とんとんはうす

デジタルサロン(延べ400人)
住宅・断捨離・整理収納講座
とんとんはうす34周年


 

八木が谷公民館 防災講座資料

2015年03月01日 | 防災・被災地支援
311を忘れない・・・「ゆりあげ」は静かでした(2011.10.17)
  


 「ゆりあげ中学校」正門前に生徒さんの慰霊碑が出来ていました。震災から一年後の事だったそうです。
私が行った当時はまだなくて、寄せ書きが置かれていて、胸が詰まりました。



   ****** 「ゆりあげ」は静かでした(2011.10.17 記) ******


 「閖上小学校」から数キロ海に近い「閖上中学校」の校舎の時計が、被災時間で止まっていました。
正門の前に慰霊の「寄せ書き」があり、14名の亡くなられた生徒さんに「いつも一緒だよ」と書かれていました。
涙が溢れてきました。正門の「希望の松」が凛としてて、又、生徒さんを力付けるかのようにコスモスが咲いていました。

      



  宮城県仙台市の若林区と、名取市の「ゆりあげ」地区は川を挟んで隣接しています。
  10月17日早朝、「ゆりあげ」は静かで波の音だけが聞こえました。
朝6時、一艘の漁船が、貝の水揚げをしていました。「操業しているのは、うちだけなんです」と、奥様が教えてくれました。
地元の漁船は全て使えなくなり、今、見えている稼働船や、警戒船は、他地区から送って戴いた船なのだそうです。

                  

  「ゆりあげ」に入ってすぐ、たぶん海から4キロ位の国道の脇まで、漁船が流されていました。
私の知っている「ゆりあげ」の過去の姿が全く分からなくなって、数人の地元の方にお聞きしてしまいました。
「水門」と「貞山堀」の跡が見えて、何となく位置関係がわかりました。
名取川も、海も、立入禁止で、釣り人の方を除いては、見る事すらできませんでした。
車で橋の上を走る僅かの間だけ、名取川と太平洋が見えました。

           

  朝7時、海から2・4キロの「閖上小学校」に行きました。
閖上小学校の廊下には卒業式を真近に控え「卒業おめでとう」の飾り付けが・・・体育館の時計と同じく時間が止まっていました。
体育館には、思い出の品々が展示されており、家族写真を探している方とお話ができました。
学校のすぐそばにお住まいの方で、津波は胸の高さまで、来たそうです。
アルバムや、写真を洗って綺麗にしてファイリングして下さるボランティアの方々がいて、
毎日、ご自分の家族の写真を探しに来ているんだけど、見つからないのだそうです。

               

コメント    この記事についてブログを書く
« 沖縄でガラス吹き体験~気泡... | トップ | 3月2日 このグラスで泡盛... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。