
昨日は mixi のコミュニティ「美術館・博物館 展示情報」のトピック「【東京】イースター島のモアイ像(本物)」に丸ビルで展示中のモアイのことをいろいろ書いたところ、ここのアクセスがいつになく増えていて、びっくり。mixi の影響力の大きさを改めて知ることになりました。個人的には、「本物が来る!」というポスターを見て、かつてイースター島(ラパ・ヌイ)で出会った懐かしいモアイと再会できるかと丸ビルまで出かけたのに、やって来たモアイが「本物」ではなく「レプリカ」だったことを知り「がっかり」したことを書いたつもりです。
ところが「現島民によって作られ、マナ(霊力)を入れる儀式を受けているので本物」「モアイは芸術品とは違うので、本物かレプリカかを区別することはナンセンス」「そもそもモアイは信仰の対象なのだから、仏像などと同様にレプリカなどない」「チリ大統領来賓の上での『日本チリ修好通商条約110周年記念事業』だから...」というような理由で「レプリカ」を「本物」だと言い張る人たちが複数存在しました。彼らは、自己の「本物のモアイを見た」体験が、実は「レプリカのモアイを見た」という現実だったことを受容できず、モアイ自体を正当化しているのかもしれません (欲求が実現せず欲求不満に陥った際、「攻撃」「迂回」「代償」「退行」「逃避」「固執」などの反応が現れるというのを思い出しました。トピック内の発言を心理学的に分析するとなかなか面白いです。彼らがポスターで「本物」と告知した主催者側の「諜(まわしもの)」という可能性もありますが...)。 改めてイースター島(ラパ・ヌイ)の地理的な遠さを感じ、島とモアイについての誤解が甚だしいことを認識しました。
主催者側は「このモアイ像は、イースター島の島民によって作られ、マナ(霊力)を入れる儀式を受けた本物の石像です」と、1992年に完成したという「作成時期」をできるだけ伏せ、モアイの「作成者」が現島民で、作成後に宗教的な通過儀礼を行うことで魂を籠め、さらには大統領来日のうえ「権威付け」したことを「本物」の根拠にしています。つまり「作成時期」はともあれ、現地の材料を使って「島民」が昔同様の作り方で仕上げて宗教的にも世俗的にも「権威付け」したのだから「本物」と言ってもよい。と言いたいのです。
このような論拠が非常に怪しいことは誰しも気づきます。
例えば宮城県本吉郡南三陸町松原公園内にあるモアイは、「1989年に本物のモアイと同じ種類の石から、現地の石工が製作した」と説明されています。南三陸町はイースター島同様にチリ地震の津波で大きな被害を受けるも復興したことで、駐日チリ共和国大使が来町のうえ「友好のメッセージ」としてレプリカのモアイを贈ったそうです。丸ビルに来ているモアイとも「作成時期」が近く、モアイの「作成者」が現地民で、作成後に「チリ大使」が権威付けしていますが、このモアイは「レプリカ」として位置づけられています。
このモアイが「本物」足り得ないのは宗教的な「権威付け」がないということでしょうか。それとも造形的に「本物」を再現できていないからでしょうか。
また宮崎県日南市の「サンメッセ日南」には「世界唯一完全復刻モアイ像」と謳われたモアイがあります。チリ地震の津波で損害を受けた「アフ・トンガリキ」の15体のモアイの復元にクレーンメーカーの㈱タダノが協力したことで、島の長老会からモアイ「復刻(レプリカ)」建立の特別許可を得て、1996年にこの許可のもと一燈園という奉仕団体が「アフ・アキビ」のモアイを完全復刻したものだそうです。丸ビルに来ているモアイより「作成時期」が後で、材料は日本産、作成も日本人ですが、オープン式典にはチリからの来賓出席もあり世俗的な「権威付け」はできています。
主催者の論拠と日本の二箇所にある「レプリカ」のモアイを比較すると、「レプリカ」のモアイが「本物」のモアイ足り得るには「宗教的な権威付け」が必要ということになります。しかしモアイが宗教に関わったモニュメントであったのかどうかは、未だ学術的に結論がついていません。さらにはオリジナルのモアイが作られた時代の島民が南アメリカ大陸に連れ去られたことで、オリジナルの文化や宗教・儀礼、それらを後世に伝える文字や記録、伝承の類いが葬り去られ、当時の宗教文化を知るすべがないのです。連れ去られた島民の子孫とは呼べない現島民の殆ど全ては既にキリスト教徒であり、新しく作られたモアイに「マナ(霊力)を入れる」べく行われた「儀式」の正当性についても甚だ怪しいと見做されます。
こう見てくると、丸ビルに来たモアイが日本に既にある「レプリカ」と違うように見えるのは、実はよく見えない「宗教的な権威付け」の有無などではなく、新しく作られたモアイがオリジナルのモアイに如何に忠実に似せて作られているか、その完成度によるところが大きいのではないか。と感じられます。丸ビルのモアイの背中の文様は、1868年(なんと明治維新と同年)にイギリスに奪われロンドンの人類博物館に収蔵されているオリジナルのモアイからコピーされたものでした。140年近く前に島から姿を消したモアイを記憶している島民が存在するわけもなく、大多数の島民はこのモアイを見たこともなく、文様が何を意味しているのかも知らないのが現実でしょう。恐らくロンドンのモアイの写真を見せられて、それに似せてモアイを作ったのです。これを「レプリカ」と呼ばずして何と呼ぶのでしょう?
つづく(次回は、番外編)
ところが「現島民によって作られ、マナ(霊力)を入れる儀式を受けているので本物」「モアイは芸術品とは違うので、本物かレプリカかを区別することはナンセンス」「そもそもモアイは信仰の対象なのだから、仏像などと同様にレプリカなどない」「チリ大統領来賓の上での『日本チリ修好通商条約110周年記念事業』だから...」というような理由で「レプリカ」を「本物」だと言い張る人たちが複数存在しました。彼らは、自己の「本物のモアイを見た」体験が、実は「レプリカのモアイを見た」という現実だったことを受容できず、モアイ自体を正当化しているのかもしれません (欲求が実現せず欲求不満に陥った際、「攻撃」「迂回」「代償」「退行」「逃避」「固執」などの反応が現れるというのを思い出しました。トピック内の発言を心理学的に分析するとなかなか面白いです。彼らがポスターで「本物」と告知した主催者側の「諜(まわしもの)」という可能性もありますが...)。 改めてイースター島(ラパ・ヌイ)の地理的な遠さを感じ、島とモアイについての誤解が甚だしいことを認識しました。
主催者側は「このモアイ像は、イースター島の島民によって作られ、マナ(霊力)を入れる儀式を受けた本物の石像です」と、1992年に完成したという「作成時期」をできるだけ伏せ、モアイの「作成者」が現島民で、作成後に宗教的な通過儀礼を行うことで魂を籠め、さらには大統領来日のうえ「権威付け」したことを「本物」の根拠にしています。つまり「作成時期」はともあれ、現地の材料を使って「島民」が昔同様の作り方で仕上げて宗教的にも世俗的にも「権威付け」したのだから「本物」と言ってもよい。と言いたいのです。
このような論拠が非常に怪しいことは誰しも気づきます。
例えば宮城県本吉郡南三陸町松原公園内にあるモアイは、「1989年に本物のモアイと同じ種類の石から、現地の石工が製作した」と説明されています。南三陸町はイースター島同様にチリ地震の津波で大きな被害を受けるも復興したことで、駐日チリ共和国大使が来町のうえ「友好のメッセージ」としてレプリカのモアイを贈ったそうです。丸ビルに来ているモアイとも「作成時期」が近く、モアイの「作成者」が現地民で、作成後に「チリ大使」が権威付けしていますが、このモアイは「レプリカ」として位置づけられています。
このモアイが「本物」足り得ないのは宗教的な「権威付け」がないということでしょうか。それとも造形的に「本物」を再現できていないからでしょうか。
また宮崎県日南市の「サンメッセ日南」には「世界唯一完全復刻モアイ像」と謳われたモアイがあります。チリ地震の津波で損害を受けた「アフ・トンガリキ」の15体のモアイの復元にクレーンメーカーの㈱タダノが協力したことで、島の長老会からモアイ「復刻(レプリカ)」建立の特別許可を得て、1996年にこの許可のもと一燈園という奉仕団体が「アフ・アキビ」のモアイを完全復刻したものだそうです。丸ビルに来ているモアイより「作成時期」が後で、材料は日本産、作成も日本人ですが、オープン式典にはチリからの来賓出席もあり世俗的な「権威付け」はできています。
主催者の論拠と日本の二箇所にある「レプリカ」のモアイを比較すると、「レプリカ」のモアイが「本物」のモアイ足り得るには「宗教的な権威付け」が必要ということになります。しかしモアイが宗教に関わったモニュメントであったのかどうかは、未だ学術的に結論がついていません。さらにはオリジナルのモアイが作られた時代の島民が南アメリカ大陸に連れ去られたことで、オリジナルの文化や宗教・儀礼、それらを後世に伝える文字や記録、伝承の類いが葬り去られ、当時の宗教文化を知るすべがないのです。連れ去られた島民の子孫とは呼べない現島民の殆ど全ては既にキリスト教徒であり、新しく作られたモアイに「マナ(霊力)を入れる」べく行われた「儀式」の正当性についても甚だ怪しいと見做されます。
こう見てくると、丸ビルに来たモアイが日本に既にある「レプリカ」と違うように見えるのは、実はよく見えない「宗教的な権威付け」の有無などではなく、新しく作られたモアイがオリジナルのモアイに如何に忠実に似せて作られているか、その完成度によるところが大きいのではないか。と感じられます。丸ビルのモアイの背中の文様は、1868年(なんと明治維新と同年)にイギリスに奪われロンドンの人類博物館に収蔵されているオリジナルのモアイからコピーされたものでした。140年近く前に島から姿を消したモアイを記憶している島民が存在するわけもなく、大多数の島民はこのモアイを見たこともなく、文様が何を意味しているのかも知らないのが現実でしょう。恐らくロンドンのモアイの写真を見せられて、それに似せてモアイを作ったのです。これを「レプリカ」と呼ばずして何と呼ぶのでしょう?
つづく(次回は、番外編)
僕のmixiへの書き込みには「なにが本物でなにがレプリカなのかを、ここで確定するのは難しい」と書きましたが、僕としてはtomotubbyさんと同意見です。ただ、mixiは実にさまざまな方がいて、そのような人たちと論議をするのは、mixiというコミュニティに相応しくないという、基本スタンスを持つために持論は書き込みませんでした。ただ、書き込みに関して、疑問をもたれるような事があれば、さらにコミュニティに混乱をもたらす可能性もあると思い、ここにその理由を書かせていただきました。
あれを当時、どういう経緯で制作したかはわかりませんが、その時は本物とかレプリカとかは関係ない事だったでしょう。問題はそれを海外に持ち出したチリ政府のモアイ“レプリカ”ツアーであり、さらに問題を複雑かつ悪化させたのが、レプリカツアーにどこかの代理店が乗っかり、権威付けをしてうまく“本物”企画にし、客寄せパンダよろしくこういうイベントに仕立てた事にあると思います。僕もどちらかと言えば、そっち側の人間なのでよくわかりますが、広告の世界ではこんな事は日常茶飯事です。ところが、ブログやSNSが出てきて、tomotubbyさんのような人がいる事で、簡単にはだませない時代になってきたのだと思います。
多いので、疲れます。丸ビルのレプリカについては
これ以上 mixi には書かないことにしました。