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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

前1-42. この世とあの世

2016-12-24 07:01:49 | 原理講論 前編1 創造原理

42. この世とあの世

第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界

(一) 無形実体世界と有形実体世界

被造世界は、神の二性性相に似た人間を標本として創造されたので

あらゆる存在は、心と体からなる人間の基本形に似ないものは一つもない
(本章第一節(二)参照)

したがって、被造世界には、人間の体のような有形実体世界ばかりでなく

その主体たる人間の心のような無形実体世界もまたあるのである

これを無形実体世界というのは、我々の生理的な五官では、それを感覚することができず、霊的五官だけでしか感覚することができないからである

霊的体験によれば、この無形世界は、霊的な五官により、有形世界と全く同じく感覚できる実在世界なので

この有形、無形の二つの実体世界を総合したものを、我々は天宙と呼ぶ

心との関係がなくては、体の行動があり得ないように

神との関係がなくては創造本然の人間の行動もあり得ない

したがって、無形世界との関係がなくては、有形世界が創造本然の価値を表すことはできないのである

ゆえに、心を知らずには、その人格が分からないように

神を知らなくては、人生の根本意義を知ることはできない

また、無形世界がいかなるものであるかを知らなくては、有形世界がいかなるものであるかを完全に知ることはできないのである

それゆえに、無形世界は主体の世界であり、有形世界は対象の世界であって

後者は前者の影のようなものである
(ヘブル八・5)

有形世界で生活した人間が肉身を脱げば

その霊人体は直ちに、無形世界に行って永住するようになる

原理講論 前編1創造原理-42





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前1-41. 万物世界に対する直接主管

2016-12-24 00:56:16 | 原理講論 前編1 創造原理

41. 万物世界に対する直接主管

つぎに我々は、万物世界に対する人間の直接主管とはいかなるものであるかを調べてみることにしよう

神を中心として完成した人間が、万物世界を対象に立てて合性一体化することによって、四位基台をつくり

神の心情を中心として一体となった人間の意のままに、人間と万物世界とが、愛と美を完全に授受して

善の目的を成し遂げることを万物に対する人間の直接主管というのである

原理講論 前編1創造原理-41





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前1-40. 直接主管圏

2016-12-23 17:55:12 | 原理講論 前編1 創造原理

40. 直接主管圏

③ 直接主管圏

直接主管圏とは何であり、またこれを創造された目的は、どこにあるのだろうか

神を中心として、ある主体と対象とが合性一体化して四位基台をつくり

神と心情において一体となり、主体の意のままに愛と美を完全に授受して、善の目的を完成することを直接主管という

したがって、直接主管圏とは直に完成圏を意味する

このように、直接主管は、あくまでも創造目的を成就するためであるので、これがなくてはならないのである

では、人間に対する神の直接主管とは、具体的にどのようなことをいうのだろうか

神を中心として、アダムとエバが完成して合性一体化し、家庭的な四位基台を造成することによって

神と心情において一体となり、神を中心としたアダムの意のままに、お互いに愛と美を完全に授受する善の生活をするようになるとき、これを神の直接主管という

このような人間は、神の心情を体恤し、神のみ旨が完全に分かって、実践するようになるので

あたかも、頭脳が、命令ならざる命令で四肢五体を動かすように

人間も、神の、命令ならざる命令により、神のみ旨のとおりに動いて、創造目的を成し遂げていくようになるのである

原理講論 前編1創造原理-40





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前1-39. あくまでも 人間自身の責任

2016-12-23 07:53:58 | 原理講論 前編1 創造原理

39. あくまでも 人間自身の責任

このように、人間が、自身の責任分担を完遂し、神の創造性を受け継ぐことによって

天使をはじめ、万物に対する主管性をもつようになったとき、初めて完成するようになさるために、神は間接主管圏をおいて、人間を創造されたのである

それゆえに、堕落して、このような主管性をもつことができなくなった人間たちにおいても

復帰原理によって、人間の責任分担を完遂して、サタンをはじめ、万物に対する主管性を復帰するための、間接主管圏をすべて通過しなくては、創造目的を完成することができないのである

神の救いの摂理が非常に長い期間を通じて延長してきたのは、復帰摂理を担当した中心人物たちが

神も干渉できないそれ自身の責任分担を遂行するに当たって、常に失敗を繰り返してきたからである

キリストの十字架による救いの恩賜がいくら大きくても

人間自身がその責任分担である信仰を立てなければ、彼らを探し求めてきた救いの摂理は無為に帰せざるを得なくなる

したがって、イエスの十字架による復活の恵沢を与えてくださったのは、神の責任分担であって

それを信じるか、それとも信じないかは、あくまでも、人間自身の責任分担なのである
(ヨハネ三・16、エペソ二・8、ロマ五・1)

原理講論 前編1創造原理-39





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前1-38. 間接主管圏

2016-12-23 00:52:44 | 原理講論 前編1 創造原理

38. 間接主管圏

② 間接主管圏

被造物が成長期にある場合には、原理自体の主管性、または自律性によって成長するようになっている

したがって、神は原理の主管者としていまし給い、被造物が原理によって成長する結果だけを見るという、間接的な主管をされるので

この期間を神の間接主管圏、または原理結果主管圏と称するのである

万物は原理自体の主管性、または自律性により、成長期間(間接主管圏)を経過することによって完成する

けれども、人間は原理自体の主管性や自律性だけでなく、それ自身の責任分担を全うしながら、この期間を経過して完成するように創造された

すなわち、「それを取って食べると、きっと死ぬであろう」
(創二・17)

と言われた神のみ言を見れば

人間始祖が神のこのみ言を信じて、取って食べずに完成するか

あるいはそのみ言を信ぜずに、取って食べて堕落するかは

神の側に責任があるのではなく、人間自身の責任にかかっていたのである

したがって、人間が完成するか否かは、神の創造の能力にだけかかっていたのではなく

人間自身の責任遂行いかんによっても決定されるようになっていたのである

それゆえに、人間は神の創造主としての責任分担に対して、人間自身の責任分担を全うしながら

この成長期間(間接主管圏)をみな経過して、完成するように創造されていたのである

したがって、その責任分担については神が干渉してはならないのである

このように、人間がそれ自身の責任分担を完遂して初めて完成されるように創造されたのは

人間が神も干渉できない責任分担を完遂することによって

神の創造性までも似るようにし

また、神の創造の偉業に加担させることによって、ちょうど創造主である神が人間を主管なさるそのごとくに

人間も創造主の立場で万物を主管することができる主人の権限をもつようにするためであった
(創一・28)

人間が万物と違う点は、正にここにあるのである

原理講論 前編1創造原理-38





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