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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

ルカ9 モーセとエリヤが イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していた

2016-07-16 03:43:09 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書9章

それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。

また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして 言われた、

「旅のために何も携えるな。つえも袋もパンも銭も持たず、また下着も二枚は持つな。

また、どこかの家にはいったら、そこに留まっておれ。

そしてそこから出かけることにしなさい。

だれもあなたがたを迎えるものがいなかったら、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足からちりを払い落しなさい」

弟子たちは出て行って、村々を巡り歩き、いたる所で福音を宣べ伝え、また病気をいやした。

さて、領主ヘロデはいろいろな出来事を耳にして、あわて惑っていた。

それは、ある人たちは、ヨハネが死人の中からよみがえったと言い、 またある人たちは、エリヤが現れたと言い、またほかの人たちは、昔の預言者のひとりが復活したのだと言っていたからである。

そこでヘロデが言った、

「ヨハネはわたしがすでに首を切ったのだが、こうしてうわさされているこの人は、いったい、だれなのだろう」

そしてイエスに会ってみようと思っていた。 使徒たちは帰ってきて、自分たちのしたことをすべてイエスに話した。

それからイエスは彼らを連れて、ベツサイダという町へひそかに退かれた。

ところが群衆がそれと知って、ついてきたので、これを迎えて神の国のことを語り聞かせ、また治療を要する人たちをいやされた。

それから日が傾きかけたので、十二弟子がイエスのもとにきて言った、

「群衆を解散して、まわりの村々やへ行って宿を取り、食物を手にいれるようにさせてください。

わたしたちはこんな寂しい所にきているのですから」

しかしイエスは言われた、

「あなたがたの手で食物をやりなさい」

彼らは言った、

「わたしたちにはパン五つと魚二ひきしかありません、この大ぜいの人のために食物を買いに行くかしなければ」

というのは、男が五千人ばかりもいたからである。しかしイエスは弟子たちに言われた、

「人々をおおよそ五十人ずつの組にして、すわらせなさい」

彼らはそのとおりにして、みんなをすわらせた。

イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群衆に配らせた。

みんなの者は食べて満腹した。

そして、その余りくずを集めたら、十二かごあった。

イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちが近くにいたので、彼らに尋ねて言われた、

「群衆はわたしをだれと言っているか」

彼らは答えて言った、

「バプテスマのヨハネだと、言っています。

しかしほかの人たちは、エリヤだと言い、また昔の預言者のひとりが復活したのだと、言っている者もあります」

彼らに言われた、

「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」

ペテロが答えて言った、

「神のキリストです」

イエスは彼らを戒め、この事をだれにも言うなと命じ、そして言われた、

「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目によみがえる」

それから、みんなの者に言われた、

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。

人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。

わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来るとき、その者を恥じるであろう。

よく聞いておくがよい、神の国を見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」

これらのことを話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。

祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた。

すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。

それはモーセとエリヤであったが、 栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。

ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、目をさますと、イエスの栄光の姿と、共に立っているふたりの人とを見た。

このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、イエスに言った、

「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。

それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。

一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」

彼がこう言っている間に、雲がわき起って彼らをおおいはじめた。

そしてその雲に囲まれたとき、彼らは恐れた。 すると雲の中から声があった、

「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」

そして声が止んだとき、イエスがひとりだけになっておられた。

弟子たちは沈黙を守って、自分たちが見たことについては、そのころだれにも話さなかった。

翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。

すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、

「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやってください。

この子はわたしのひとりむすこですが、 霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。

それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。

それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」

イエスは答えて言われた、

「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。

いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢ができようか。

あなたの子をここに連れてきなさい」

ところが、その子がイエスのところに来る時にも、悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。

イエスはこの汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、父親にお渡しになった。

人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。みんなの者がイエスのしておられた数々の事を不思議に思っていると、弟子たちに言われた、

「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている」

しかし、彼らはなんのことかわからなかった。

それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。

また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。

弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった。

イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、

「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。

あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」

するとヨハネが答えて言った、

「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」

イエスは彼に言われた、

「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」

さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、 自分に先立って使者たちをおつかわしになった。

そして彼らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようとしたところ、 村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった。

弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、

「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」

イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。

そして一同はほかの村へ行った。 道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、

「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」

イエスはその人に言われた、

「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」

またほかの人に、

「わたしに従ってきなさい」

と言われた。するとその人が言った、

「まず、父を葬りに行かせてください」

彼に言われた、

「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」

またほかの人が言った、

「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」

イエスは言われた、

「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」

ルカによる福音書‬ ‭9:1-62

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう982
42-9

ルカ8 良い地に落ちた種

2016-07-15 20:58:03 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書8章

そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。

また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、

ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。

さて、大ぜいの群衆が集まり、その上、町々からの人たちがイエスのところに、ぞくぞくと押し寄せてきたので、一つの譬で話をされた、

「種まきが種をまきに出て行った。

まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。

ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。

ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。

ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」

こう語られたのち、声をあげて

「聞く耳のある者は聞くがよい」

と言われた。 弟子たちは、この譬はどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。 そこで言われた、

「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。

この譬はこういう意味である。

種は神の言である。

道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。

岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。

いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。

良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。

だれもあかりをともして、それを何かの器でおおいかぶせたり、寝台の下に置いたりはしない。

燭台の上に置いて、はいって来る人たちに光が見えるようにするのである。

隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。

だから、どう聞くかに注意するがよい。

持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」

さて、イエスの母と兄弟たちとがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった。

それで、だれかが

「あなたの母上と兄弟がたが、お目にかかろうと思って、外に立っておられます」

と取次いだ。 するとイエスは人々にむかって言われた、

「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」

ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、

「湖の向こう岸へ渡ろう」

と言われたので、一同が船出した。 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。

すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、

「先生、先生、わたしたちは死にそうです」

と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。 イエスは彼らに言われた、

「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」

彼らは恐れ驚いて互に言い合った、

「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」

それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地に渡った。

陸にあがられると、その町の人で、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた。

この人がイエスを見て叫び出し、みまえにひれ伏して大声で言った、

「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。お願いです、わたしを苦しめないでください」

それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。

というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。 イエスは彼に

「なんという名前か」

とお尋ねになると、

「レギオンと言います」

と答えた。彼の中にたくさんの悪霊がはいり込んでいたからである。

悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。

ところが、そこの山べにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。

イエスはそれをお許しになった。 そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。

するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。

飼う者たちは、この出来事を見て逃げ出して、町や村里にふれまわった。

人々はこの出来事を見に出てきた。そして、イエスのところにきて、悪霊を追い出してもらった人が着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、恐れた。

それを見た人たちは、この悪霊につかれていた者が救われた次第を、彼らに語り聞かせた。

それから、ゲラサの地方の民衆はこぞって、自分たちの所から立ち去ってくださるようにとイエスに頼んだ。

彼らが非常な恐怖に襲われていたからである。

そこで、イエスは舟に乗って帰りかけられた。 悪霊を追い出してもらった人は、お供をしたいと、しきりに願ったが、イエスはこう言って彼をお帰しになった。

「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」

そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。

イエスが帰ってこられると、群衆は喜び迎えた。みんながイエスを待ちうけていたのである。

するとそこに、ヤイロという名の人がきた。

この人は会堂司であった。

イエスの足もとにひれ伏して、自分の家においでくださるようにと、しきりに願った。

彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。

ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。

ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。

この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。 イエスは言われた、

「わたしにさわったのは、だれか」

人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが

「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」

と答えた。 しかしイエスは言われた、

「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」

女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。

そこでイエスが女に言われた、

「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」

イエスがまだ話しておられるうちに、会堂司の家から人がきて、

「お嬢さんはなくなられました。この上、先生を煩わすには及びません」

と言った。 しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、

「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」

それから家にはいられるとき、ペテロ、ヨハネ、ヤコブおよびその子の父母のほかは、だれも一緒にはいって来ることをお許しにならなかった。

人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、

「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」

人々は娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。

イエスは娘の手を取って、呼びかけて言われた、

「娘よ、起きなさい」

するとその霊がもどってきて、娘は即座に立ち上がった。

イエスは何か食べ物を与えるように、さしずをされた。

両親は驚いてしまった。

イエスはこの出来事をだれにも話さないようにと、彼らに命じられた

ルカによる福音書‬ ‭8:1-56

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう981
42-8

ルカ7 『きたるべきかた』はあなたなのですか それとも ほかにだれかを待つべきでしょうか

2016-07-15 00:23:51 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書7章

イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。

ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。

この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。

彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、

「あの人はそうしていただくねうちがございます。

わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」

そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。

ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、

「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。

それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。

そして、わたしの僕をなおしてください。

わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に

『行け』と言えば行き、ほかの者に

『こい』と言えばきますし、また、僕に

『これをせよ』と言えば、してくれるのです」

イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、

「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」

使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。

そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。

町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。

大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。

主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、

「泣かないでいなさい」と言われた。

そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、

「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。

すると、死人が起き上がって物を言い出した。

イエスは彼をその母にお渡しになった。 人々はみな恐れをいだき、

「大預言者がわたしたちの間に現れた」

また、

「神はその民を顧みてくださった」

と言って、神をほめたたえた。

イエスについてのこの話は、ユダヤ全土およびその附近のいたる所にひろまった。

ヨハネの弟子たちは、これらのことを全部彼に報告した。

するとヨハネは弟子の中からふたりの者を呼んで、 主のもとに送り、

「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」

と尋ねさせた。 そこで、この人たちがイエスのもとにきて言った、

「わたしたちはバプテスマのヨハネからの使ですが、

『きたるべきかた』

はあなたなのですか、それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか、とヨハネが尋ねています」

そのとき、イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが、 答えて言われた、

「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。

盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。

わたしにつまずかない者は、さいわいである」

ヨハネの使が行ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、

「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。

では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。

きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら、宮殿にいる。 では、何を見に出てきたのか。

預言者か。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。

『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』

と書いてあるのは、この人のことである。

あなたがたに言っておく。

女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

(これを聞いた民衆は皆、また取税人たちも、ヨハネのバプテスマを受けて神の正しいことを認めた。

しかし、パリサイ人と律法学者たちとは彼からバプテスマを受けないで、自分たちに対する神のみこころを無にした。)

だから今の時代の人々を何に比べようか。彼らは何に似ているか。

それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、

『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった』

と言うのに似ている。 なぜなら、バプテスマのヨハネがきて、パンを食べることも、ぶどう酒を飲むこともしないと、あなたがたは、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、

また人の子がきて食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。

しかし、知恵の正しいことは、そのすべての子が証明する」

あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。

するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、

泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、

「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」

そこでイエスは彼にむかって言われた、

「シモン、あなたに言うことがある」

彼は

「先生、おっしゃってください」

と言った。 イエスが言われた、

「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。

ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。

このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」

シモンが答えて言った、

「多くゆるしてもらったほうだと思います」

イエスが言われた、

「あなたの判断は正しい」

それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、

「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。

ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。

あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。

あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。

それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。

少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」

そして女に、

「あなたの罪はゆるされた」

と言われた。 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、

「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」

しかし、イエスは女にむかって言われた、

「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」

ルカによる福音書‬ ‭7:1-50

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう980
42-7

ルカ6 悪い実のなる良い木はないし また良い実のなる悪い木もない 木はそれぞれ その実でわかる

2016-07-14 17:21:39 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書6章

ある安息日にイエスが麦畑の中をとおって行かれたとき、弟子たちが穂をつみ、手でもみながら食べていた。

すると、あるパリサイ人たちが言った、

「あなたがたはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのか」

そこでイエスが答えて言われた、

「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えていたとき、ダビデのしたことについて、読んだことがないのか。

すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほかだれも食べてはならぬ供えのパンを取って食べ、また供の者たちにも与えたではないか」

また彼らに言われた、

「人の子は安息日の主である」

また、ほかの安息日に会堂にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。

律法学者やパリサイ人たちは、イエスを訴える口実を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた。

イエスは彼らの思っていることを知って、その手のなえた人に、

「起きて、まん中に立ちなさい」

と言われると、起き上がって立った。 そこでイエスは彼らにむかって言われた、

「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」

そして彼ら一同を見まわして、その人に

「手を伸ばしなさい」

と言われた。そのとおりにすると、その手は元どおりになった。

そこで彼らは激しく怒って、イエスをどうかしてやろうと、互に話合いをはじめた。

このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。

夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。

すなわち、

ペテロ とも呼ばれたシモン

とその兄弟 アンデレ

ヤコブ

と ヨハネ、

ピリポ

と バルトロマイ、

マタイ

と トマス、

アルパヨの子 ヤコブ

と、熱心党と呼ばれた シモン、

ヤコブの子 ユダ、

それからイスカリオテのユダ。

このユダが裏切者となったのである。

そして、イエスは彼らと一緒に山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などからの大群衆が、 教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。

そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。

また群衆はイエスにさわろうと努めた。

それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。

そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、

「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。

神の国はあなたがたのものである。

あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。

飽き足りるようになるからである。

あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。

笑うようになるからである。

人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。

その日には喜びおどれ。

見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。

彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。

慰めを受けてしまっているからである。

あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。

飢えるようになるからである。

あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。

悲しみ泣くようになるからである。

人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。

彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。

しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。

あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。

人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。

自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。

罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。

自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。

また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。

罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。

しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。

そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。

いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。

あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

人をさばくな。

そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。

また人を罪に定めるな。

そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。

ゆるしてやれ。

そうすれば、自分もゆるされるであろう。

与えよ。

そうすれば、自分にも与えられるであろう。

人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。

あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」

イエスはまた一つの譬を語られた、

「盲人は盲人の手引ができようか。

ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。

弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。

悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。

木はそれぞれ、その実でわかる。

いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。

善人は良い心の倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。

心からあふれ出ることを、口が語るものである。

わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。

それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。

洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。

よく建ててあるからである。

しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。

激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」

ルカによる福音書‬ ‭6:1-49

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42-6

ルカ5 イエスがシモンに言われた「恐れることはない今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」

2016-07-14 17:10:12 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書5章

さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、 そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。

漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。

その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。

話がすむと、シモンに

「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」

と言われた。 シモンは答えて言った、

「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」

そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。

そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。

これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、

「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」

彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。

シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。

すると、イエスがシモンに言われた、

「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」

そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。

イエスがある町におられた時、全身らい病になっている人がそこにいた。

イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、

「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」

イエスは手を伸ばして彼にさわり、

「そうしてあげよう、きよくなれ」

と言われた。すると、らい病がただちに去ってしまった。

イエスは、だれにも話さないようにと彼に言い聞かせ、

「ただ行って自分のからだを祭司に見せ、それからあなたのきよめのため、モーセが命じたとおりのささげ物をして、人々に証明しなさい」

とお命じになった。 しかし、イエスの評判はますますひろまって行き、おびただしい群衆が、教を聞いたり、病気をなおしてもらったりするために、集まってきた。

しかしイエスは、寂しい所に退いて祈っておられた。

ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。

主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。 その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。

ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。 イエスは彼らの信仰を見て、

「人よ、あなたの罪はゆるされた」

と言われた。 すると律法学者とパリサイ人たちとは、

「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」

と言って論じはじめた。 イエスは彼らの論議を見ぬいて、

「あなたがたは心の中で何を論じているのか。

あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。

しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」

と彼らに対して言い、中風の者にむかって、

「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」

と言われた。 すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。 みんなの者は驚嘆してしまった。

そして神をあがめ、おそれに満たされて、

「きょうは驚くべきことを見た」

と言った。 そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、

「わたしに従ってきなさい」

と言われた。 すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。

それから、レビは自分の家で、イエスのために盛大な宴会を催したが、取税人やそのほか大ぜいの人々が、共に食卓に着いていた。

ところが、パリサイ人やその律法学者たちが、イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った、

「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか」

イエスは答えて言われた、

「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。

わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」

また彼らはイエスに言った、

「ヨハネの弟子たちは、しばしば断食をし、また祈をしており、パリサイ人の弟子たちもそうしているのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」

するとイエスは言われた、

「あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか。

しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう」

それからイエスはまた一つの譬を語られた、

「だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない。

もしそんなことをしたら、新しい着物を裂くことになるし、新しいのから取った布ぎれも古いのに合わないであろう。

まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。

もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。

新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。 まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。

『古いのが良い』

と考えているからである」

ルカによる福音書‬ ‭5:1-39

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