e7a01acffaa930a3a.jpg)
福島県双葉郡広野町は東日本大震災以降、
町民より作業員の方の方が多いそうです。
福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外に位置するこの町は、
2011年3月11日以降は原発事故収束・最前線の町となったのです。
広野町の最北部に位置する「Jヴィレッジ」が
東京電力や自衛隊の前線基地となり、
全国各地から廃炉や除染にあたる作業員が集まってきています。
今は山中、今は浜、今は・・・トンネルの闇を通って広野原
と歌われてきた「汽車」は、
常磐線 開通の際に、いわき市 久ノ浜から広野町の間の景観を
歌われたものだと言われています。
広野駅構内にその歌碑が建立されているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/7a/e3bbd6bd3c1740cd5a09aa0bf5a65a45.jpg)
避難指示が解除されたけれど戻って来たのはまだ約4分の1だそうです。
全町民が安心して戻ってこられる街づくりが進みますようにと願い、
この町を後にしました。
![](http://senior.blogmura.com/senior_over60/img/originalimg/0000912363.jpg)
広野原って、こういうことだったのですか。
五年経ってやっと、ここまで・・・という感じですね。
元通りの町になるまでには、まだまだかかることでしょう。
イ○ンの勢いは、すごいですね!!
復興に、どれだけの年月を要するのか--
未だに、手つかずの場所もあるとか。。。
早く、安心安全な暮らしが
一日でも早く訪れることを切に願うばかりです。
ひろのてらす・・・
感慨深い物がありますね。
関東大震災は忘れられませんし、忘れてはならないことです。
自分の住んでいた町、自分の家に、いまだに戻れない方たちがたくさんいらっしゃいます。行政の立ち遅れが腹立たしいです。
広野駅が子供の頃よく歌っていた汽車の広野原とは知りませんでした。
この年になって知ることが多いです。
原発問題が解決していない中、再稼働がどうして出来るのか不思議・・・日本人って他人事なんでしょうね。復興もなかなか思うように進まず・・・
やはり原発に頼り戻っては行けないな~
このタグ、良いですね!
そういう期待をこめた「ひろのてらす」の出店なのでしょう。
13日にはNHKののど自慢が放送されていました。
昼間の様子は広野駅周辺も普通に生活が営まれている様子を感じましたけど、夜になると仮設に戻る方がいまだに多いのでしょうね。
震災後の工事中で海へ向かう道路はあちこち通行止めとなり、遠くから海を眺めて来ました。
広野町にはこれまで3軒のコンビニしか無かったそうですので、このお店の出店で活気づくといいですね。
5年かかりました。
今回は車でしたが常磐線で行くと♪汽車♪のような情景を通過して行くのだそうです。
最近中高一貫校が設立されたそうですので将来の復興を担う子供たちが戻ってくることを願いました。
何キロにもわたって海の護岸工事していました。
広野町にはJ ビレッジ. スタジアムがありますが現在は東電の復旧拠点の一つになっており、サッカー場は使用できない状態です。
タグ、上品なシニア夫婦って感じでいいでしょ?
こういうふうになりたいな^^