9月22日(木)午後6時から、富田ふれあい文化センターで富田赤大路地域人権教育素新委員会の主催の研修会をおこないました。 今回の研修内容は保育を焦点にし、 講師に鳴門教育大学大学院の木下光二氏をお招きして、 『学びの中から生まれる教育力』というテーマで、講演をしていただきました。 開始の午後6時前から校区の幼稚園と保育所、小学校、中学校、富赤の委員、そして近隣の幼稚園や保育所の先生方が集まり、総勢140人以上の参加者で会場は埋めつくされました。 木下先生は小学校の教頭から幼稚園へ異動された異色の経験をもつ人物で、その経緯と初めて就学前教育に飛び込んだ彼の驚きの貴重な体験談を話されました。 そして、就学前教育の重要性と子どもたちの持っている力、それを引き出すことの大切さを痛感した内容をプレゼンで丁寧にお話をしていただきました。 また、「遊びの中にこそ学びがある」という就学前教育を目の当たりにした彼は、さまざまな学びを得ることができたということでした。 就学前教育において、子どもたちの遊びを教師がいかにサポートするのか、そしてさらに幅広い遊びの発展につなげることが重要であるとも提言してくれました。 そういう意味でも、教師が子どもたちの遊びから学べる環境プログラムをいかにつくっていくのかがポイントであり、それを実践できる教師の力量が必要であることはいうもでもないと指摘されました。 この第四中学校区は、以前から学校・薗・地域・家庭が連携を密にして、保育、教育、子育ての課題解決のために、さまざまな取組を実践してきました。特に就学前において、「遊びこめる力」「遊ぶことから学ぶ」といったテーマをかかげ、実践を積み上げてきました。 そのような中、地域においては「子育てに強い第四中学校区」と子育て運動を展開してきました。 木下先生の話を聞き、わが校区の取組に間違いがないという思いをあらためて感じることができました。 しかし、子どもたちの課題は少なくない中で、わたしたちはさらに連携を密にして、「0歳から18才のつながった教育」の確立をめざす必要があると考えます。 今回、就学前教育に焦点をあてた研修会をおこないましたが、今後、就学前から就学をつなげる取組などを企画するなど、富田赤大路地域人権教育推進委員会が担えることの大切さも感じました。 取組の中から、人と人がつながる、学ぶことからつながるということを中心に取組を展開していきたいと考えます。 木下先生の講演の中で、小学校や中学校では子どもたちが授業中遊んでいたら注意をするのに、幼稚園ではその遊ぶことから学べる!その違いに戸惑い、木下先生も多くの学びがあったというお話がすごく印象的でした。 本当にいい話を聞けて、よかったと思いました。 木下先生に感謝の気持ちは勿論、今回の研修会に参加してくれた多くの方々、研修会を支えていただいた方々に感謝したします! ありがとうございました!!
9月14日残暑厳しいなかではありましたが、三校合同の人権バスツアーが行われました。
今回の研修場所は、京都のオムロン「京都太陽の家」。
オムロンといえば、体温計や低周波治療器で名前をご存知の方、多いのではないでしょうか?
さて、ここ京都太陽の家では、古くから障がい者雇用を行い、個人個人の持っている能力を最大限に出せるよう設備投資をして、画期的な取り組みをしています。
それぞれの障がいをもつ職員が、それぞれの環境の中でそれぞれの業務をこなしているのが印象的でした。
また、施設全体で『障がい者に優しい環境づくり』ができていました。
それは、当然、『健常者にも優しい』ということです。
その後、城南宮の庭園などを見学し、伏見の町屋と酒蔵見学をしました、少し遅めの昼食をとりました。
酒造のまちということで、お水が新鮮で豆腐なども本当においしかったです。
もちろん、試飲もしました!
大変楽しく、また有意義な一日でした。
第一回 9月7日 (水) 参加者 47名
講師 高槻市人権まちづくり協会 啓発指導員 本田 大美子さん
素顔の心で ~えびす食堂 幸せばなし~
大阪府府民文化部人権室作成の啓発冊子「私たちみんなの力で」を使って
戸籍謄(抄)本・住民票等があなたの知らないところで第三者に交付されて
いた話など身近なことから人権をみんなで考えました。
後半はDVD「えびす食堂 幸せばなし」を鑑賞し誰もが安心して暮らせる
町について学びました。
人とひとがつながる事の大切さを再確認しました。
第二回 9月12日 (月) 参加者 42名
講師 高槻市保険所 保険予防課 保健師 増田さん 松本さん
難病(特定疾患)についてご存知ですか
原因不明治療法が未確立の難病の話を症例をあげて説明されていました
たくさんの特定疾患の方が地域で生活していること、外見ではわからない
病気もあることがわかりました。
おわりにみなさんと一緒に、保健師も住みやすい地域を作りたいと思って
いますといゆう言葉で終わりました。